チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2009年12月11日

テンジン・デレック・リンポチェを救うために

Pocket

b5ff46bb.jpg以下、ITSNが発表したテンジン・デレック・リンポチェの解放を求める嘆願書です。
(ロンドンの若松さんが翻訳して下さいました。若松さんいつもありがとうございます)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

テンジン デレグ リンポチェ プレスリリース;
ITSN 政治囚キャンペ-ンワーキンググループより

緊急発表
2009年12月9日

コンタクト
Tenzin Dorjee (英語/チベット語) New York +1 646 724-0748

Ven. Ngawang Woeber (チベット語のみ。通訳付き) 現在Copenhagenの気候変動協議に参加中, c/o +44 7984 799 958

本土チベット人らが、終身刑を言い渡された高僧の再審を訴える

東チベットで何百人ものチベット人が、中国の刑務所に終身刑で服役中の、敬愛する高僧、仏教指導者でもあるテンジン デレク リンポチェの再審を求める要請を行いないました。報告では要請を行ったのは先日嘆願書の署名30,000筆とともに北京へ出かけたテンジン デレクの親族5名を含み(1)、12月5日土曜日以降、彼の地元であるカムのカルゼ チベット自治県ナクチュカ(ナチュカ)、オトッ内(中国語;四川省甘孜チベット自治省雅江 )とその回りで数百人ものチベット人が平和的に集結し、彼等の獄中にある精神的指導者を支援するためにハンガーストライキを行いました。報告では90名もの逮捕者がでたとされています。

テンジン デレク リンポチェは2002年に成都で起きた爆弾事件に関与したとしてテロの疑いをかけられ死刑の宣告を受けたが、拘束時から今まで一貫して無実を主張しています。(2)世界的に起こった解放運動後、2005年1月、彼の死刑は無期懲役に減刑されました。彼の地元のチベット人はテンジン デレクに対して全く変わりない忠誠を示し、一連の彼等のアクションは中国当局による大量の武装警官隊と軍隊が、この地区へ増強されているなかにあっても、彼等の再審を求める声が以前にもまして大きくなっていることを証明しています。(3)

”このニュースは、昨今のチベットにおける(中国の)武装強化を考慮した上で、勇気ある一般チベット人によるテンジン デレク リンポチェをなんとか助けたいという強烈な思いの表れです”テンジン ドルジェTenzin Dorjee, Students for a Free Tibet 代表は語ります。”この地区のチベット人は、一生をコミュニティーの向上の為に捧げ、環境保護を訴えた僧侶が、非道で暴力的な犯罪を犯したとは、初めから納得していなかったために、彼の釈放のために命がけの危険をおかしているのです。”

チベットからの報告ではテンジン デレクの親族5名は次の3点のもとにした新たな裁判の申請に対する嘆願署名を北京の中央政府まで行き提出しようとしました。3点は、
第1にテンジン デレクが関与した証拠がないこと、
第2に彼自身が無実を主張している事、
第3に彼は当局の罠にかけられた点についてです。

嘆願書には、テンジン デレクが無実を主張し再審のための助けを求める様子が綴られており、彼の家族が刑務所のテンジン デレクに面会を許された際に、彼はこう語ったとあります。「爆発事件はもとより、他のどの非合法な行為に関しても私は関与し
ていない。罪は彼等によってきせられたものなのだ。私はたえず人々に生あるものを殺めてはならないと,説いて来た。それが例えアリの命でもだ。そのような私がどうしたらそんな暴力的な行為を犯すことができるだろう。再審要請が可能なら、全ての
罪を晴らす事が出来るかもしれない。」

報告では、北京に出向いたテンジン デレクの親族一同は強制的に自宅に戻るよう追い返されとのち、その足で四川省、成都の裁判所に向かい面会許可を申請しています。親族一同の消息については報告により、まちまちで拘束されたと報告するものもあり
ますが、確認されていません。

テンジン デレクは四川省、綿陽の綿陽刑務所 Mianyang Prison に現在、拘束されています。拷問による後遺症と刑務所の貧しい環境により彼の健康状態は悪化しており、歩行に支障をきたしており、心臓に痛みを訴えています。

ナクチュカ(ナチュカ)、オトッからの最近の報告では中央庁舎に集まった数百人のチベット人を公安部隊が取り囲み、多くの拘束者が出たもようです。拘束者がその後釈放されたかどうかは、わかっていません。Human Rights Watchの報告によるとテンジン デレク リンポチェは彼の望む弁護士や基本的な司法処置を(当局により)拒否されており、罪状内容も根拠のないもので、再審を望む声は当然であるとしています。

「テンジン デレクリンポチェは最初から公平な裁判を与えられていませんでした。(彼が拘束されてから)7年が経過した今、国際司法に基づいた裁判を再開することは、遅いといえるくらいです」とGu Chu Sumの会の代表で自身も政治囚として拘束経験を持つVen. Ngawang Woeberは語ります。

12月10日の国際人権デーではチベット人とその支援者達によって、地球規模の抗議行動と追悼ビジルが行われます。今年はダライラマが、チベット問題の解決に対して中国政府との協議を続ける努力を世界的に認められ、ノーベル平和賞を授賞して20年でもあります。

追記;

1. 嘆願要請書の全文の翻訳はこちらでご覧になれます。(英語)

http://www.highpeakspureearth.com/2009/12/from-woesers-blog-people-of-yajiang-in.html

チベット語と中国語で書かれた現物のコピーはブログでも;
http://woeser.middle-way.net/2009/12/blog-post_9787.html.

