チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2009年11月9日

バンガロールの野鳥

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White-breasted Kingfisher 28cmWhite-breasted Kingfisher 28cm
電線に止まる大型のカワセミ。

昨日は日曜日で、野鳥の日でしたが、一日中2口のネットアクセスが両方ともダウンでした。一昨日は半日停電だったしで、インドらしい日が続いています。
このインドの電気事情はダラムサラが田舎だからこんなだというのではないらしくて、都会の方がひどいようです。
バンガロールでも夕方、電気が必要な頃になると毎日停電していました。
ダラムサラの方がまだましと思いました。

昨日、日本から「モモチェンガ」の監督岩佐一行4名様が到着されました。新作チベット物のキャスチングのためこれから3週間は滞在されます。
コーディネートに付き合うのでブログも途切れがちになるかもです(言い訳)。

ーーー

そこで今回は、ずれ込んでもしぶとく続ける野鳥シリーズその9、南インド・バンガロール編です。

現場では常にカメラを片手に仕事の話の最中でも、気になる鳥の歌声が聞こえるとさっと居なくなったりして、まるでどっちが目的で現場をうろついているのかわからない状態でした。
でも、だいたいは朝日が昇る前後に敷地内をうろついて撮ったものです。
20種以上の初めての鳥に出会いました。

Tree Duck?Tree Duck?
写真をクリック拡大しないとよく見えないカモ。
カモの一種だけど、この子に特徴的な目と口の間にある白い斑があるカモは私の手元にある図鑑の中に見つけることができませんでした。
この二人はカモにしては小さかったしで子ガモと思われます。
カモは子供と大人では姿や色が変わるのが多いので、図鑑にないのだと判断。

広大な敷地にはなだらかな起伏があり、小川が流れていました。そこで、至る所にせき止め湖を造ったのです。
そこには小さな魚が住み始め、それを狙ってカワセミやサギ、カモが寄り付き、水辺を好むセキレイなどの小鳥が集まっていました。
造ったころは野鳥などにはほとんど興味もなくそんなつもりで造ったのでもなかったが、こうなって見れば、おまけなのに「やっぱ計算通り! 鳥がいなきゃ湖/池じゃないよな、、、」と一人で大満足。

Small Blue Kingfisher 18cmSmall Blue Kingfisher 18cm
もう一種違うカワセミ。
この方が一般的によく見かける種です。
カワセミ、英語で「キングフィッシャー」はインドではある会社の名前として有名です。
この会社はバンガロールのかつての王族が経営し、バンガロール一の大企業です。
ビールで当てて、今ではインド一高級な「キングフィッシャー・エアライン」という航空会社も経営しています。

ーーー

とつまんない話はこのぐらいにして、今日もちょっとだけ、もっとつまんないかもしれない「仏教のような話」の続きを以下、思いつくままに。

「青い鳥」は「幸せの(になる)秘密を知っている」と言い出したのは西洋人だと思うけど、なぜか確かに青い鳥を見かけると一瞬ドキッとする。
追いかけたくなる鳥の一番手です。
その青にも色々あるのですが鳥の羽根の青はすべて抜けるような、つやのある、鮮やかな空色です。
話は飛んで、無上ヨーガ・タントラでは胸の中心に深い黒に近い藍色の種字フームを観想します。これは阿閦如来の象徴で色もその体色に由来します。
もっとも何で阿閦如来の体色が赤でなくて青なのか?については私は無学で知りませんが、おそらく色遊びから来た偶然でしょう。
時代的に密教の初期には大日如来信仰が中心だったので大日如来の体色である白が曼荼羅や胸の中心という時代もあったのです。
だから、必ずしも青が無意識の底の暗喩として最適というわけではない。
何れにせよ密教の色は単なる連想ゲームの印、シンボルでしかなく、背後の意味を味わうことが目的です。
何てことを言うと、「いや直観を重んじる密教においては、この青には深い無意識レベルの意味がある」とかいう人からは馬鹿にされそうですが。

私の場合は、結局、色の中では「青」が好みで「空な色だ」「チベットの蒼穹と天空の湖を思い出す」とか勝手に自分が感心しているだけです。

Purple Moorhen 43cmPurple Moorhen 43cm(左)Solitary Yellow Bittern 38cm(右)
左の青紫の鳥は日本の「バン」の一種。右の茶と白の縞柄の鳥は日本の「ヨシゴイ」の一種。右の鳥はインド亜大陸とその周辺の島々アンダマン、ニコバル、スリランカにもいるが左の鳥はインド亜大陸にしか生息していない。
つまり、まだ海を渡れていないということ。
或いは、島流しにされたことがないということか??

ーーー

大体「青色」と勝手に言うが、世の中に「これが本物の青色」という客観的「青」があるわけもなく、目や脳に障害がおこると同じその青も青色に見えなかったりするわけだ。
ちょっとしたこの波長の差を人間が感じているように鳥たちが感受しているかどうかは定かではない。
第一こんな色を「青色」と呼ぼう何て鳥は考えません。
その対象からの波長が目に届く前に他の物体とかに通過することにより簡単に色を変えて見ることもできます。
青色というのも他の赤等の色があってはじめて青色もあり得るのです。
「青色」は他の色々な色に依ることで「青色」となることができます。
現象は常にそのものに対立し、否定するものにより限定的に成立するし、限定されることに依り始めてそのものも存在し得るというわけです。
青色には独立した「自性、自体が無い=空」というわけですが、また「自体が無い=空」だからいろんな青色も青色に成れるわけです。

