チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2009年12月9日

続・ナクチュカの戦い、リンポチェ解放運動

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Tenzin Delek Rinpocheナクチュカで起こった今回の事件には深い因縁があるのだ。

地域のチベット人たちが切に解放を求めるテンジン・デレック・リンポチェは中国政府のチベット文化・環境破壊工作に対する抵抗運動の先鋒であり、象徴と化していた。

リンポチェは1950年カム、リタンに生まれリタン僧院で7歳の時僧侶となった。
1982年から1987年まで南インドのデブン僧院に留学。
その間にダライ・ラマ法王から転生者として認められテンジン・デレックという新たな法名を授かった。

リンポチェはその後再びリタンに帰ったが、その時から当局の監視が始まった。
リンポチェは逮捕されるまでに、地域に7つの僧院、尼僧院を建設した。
養老院と貧しい子供たちと孤児のための学校も建設し、運営していた。
また、環境保護を常にみんなに訴え続けた。
水源や土壌を汚染するとして鉱山開発に反対した。
洪水や土砂崩れの原因となるとして森林伐採に反対した。
動物が絶滅するとして無制限の狩猟に反対した。

彼の名声は地域で益々高まり、様々な場面で政府と衝突することになった。
当局は目ざわりな彼を消す機会を待っていた。
そんな折2002年4月3日成都で爆弾事件が起こった。
これに関連し、ロプサン・ドゥンドゥップというチベット人が逮捕された。
彼はリンポチェの遠い親戚であった。
そこで、当局はロプサン・ドゥンドゥップを拷問にかけ、リンポチェがこの事件に関与したという自白文に彼のサインを取った。

リンポチェは4日後に逮捕され、2002年12月2日、たった三日間の秘密裁判の結果、二人とも死刑を言い渡された。
国際人権機関等の圧力によりケースは四川省高級法院に持ち込まれたが翌年の1月26日ロプサンに死刑、リンポチェは二年の執行猶予付き死刑とされた。
ロプサンは即日死刑執行された。
ロプサンは死ぬ前に彼の以前の自白は「拷問によるものだ」と証言している。

その後の世界的なリンポチェ解放運動の成果があったのか、2005年1月26日彼は無期懲役に減刑された。

テンジン・デレック・リンポチェは「私は完全に無罪だ。私は常に他人に対して手を振り上げるなと説いている。それは罪なことだ、、、私は(爆発現場に落ちていたという)パンフレットを作ったこともなければ、配布したこともないし、爆弾を秘密裏に仕掛けたということもない。私はそんなことを考えたこともない。私は他人に害心を抱いたことはない」と話しているという。

もっと詳しいリンポチェの経歴を知りたい方は以下へ
http://www.freetibetanheroes.org/profiles/tenzin-delek-rinpoche

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以下、ITSNから送られてきた今回の事件に関するコメントや情報、アクションの提案です。(翻訳瓜子様)

* この抗議行動はテンジン デレク リンンポチェをの状況に対する反動で単発的に起きた行動ではない点を強調してください。この地域にとって彼の不在は長いこと悲観の対象となっており、彼が投獄されてからの最初の3年間は地域住民は一切、祝い事を取りやめて来た経歴があります。テンジン デレクが求刑された年数の最初の数年間を刑務所で過ごせば釈放されるのではといった彼等のかすかな望みは、意味を持たない事がはっきりし、この地区の住民は長い間、彼のためになんとかしたいと思って来
た結果の今回の抗議行動への展開です。

* 更に地域住民は、この抗議行動が政治的な(フリーチベット等を求めるもの等)意味をもつものではなく、純粋にテンジン デレク リンンポチェを救いたいという気持から起きた点を強調するために、危険を冒しています。

* テンジン デレク リンンポチェはチベットにおける700名以上もの政治囚の中の一人です。

* 2009年12月10日はダライラマがノーベル平和賞受賞して20年です。

チベットで何が起きたか(まとめ)状況は今現在進行形で届いた目撃者による報告に違いがあるため現在確認を急いでいます。以下は現在発表されている報告をまとめたものですが、未確認情報が含まれている事を必ず事前にお伝えください。

– チベット運動全体で、テンジン デレグの健康状態が悪化している事を知らされました。彼はいぜんとして無実を主張しており、弁護士と再審を求めています。彼の地元支援者は彼の法的な弁護人と再審を求める署名運動を始めました。

– APによる記事では数週間まえにテンジン デレクの親族5人が、30,000筆の署名を持って,北京に向かった所、四川省に強制的に戻されたとのことです。同記事では、親族はその後、四川省裁判所へ向かいテンジン デレクとの面会許可を求めたそうですが、面会が可能だったかどうかはわかっていません。親族一同の近況ははっきりしておらず、情報の中には彼等が拘束されたとするものや、その他の情報ではわからないとするもの様々です。

– 12月5日、テンジン デレク地元住民の何人か、親族一同を支援するため成都 (Chengdu )か雅江 Nyagchukha (Yajiang)に向かった事がわかっています。

– 何百人ものチベット人が親族一同を支援するため(または彼等の拘束に抗議して)抗議行動に参加しました。
チベット人300人が抗議行動とハンガーストライキを雅江 Nyagchukha (Yajiang) と、Tibet Post による報告では テンジン デレクの僧院近くにあるオトック Othok (リタンLithangのそば) で先週末に行いました。

– いくつかの報告では相当の数の逮捕者がでた事を報告しています。(50人、90人、またはもっと多い数も);ほとんどの報告に共通しているのは抗議行動が雅江 Nyagchukha (Yajiang) で起きたという事で、時間や逮捕に至った状況についてははっきりしていません。

現在,出ている報告のリンク集
Associated Press AP通信, 12月8日 : http://www.ctv.ca/servlet/ArticleNews/story/CTVNews/20091208/tibet_monk_091208/20091208?hub=World

Tibet Post, 12月8日;http://www.thetibetpost.com/en/inside/51-news-in-focus/522-chinese-military-deployed-to-peaceful-protests-in-othok-lithang-east-tibet-update

Tibet Post, 12月7日: http://www.thetibetpost.com/en/inside/51-news-in-focus/521-ninety-people-arrested-and-twenty-injured-in-nyakchu-district-lithang-eastern-tibet

Radio Free Asia, 12月7日: http://www.rfa.org/english/news/tibet/protest-12072009151909.html

2.アクションの提案と資料について
12月10日世界人権デーの際の追悼ビジルを中国大使館側で行う団体は是非テンジン デレク リンポチェの写真をITSNの資料(Resouces)からダウンロードしてお使いください。テンジン デレク リンポチェの釈放を求めるメールアクションを支援者にご紹介ください。http://tinyurl.com/tenzin-delek-action政治囚キャンペ-ンのウェブサイト「フリーチベタンヒーロー」ではテンジン テレクを応援するGallery of Voicesのページに皆さんのメッセージやビデオをポストすることができます。
http://www.freetibetanheroes.org
ITSNサイト内の資料(要ログイン)から中国首相あての絵はがきがダウンロード出来ます。
http://www.tibetnetwork.org/resources-tenzindelekメディアや政府機関に対して上記の進展を含めて報告し働きかけてください。
これまでにも、彼についてコンタクトをした議員や政府関係者には、上記のまとめを最新情報として通知してください。

ITSN資料箇所では(要ログイン)以下が用意されています。

- アクション絵はがき(各自の中国大使館を通して中国首相あて)
- テンジン デレク リンポチェの経歴
- テンジン デレク リンポチェ写真
–  テンジン デレク リンポチェのプラカード
–  2004年発表の TCHRD とHuman Rights Watchによる報告書

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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