チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2009年10月21日

最近のウーセル女史のブログより「チベット人にとってダライ・ラマとは?」

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ウーセル女史のブログより以下ウーセルさんの10月19日のブログです。細野様が翻訳してくださいました。

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<チベット人の心の中でダライ・ラマとはどういう存在か?>
文/ウーセル 

http://woeser.middle-way.net/2009/10/blog-post_19.html

私は最近、ラジオフリーアジア放送中国語部門の北明さんの取材を受けました。その中の一つは「チベット人の心の中でダライ・ラマとはどういう存在か?どれくらい重要なのか?」という質問でした。

これに答えるために私は一つの出来事をお話ししました。それは2006年初め、ダライ・ラマが仏陀成道の菩提樹の下で時輪金剛灌頂の儀式を行われていた時、チベットで希少動物の毛皮を売買し、身につける行為があることを批判し、心の底からチベット人に対して忠告されました。「私はこのような行為を非常に恥ずかしく思っています。チベット人にも悪い評判がついてしまい、とても良くないことです。やめるべきことです。」
このお言葉がチベット各地へと広まり、チベット人の間に強烈な衝撃を引き起こしました。何千何万のチベット人が高価なヒョウや虎の毛皮に火をつけ焼き払ったのです。これに共産党の役人たちは激怒し、「処罰する!彼らは密輸したいのだ。ダライの一言が意外にも焼かせているのだ!」と机をたたいては大声で怒鳴りつけていました。ひいては紅頭文件(共産党指導部が発行する重要文書)にも「必ずダライラマが奪った民心を奪い返す。」と宣言しました。そして、毛皮を焼くことを禁止し、それのみならず大きな(毛皮付きの)軍旗軍鼓を身に付けさせました。こうしてチベットの様々な祝賀行事では毛皮を着るかどうかがある種の象徴となり、ほとんどの民間の祝賀行事では再びヒョウ皮や虎製の衣類を着る者はいませんでしたが、政府側が段取りをした祝賀行事では毛皮を着なければなりませんでした。そうでないと行政処分、さらにはもっと重い処罰を受けさせられたのです。

ヒョウ皮や虎の衣類を焼き払った行為は環境保護から出たものですが、さらに重要だったのはチベット民衆のダライ・ラマに対する信仰を表すということでした。私はチベットのいろんな場所で何度もチベット人の本音を聞きました。「ギャワ・リンポチェ(ダライラマ法王)の話を聞かないで、誰の話を聞けというのか?当局が腹立たしく思っているのも仕方ない、半世紀以上チベット全土を強硬に統治してもなお、人々の心を従わせられてはいないのだから。手にはいかなる武器も持たない、千万里遠く離れたところの老人がただ二言三言口にしたとたん、このような大きな反響が起きる。国際メディアが“毛皮を焼いたことはチベット人のダライラマに対する信仰の表れであり、ダライ・ラマが一声発すればチベット人は例外なく従う”と報道するのも無理はない。」と。

また、たとえばチベット各地で毎年おびただしい数のチベット人が子供も含めて中国国境警備隊の銃撃と逮捕の危険を冒しながら山々を越え、歩いて川を渡り、風にさらされ、露に濡れながら野宿を繰り返し、ヒマラヤの雪山を越え、故郷から遠くインドへと渡っています。彼らの最大の望みはダライラマにお会いすることです。2007年世界を震撼させた「ナンパラ銃撃事件」発生後、ラジオフリーアジアチベット語放送は銃口から危うく助かり逃亡したチベット人数人にインタビューしており、その中の一人、23歳の僧侶ツプテン・ツェリンは「他でもないギャワ・リンポチェにお会いしたかった。幼い頃から彼を信仰してきた。もし彼に会えるのなら明日明後日死んでもかまわない。」と語っています。

さらに私のようなチベット人は、幼い頃から共産党の洗脳教育を受け、党の継承人として養成され、いわゆる順風満帆、おとなしく従ってさえいれば将来が約束されていました。当然ながら私も今までこの目でダライラマを拝見したことはありませんが、体の中の遺伝子にダライ・ラマへの信仰が刻まれており、成長とともに自然に独立思考と判断力が芽生えて来ました。事実、昨年のチベット事件が示したのは路上で抗議した人の大多数がいわゆる「解放」後に生まれた世代の人間であり、また共産党五星旗の下で育ったチベット人であり、彼らが男女問わず僧俗の区別なくダライラマの画像を掲げ、統治者に向かって「私たちのダライ・ラマを返して!」「偉大なるダライ・ラマとの対話を!」「ダライ・ラマの長寿を祈祷いたします」と叫んだのです。

また、インタビューの前夜にはアムドの友人が一つの歌を贈ってくれました。それは自分の目でまだダライ・ラマを見たことがない若いチベット人たちが書き、歌い、ダライ・ラマに捧げたもので、慈悲の心を持った英雄だと賞賛されていました。その中でこのように歌っています。
“さまよう心が道を見失った時
稲光のような知恵で黒い輪廻を通り抜け
次第に大きく心の窓が開いていく・・・
苦悩の衆生が楽しい瞬間に別れを告げ
太陽のような慈悲に温められたぼんやりとした砂漠へと
次第に癒しがたい傷口は縫い繕われていく・・・
ああ、なんとも偉大なる師よ、なんとも慈悲深い師よ、
あなたは我々の心、心の中の太陽だ”

from User blog写真は2006年初めのチベットアムド阿唄地区。チベット人が毛皮を焼いている現場です

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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