チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2009年12月6日
成田空港でフリー・チャイナ運動を続ける馮正虎氏
この前成田にインドから到着する前に、私は密かにある事を期待していた。
到着ターミナルが「第一の南ウイング」であることをだ。
しかし、到着してみるとそこは「第二ターミナル」だった。
がっかりだった。
ちゃんと調べてからフライトを予約しなかったのだから仕方ない。
中国人の反体制活動家、馮正虎氏(55)に是非会って話がしたいと思っていたのだ。
彼のために取っておいた機内食を渡し、チベットや中国の話をし、激励したかったのだ。
彼のことは例えばチベットメディアのパユルとかも取り上げ、ホンコンのチベットサポーターが彼に会った時の話を伝え、暗に日本政府や日本人の無関心さを非難する記事も載ったりしている。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=26053&article=Man+unable+to+enter+China+languishes+in+Tokyo+airport&t=1&c=1
まったく恥ずかしい限りだ。
日本のメディアはどのように報道しているのか?
例えば村上龍は少しは気にしているらしい、以下レコードチャイナの記事。
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ANAが強制「拉致」?日本「島流し」の上海市民がリアル「トム・ハンクス」、帰国求め1か月―成田空港
2009年12月、上海市在住の中国人・馮正虎氏(55)が11月初め、中国当局から帰国を拒否され、日本に入国することもなく約1か月に渡り成田空港にとどまり続けている。
馮氏の行動がかつてハリウッド映画「ターミナル」でトム・ハンクスが演じた役柄と似ているうえ、今回の中国からの「強制送還」に日本の航空会社・全日本空輸(ANA)が関わったことから、中国国民も日本側の対応に注目している。
メールマガジン「JMM(ジャパン・メール・メディア)」(編集長は作家・村上龍氏)が伝えた。
JMMによると、ANAは中国当局の指示を受け「乗ることを嫌がって暴れた人物を機上に押さえつけ」て輸送し、「意に反して『拉致』して成田に連れて来た」と馮氏は主張している。
馮氏は成田空港に送還された後の11月7日にはビザ放棄を宣言して日本への入国を拒否、空港の入国審査カウンター前にある制限エリアでトイレの水を飲むなどして寝泊まりを続けている。
中国で民主化・人権活動に取り組み、服役経験もある馮氏は今年6月の天安門事件20周年記念日を前に上海市当局から日本への出国を勧められて訪日したが、その後帰国を試みると、8回にわたり入国を拒否された。
中国パスポートを持つ馮氏の入国拒否について、上海当局は具体的理由を明かしておらず、日本に「島流し」にあった形だ。?
各種報道や馮氏自身のインターネット・サイトの情報によると、馮氏は「日本は人権や民主を重視する国だ。中国政府に責任を果たすよう働き掛けてほしい」と日本側の支援を求めている。
また、馮氏はその抗議活動を知った中国国民から、400件近い激励メールも受け取っており、「中国民衆がわたしの背中を押してくれていると感じている」と語っている。
航空会社によって「拉致」されたという馮氏の主張について、ANAは「中国への入国ができなかったので、中国当局の指示を受け輸送した。
搭乗口のドアが閉まり中国側の当局者がいなくなると、機体が動き始める前から『拉致された』と言って立ち上がろうとしたため同行したスタッフが『座ってください』と言ってボディタッチをした。当局とのやり取りについてはコメントできない」(広報室)としている。
航空機の場合、搭乗口が閉まった後は機長が安全運航に最終責任を持つことになる。このため、輸送上の安全を含めた機長による総合判断で馮氏を連れ帰ったことになるが、乗客が騒ぐなど機内に安全上の危害をもたらす要因がある場合は、離陸前であればむしろ輸送を拒否し下ろすのが一般的。
今回の場合、逆に他の乗客の安全を危険にさらしたとも受け取られかねないが、日本から上海に輸送していたため、当局からの強いプレッシャーを受け、その選択肢が選べなかったとみられる。(編集:NK)
レコーオチャイナ 2009-12-05
http://www.recordchina.co.jp/
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ちなみに『ウィキペディア』には:
馮正虎(フォン・チョンフー)は、中華人民共和国の人権活動家。中国政府に入国を拒否されたため、2009年11月に成田国際空港の制限エリア内で寝泊まりを続けている。
馮は1980年代は中国国内で会社の経営や民間の研究機関である中国企業発展研究所の所長をつとめていた。89年5月に人民解放軍による民主化運動の弾圧を批判する声明を発表した為、当局の監視下に置かれた。それ以後は民主化、人権に関する活動に参加したため逮捕され、2001年から2003年まで服役した。それ以後は中国、日本において活動を続けている。今年6月に帰国したところ、中国当局から入国を拒否されたのを始めに以後8回にわたって入国拒否が続いた。
馮の旅券は3年間有効で日本での滞在ビザも切れていない。日本では日本人と結婚し千葉県内に住む妹の家に世話になっていたが、11月に入国を拒否され日本に戻ると中国政府への抗議として空港の制限エリア内で居住するとにした。馮は「私は中国国民だ。帰れないのはおかしい」、「4日夜から寝てないが、中国の法律と人権を守るためにも、一生懸命頑張る」と話している。
制限エリア内には外部から食料を持ち込むことができず、馮は通りかかる旅行客から食料などを分けてもらっているほか、運送責任がある航空会社やチベット独立を支援する香港の学生活動家などから支援が与えられている。
東京入国管理局成田空港支局では職員が終日付き添い、馮に入国するよう勧めている。
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法王も中国の民主活動家には大いに期待されているし、中国人と連帯することを大いに勧められている。
中国人に近づくことは、チベットサポーターの最近の戦略の柱でもある。
だから彼を必ず応援すべきなのだ。
しかし、とにかく問題は彼に会うには、成田の第一ターミナルの南ウイングに外国から到着しないといけないということだ。
しかし、これなどメディアは本気になれば、何でもないでしょう。
海外から記者の出入りはいくらでもあることだし。
あえて無視しているのでしょうね。
映画の「ターミナル」は、私も見たことありますが、有名なので映画のせいもあって世界は成田に注目しているのですがね。
今海外にいて、これから日本に帰られるフリー・チベット・チャイナサポーターの方は航空会社を選べるならこの「第一ターミナルの南ウイング」への到着便を選択し、税関の前に必ず彼を捜し出し、共同戦線について話会い、食糧、資金?等の援助を行いましょう。
最後に必ず電話番号を聞いて、私に教えてください。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)