チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2009年12月22日
中国に送り返されたウイグル人たちがUNに宛てた手紙
前のエントリーでお知らせした、哀れなウイグル人20人は先週の土曜日、お知らせした日にプノンペン空港から中国に送還されてしまいました。
中国政府外務省もこれを認めたが、現在の居場所などは教えなかったという。
カンボジアに入ったのは22人で、幸い残る2人は未だ逃走中。
パユルに載っていた12月22日付APによれば、
彼らは中国に送り返される前に、UNに対し難民として保護してくれるよう嘆願書を提出していた。
手紙には一人ひとりが置かれた状況について説明されていた。
例えば、以下はカシュガル出身の29歳の男性の話。
「私はウルムチで7月5日に起こった騒動を写真やビデオに撮った。
あの日ビルの屋上から撮影したのだ。下では武装警官隊がデモ隊と衝突し、発砲した。これに対しウイグル人たちは石を投げて応戦した。路上には沢山の血だらけになって倒れた人が横たわっていた」。
「自分はまさに戦場にいると感じた。下に見える路上は倒れたウイグル人で一杯だった。死ぬと思った」
「それから4日たったとき街で外人のレポーターに出会った。私は彼にその時撮影した写真とビデオを渡すことを了承した」
「もしも、中国に返されたら自分は間違いなく無期懲役或いは死刑になるだろう」
又、アクス出身の教師27歳は手紙の中で
「私は夏の騒動が始まる以前に公安局から生徒の中に反中国分子がいないかどうかを調査し、報告するよう強制されていた」
「私はかつて一年以上再教育キャンプに入れられ殴られ、拷問されていた」
「私は世界中にウイグル人に今何が起こっているかを証言することができる。そしてこれは中国政府の望まないことだ。もしも、中国に返されたら私は間違いなく監獄行きだ」
と話し、中国に返さないでほしいと懇願していたという。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)