それでも芸術家はつい「これぞ本物の青」とかを求めたりするものですが、一般的に色ほどあいまいなものもないわけです。

Small Sunbird (Male) 8cmSmall Sunbird (Male) 8cm
空中に止まるという小さな小さなハチドリの一種です。

前回の話を今読み返し、ここはちょっと荒っぽすぎたかな、、、と気になった部分がありました。
その部分とは、
<テキストでは「縁起=空、空=縁起」が解ればすべてのサンサーラの苦しみから解放される、と説かれますが、これは般若心経の「色即是空、空即是色」と同じ意味です。>
とやったところです。
「何か他の現象に依って生じ、成立する現象(縁起生)には自性・自体がない(空)、自性・自体がない(空)が故に現象は他に依ることが可能となり、現象として生じ、成立する(縁起生)ことができる、というのは言わば空性理解への方法を説いているとも言えます。
この次にだから「すべての現象(五蘊)はすべて空(皆空)だ」と知って「私(観音菩薩)はすべての苦しみから解放された(度一切苦厄)というわけです。
もっともこの部分はチベット版「般若心経」では「すべての現象(五蘊)さえも自性が空だと達観した」で一旦切れており、そのあとの「度一切苦厄」は残念ながらありません(この部分は玄奘が足したとの説が一般)。
また五蘊「さえも」と入れることで大乗哲学に特徴的な「法無我」の理解を示していると説きます。もっともチベット版と日本版(玄奘訳の漢語)ではその元になったサンスクリット版に違いがあるだけで、チベット人が後から「さえも(ヤン)」と勝手に入れた訳ではありません。

で、言いたかったのは、<これは般若心経の色即是空、空即是色」と同じ意味です>と言ったが、「色即是空、空即是色」という言い回しは厳密には五蘊の内の一つの「色=色と形を備えた物質的現象」についてだけ言ってるわけで、ここでは「色」により他の精神的現象も代表させたという言い方だったということです。

Purple-rumped  Sunbird (Male)10cmPurple-rumped Sunbird (Male)10cm
この子も空中に止まることができるハチドリの一種。

般若心経の「色不異空 空不異色、色即是空、空即是色」はそのすぐ後に「受想行識亦復如是」とあるように、五蘊すべてに当てはめて「受不異空 空不異受 受即是空 空即是受、想不異空 、、、、、」と順繰りに考え、感じ、体験すべきものなのです。

「五蘊」という仏教用語(漢語)も解りにくいのですが、とりあえず初めは「受」以下は「心・精神的現象」と思っていればいいと思います。
その中で例えば「受」は感覚作用。つまり五感の何れかが何かに反応すれば、そのすぐ後に無意識レベルで快・不快・中性の感覚が芽生えます。その後意識化されることも多いですが、この快・不快・中性という感覚も概念もそれぞれが排他的に規定し合う、相対的な感覚でしかありません。
その時の気分により同じ対象に対しても反応が異なることはしょっちゅうですし、とにかく変化するいい加減なものです。
いい加減だから普通の人が不快と感じるどくろもタントラの聖なる器になることもできるのです(ちょっと極端な例のようだけど、タントラはわざとこの世俗レベルでの反対、それも極端を利用するのです)。

Purple Sunbird (Male) 10cmPurple Sunbird (Male) 10cm
何かの金属でできた偽物にも見えるこの子も本物!?のハチドリ。

何だか、自分でも話が堅くて疲れるなと感じ始めた、、、
大体私は小学校の初めから何だか漢字が嫌いだった。みんな同じか?
今も外国暮らしが長いせいか漢字にはますます違和感を感じ始めた。
法王は先月のダラムサラでのティーチングでベトナムの僧侶の般若心経の読経を聞かれた後、「ベトナム語の般若心経を聞くのは初めてだ。この前はシンガポールとホンコンの人たちが英語で唱えるのを聞いた。大事なことは般若心経は必ず自国の言葉に訳して読むことだ。お経はすべてそこに書かれている意味を思い出し、考え、味わうために唱えるものだ。意味も解らないのにただ唱えても何にもならない。
だから必ず自分たちが理解できる言葉に訳すべきだ」
とおっしゃいました。

日本の昔の人たちは余程中国語に堪能だったのか?結局つい最近まで日本のお経は漢語のままでした。
昔も所謂知識人以外の一般人は常に解らないお経を聞かされていたことでしょう。
今も普通の一般日本人は解らないお経を言うところの僧侶に唱えてもらって、それでなぜかありがたいと感じ、大枚のお布施を手渡したりする。
実際、意味のはっきり解らぬ外国語を聞いてどうしてその読み物が仏教のお経だと解るのか?それを人前で唱える人がどうやって仏教の僧侶になるのか?考えれば不思議なものです。

Bluecheeked Bee-eater 31cmBluecheeked Bee-eater 31cm
中にはちゃんとその後でお経の意味を簡単にでも説明される僧侶もいらっしゃいますが、今までのところ「無常」のお話ししか聞いた覚えがない。
「空」の話は田舎だったからか聞いたことが一度もない。
チベット的には「空」抜きではそれが仏教的お話とは必ずしも言えないというわけですから、話はさらに程遠くなります。

私はダラムサラに来て10年間は全く英語で仏教を教わっていました。
先生や法王のチベット語を通訳が英語に翻訳してくれたものを聞いていました。
実際英語で仏教を勉強する方がよほど単語が解りやすく新鮮で仏教が簡単に思えると感じていたものです。
その後、日本の先生方の仏教書も読むようになったのですが、元の漢語がそのまま仏教専門用語となっているので、最初は慣れるのに英語より時間がかかりました。

何だか、今日は話がとびとびになり終らない。
紹介したい南の野鳥もまだいるが、、、

続きはまた。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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