2. 目撃者の証言によるとテンジンデレク リンポチェは、彼の裁判中に自身の無実を主張して叫んだと言われ、2003年1月の上訴の結果を待つ期間中に、刑務所から極秘で持ち出されたテープの中でも、こう言っています。「(当局が)なにを言おう
と、私は完全に無実だ。チベットのためにチベット人の幸福を守る事に献身的に働いて来たがために、私は罪を着せられたのだ。中国人は私のやる事やいう事が気に入らなかったのだ。逮捕された理由は,その意外にない、、、、私は常に私は常に他人に対して手を振り上げるなと説いている。それは罪なことだ、、、私は(爆発現場に落ちていたという)パ ンフレットを作ったこともなければ、配布したこともないし、爆弾を秘密裏に仕掛けたということもない。私はそんなことを考えたこともない。私は他人に害心を抱いたことはない」

3. ナクチュカ(ナチュカ)のチベット人は2002年の逮捕時より、テンジン デレクの件について中国当局に対して問い合わせる意向を表明してきました。
2007年5月には5台の車に分乗した地元住民が四川省成都に向かい彼の為に上訴しようとしていますが、当局により車両は止められ、乗っていたものは暴打された。この事件後2か間に渡って地元住民が庁舎前に集まりテンジンデレク リンポチェの釈放を求めた。

4. The International Tibet Support Group ITSNの政治囚ワーキンググループは次の団体の共同参加を含みます。
Students for a Free Tibet,
Australia Tibet Council 、
Gu Chu Sum Former Political Prisoners’ organisation.

Alison Reynoldsより

International Tibet Support Network総局長

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

ちべろぐ

Archives

  • 2018年3月 (3)
  • 2017年12月 (2)
  • 2017年11月 (1)
  • 2017年7月 (2)
  • 2017年5月 (4)
  • 2017年4月 (1)
  • 2017年3月 (1)
  • 2016年12月 (2)
  • 2016年7月 (1)
  • 2016年6月 (1)
  • 2016年5月 (9)
  • 2016年3月 (1)
  • 2015年11月 (1)
  • 2015年10月 (2)
  • 2015年9月 (4)
  • 2015年8月 (2)
  • 2015年7月 (14)
  • 2015年6月 (2)
  • 2015年5月 (4)
  • 2015年4月 (5)
  • 2015年3月 (5)
  • 2015年2月 (2)
  • 2015年1月 (2)
  • 2014年12月 (12)
  • 2014年11月 (5)
  • 2014年10月 (10)
  • 2014年9月 (10)
  • 2014年8月 (3)
  • 2014年7月 (9)
  • 2014年6月 (11)
  • 2014年5月 (7)
  • 2014年4月 (21)
  • 2014年3月 (21)
  • 2014年2月 (18)
  • 2014年1月 (18)
  • 2013年12月 (20)
  • 2013年11月 (18)
  • 2013年10月 (26)
  • 2013年9月 (20)
  • 2013年8月 (17)
  • 2013年7月 (29)
  • 2013年6月 (29)
  • 2013年5月 (29)
  • 2013年4月 (29)
  • 2013年3月 (33)
  • 2013年2月 (30)
  • 2013年1月 (28)
  • 2012年12月 (37)
  • 2012年11月 (48)
  • 2012年10月 (32)
  • 2012年9月 (30)
  • 2012年8月 (38)
  • 2012年7月 (26)
  • 2012年6月 (27)
  • 2012年5月 (18)
  • 2012年4月 (28)
  • 2012年3月 (40)
  • 2012年2月 (35)
  • 2012年1月 (34)
  • 2011年12月 (24)
  • 2011年11月 (34)
  • 2011年10月 (32)
  • 2011年9月 (30)
  • 2011年8月 (31)
  • 2011年7月 (22)
  • 2011年6月 (28)
  • 2011年5月 (30)
  • 2011年4月 (27)
  • 2011年3月 (31)
  • 2011年2月 (29)
  • 2011年1月 (27)
  • 2010年12月 (26)
  • 2010年11月 (22)
  • 2010年10月 (37)
  • 2010年9月 (21)
  • 2010年8月 (23)
  • 2010年7月 (27)
  • 2010年6月 (24)
  • 2010年5月 (44)
  • 2010年4月 (34)
  • 2010年3月 (25)
  • 2010年2月 (5)
  • 2010年1月 (20)
  • 2009年12月 (25)
  • 2009年11月 (23)
  • 2009年10月 (35)
  • 2009年9月 (32)
  • 2009年8月 (26)
  • 2009年7月 (26)
  • 2009年6月 (19)
  • 2009年5月 (54)
  • 2009年4月 (52)
  • 2009年3月 (42)
  • 2009年2月 (14)
  • 2009年1月 (26)
  • 2008年12月 (33)
  • 2008年11月 (31)
  • 2008年10月 (25)
  • 2008年9月 (24)
  • 2008年8月 (24)
  • 2008年7月 (36)
  • 2008年6月 (59)
  • 2008年5月 (77)
  • 2008年4月 (59)
  • 2008年3月 (12)