チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2009年11月10日
法王のタワン訪問をめぐって
現在法王はインド東北端アナチャル・プラデッシュ州にある標高3500mのタワンを訪問中です。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=25913&article=Dalai+Lama+visits+town+near+Tibetan+border
タワンは法王が50年前にチベットから脱出しインド国境を越えた峠のすぐ麓にある町です。
ここには400年の歴史を誇る巨大なゲルク派の僧院があり、法王もかつて逃避行による心身の疲れをこの僧院の温かい接待に依り癒されたという因縁のある地です。
位置的にブータン国境にも非常に接近しており軍事的な要所でもあります。
1962年の中印戦争のときにもこの町に大勢の中国兵が押しよせ、非常な混乱を引き起こしたという。
結局圧倒的な兵隊数の差により、この時インド軍は大敗した。
そこで、今回の法王のタワン訪問に対しもちろん二重の怒りをあらわにして、インドを脅し続ける中国ですが、昨日付けの人民日報の中で
「インドは1962年の教訓を忘れたようだ。ダライ・ラマを使ってこの国境問題をあおるなら、何れインドが望む通りの結果が待っているであろう」と、その辺のチンピラ君が誰かを脅す時のような言い方を恥ずかしげもなくしております。
インドは一応最初は中国が恥をかくようなニュースが世界中に発信されないようにと外人記者の取材を許可しなかった。
しかし、結局BBC以下ほとんどの外信が現地の記者たちを通して、この法王のタワン訪問を大きく報道した。
最初の日(日曜日)に法王に食い下がりインタビューをとることに成功したインドの記者が法王から「中国の私に対する非難には根拠がない」という政治的とも受け取れるいつもの発言を引き出したが、これがインドの新聞の一面を飾ったりした。
中国はさらに怒りを募らせ、上記のような発言に至った。
インドは今度はじゃ現地の取材係りも規制してあげようと昨日からは現地のジャーナリストの取材も制限され、特に法王には一切質問しないようにと命令したという。
さらに、最初法王が到着されたときには沢山のチベット国旗もインド国旗とともに人々によって振られていたが、このチベット国旗を掲げることも今日から禁止されたという。
法王の法話を聞くために会場には25000人を超える人が集まった。
ブータンやシッキムから何日もかけて歩いてきた人も多いという。
もちろんチベットからも、国境近辺の人たちはこの機会に法王に会えるなら国境を越えたいと思う人も多かったであろう。
でも、現在このあたりの国境線には中国軍とインド軍がにらみ合い状態で張り付いており、危険過ぎて越えてくる人はいたのかどうか?不明です。
この地はかつてダライ・ラマ6世を生んだ地でもあり、地政学的にも重要な地域であるということで、実は次のダライ・ラマ15世はこの辺りに出現するのではないか、、、?とのうわさが最近高まっているのです。
法王は11月8日に亡命の旅について聞かれ「感情を揺さぶられる多くのことが起こった。1959年亡命したとき、私は心身ともに非常に弱っていた」
「中国は私の後を追わなかった。しかしインドに入った後私を非難し始めた」
と回想されたという。
会場に集まった人々に対しては「慈悲と平和というこの二つの言葉を皆さんに覚えていてほしい」と語られ、
「我々はカルマの概念を実際に利他的行動を起こすことだと解すべきだ。そして言動と行動において正直であれ。現代科学と調和する21世紀の仏教徒になるよう努めなければならない」と説かれた。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)