チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2009年11月4日
ギャワ・カルマパは南インドで世界の大物に出会い、法王は日本で鳥の鳴き声を聞かれてラサを思い出される
最初に昨日の「手紙のひな型」の中で訂正があります。
終わりの方で、
原文: 11月15日から18日にかけて、・・・公平で公開された裁判を可能 にするための司法制度を煽動することを・・・
修正: 11月15日から18日にかけて、・・・公平で公開された裁判を可能にするための司法制度を実行することを・・・
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ギャワ・カルマパは現在南インド各地を訪問中です。
ギャワ・カルマパはダラムサラから出るときには必ずインド政府の許可を取らないといけないのですが、これが中々大変と聞いています。
11月8日にはこの大学にも来られるとのこと。
カルマパは11月4日から7日までマイソールで大きな会議に出席されています。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=25879&article=Karmapa+to+speak+at+TEDIndia+conference
マイソールに本部があるインドのIT企業トップ「Infosys」が「TEDIndia Conference」と名付ける、T=技術、E=娯楽、D=デザインについて話し合う会議です。
今年のテーマは「広めるに値するアイデア」で、カルマパは「Within You, Without You.あなたの中に、あなたなしに」という話をされるそうです。
しかし、驚くべきはそのそうそうたるスピーカーたちです。
元アメリカ大統領クリントン、現イギリス首相ゴールデン・ブラウン、元アメリカ副大統領アル・ゴア、マイクロ・ソフト共同創始者ビル・ゲーツ、グーグル共同創始者サーゲイ・ブリンとラリー・ページその他世界的に有名な学者を大勢招待し、連日講演とパネル・トークが行われます。
カルマパがここにスピーカーとして招待されたのはなぜでしょうか?
本来こんなにも大そうな人々が集まるなら法王が招待されてしかるべき、と普通には考えますが、さあどうしてカルマパになったのか?
日本に行くことで会議に出席できなかったか?
中国との商売があるので法王は避けたのか?
でもカルマパを招待するだけですでに中国がいい顔しないのは明らかだが、アメリカにいいとこ見せるために無理したのかな?
良くわからないが、このすぐ近く、二時間ほどのところで今こんなにも世界の指導者が集まっているというのがちょっと不思議な感じがします。
もっとも、インドのIT企業内はもうまるでアメリカナイズされてて、貧しい周りのインドとは別世界です。
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写真はパユルより。
法王が沖縄で空の鳥を示しながら、「ラサを思い出す」と記者たちに話されているところ。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=25885&article=%e2%80%9cWar+is+senseless%2c%e2%80%9d+says+Dalai+Lama+in+Okinawa
ところで、沖縄を御訪問中の法王は戦争犠牲者を供養する法要の間に鳥の声を聞かれて、ラサを思い出されたようです。
そして「祈りを捧げている時に、私はラサで聞き覚えのある、またインドでもよく聞くある鳥の鳴き声を聞いた。この鳥はみんなに馴染みの鳥であるが、心に平安を増し、互いの意見を尊重し合うという人間の能力と知性はすべての人類に共通のものだということを知らせてくれる」
「私たちはみんなすばらしい近しい関係を作り出す能力を持っているのだ」とおっしゃったとか。
鳥の鳴き声が法王にインスピレーションを与えたというわけでしょうか。
何の鳥だったのかな?チベットにもいてインド、沖縄にもいる鳥で鳴き声に特徴があるのは鳶かな?スズメじゃないだろうし、、、判らない。
松山では千人以上の日本の僧侶を前に「もっと勉強し、もっと洞察するように」と勇気づけられたとか。
さらに「すべての問題は無知から来る。そして無知は単なる信仰によって克服できるものではない。あなた方には無知を克服するための智慧と実践から来る知識が必要だ」
と正直に話されたそうです。
かつて法王に誰かがインタビューするのを手伝ったとき、その人が「日本の僧侶についてどう思われるか?」
と質問されたとき、法王は「どうも日本の僧侶の人たちは勉強に興味がないようだ、、、」と答えられたことを思い出します。
チベットの僧侶と比べればということですが、、、
法王は日本の僧侶の方々は信仰中心に信者を導いて来られたことをよくご存じのようです。
とにかく、哲学的質問を自分にしない、儀式のことばかり考えがちな日本の僧侶の方々に物足りなさを感じておられるのかもしれません。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)