チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2009年10月2日
「こっけい節」に対する知識人の反応。
昨日の「こっけい節」の10年ぶりの軍事パレードについて、
<軍事科学院の羅援少将も、軍事パレードの目的を「敵対勢力に対する威嚇。世界中に中国の実力を見せつけることは非常に重要なことだ」と語っていた。>(産経新聞)
そうだ。
こんな野蛮なことを今頃わざわざ言うのは、独裁、恐怖国家だと自ら言ってるようなものだ。
ニューヨーク・タイムズは:
<「繁栄は状態であって価値ではない」とこのメッセージを批判した。「中国にはもはや何のイデオロギーも残っていない」と北京人民大学のジャン・ミン教授は嘆く。「政府も、国民も何の価値観も持っていない。人々の生活がよくなる限りにおいて、中国政府は力を持っている。しかしそうでなくなったらどうなるのか」とジャン教授。>
と中国人知識人の言葉を使って今回の北京のパーティーを痛烈に批判している。
ここで、以下に日本の知識人の(こっけい節に間接的に関係する)コメントを紹介しよう。
と、大袈裟だが、我らが石濱先生のちょっと古い9月24日のブログを今日読み、その知性に触れて、まるで知識人に(見た目も頭も)程遠い自分もチベットに関わっているだけで、一瞬、世界のインテリの仲間になれたような錯覚を抱かせてもらえました。
以下無断転載。
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知識人たちのチベット
http://shirayuki.blog51.fc2.com/blog-entry-400.html
この連休、上野でフリー・チベットチラシを配ってくださった方、ありがとうございました。チラシを受け取ってくださった方の中から、一人でもチベットについて知って下さる方がでてくれば、それだけチベット文化が存続する可能性が高まります。
六十年前国際社会の「無関心」がチベットを滅ぼしたが、今度は「知ること」によってチベットは救われる。
インド独立の父ガンディーですら、若い頃はロンドンでイギリス人になろうとしていたが、ロンドンでインド文化への高い評価をしって、自国文化の素晴らしさにめざめて、後半生はルンギー一丁である。
中国がチベットで行っている同化政策はたしかにヤバイが、先進各国の知識人がチベット文化の価値を鼓吹しつづけることで、道義的に勝利し続けることで、いつかは必ず結果はでる。この利他の文化を失うことは、人類にとってすごいマイナスになるので、人類への貢献ともなる。
というわけで、今、出版社にはいった某卒業生のたのみで「西洋人はいかにチベットと出会い、チベットがいかに西洋に舞い降りたのか」みたいな本を書いている。そのため隠者状態で一日のうち接する人は鳥と猫だけ(人じゃないだろ!)。
そろそろ覚りが開けそうです。
でいろいろ調べていて気がついたのだけど、西洋社会でチベット仏教を理解し、支持しているのは、もっとも知的な層。精神的に貧困な人にはチベットとかダライ・ラマとかは向いていない。
それはチベット仏教が高度に知的でかつ倫理的な体系であるため、倫理的なものに興味のない人、ある枠組みの中でしかものが考えられない硬直化した人にはそもそも理解できないから。
若き日ダライ・ラマは西洋の文化、とくに科学に強い興味を示し、仏教思想が長い伝統の中で得てきた意識や存在に関する哲学が、物理学や生化学、心理学などの説明とどこまでかみ合うのか、また、どこまで検証できるのかについて知りたがった。
キリスト教は聖書の文言を科学はむろんのこと他のジャンルの思想と比較・検討することに消極的であったことを考えると、ダライ・ラマの柔軟性は際だっている。そして、ダライ・ラマはそれからも多くの著名な科学者たちと対話していく中で、多くの点について科学と仏教思想が矛盾しないことを見いだし、さらに、宇宙や世界の形などについて仏典と科学が矛盾する点については、あっさりと仏典の記述を捨て、科学的な世界観を受け入れた。
ダライ・ラマのこの柔軟な知性と合理性は、チベット仏教がもともとあらゆる角度から徹底的に議論をつくして思想を形成する伝統からでてきている。仏教では、意識や存在のあり方を観察する場合も、あらゆる点で矛盾の生じないような論理的な論証が要請される。つまり、科学者も仏教者も実在に対するアプローチ法はほとんど変わらないのだ。
ダライ・ラマはさらに、ビジネスマン、エコノミスト、俳優、アーティスト、王族、など様々なジャンルの人々との対話を通じて、西洋社会へのあらゆる分野における知見を広め、同時に対談相手を敬服させ魅了していった。1992年には、これらの人脈の集大成ともいえるノーベル賞受賞者を始めとするそうそうたる名士たちが、チベット百人委員会 (committee of 100 for Tibet)を構成して、チベット人の行う非暴力闘争を支持し、チベット問題を啓発する活動を行っている。
仏教という伝統的な思想の体現者でありながら、科学者や哲学者とも対等に語り合う先進的な知性を兼ね備えたダライ・ラマは、今も洗練された知性をもつ階層にファンを増やし続けている。
こうして、ダライ・ラマは、工場で作られる大量生産品や、一瞬に消費されるチープな消費財とはまったく逆の、時間をかけて作り出される上質で洗練された文化のアイコンとなった。
これまでこのブログでも紹介してきたように、ダライ・ラマがヴォーグの特別編集長、アップルの広告、チャールズ皇太子の熱帯雨林プロジェクトといった、先進的で知的な層に向けての広告に登場し続けているのはそのせいである。
もう一つ興味深い例を挙げよう。
2008年、北京オリンピックで中国がチベット問題に神経をとがらせていた際、日産自動車はリチャード・ギアをCMに起用することを取りやめた。ギアがハリウッドでもっとも熱心にダライ・ラマのサポートを行っていたからである。
しかし、イタリアのフィアット社はあえてギアを起用し、そのうえその映像の中でチベットを支援することをはっきり表明した。CMでは、ギアがハリウッドの中国人劇場(笑)の有名なセレブの手形広場前から自分の手形を踏んづけて、フィアットのランチアにのって走り出すと、いつのまにか車窓からポタラ宮が見えチベットについたことを知る。ギアはランチアからおりてチベットの少年僧とともに雪の上に手形を残す、というものである。
フィアットは中国から得られる目先の利益よりも、チベットの高潔な理念を支援することによって得られるものを選ぶ、という姿勢を示して高級車ランチアのイメージを巧みにアップさせたのである。と同時に、この映像にはもっと深い意味が隠されている。ハリウッドからチベットへの移行は虚栄から深い精神性への移行、石の手形からはかなく消える雪の上の手形への移行は、なんでも石に刻んで後世に残したがるごり押し西洋文明から、なにごとも依存性の中にあるがゆえに実体はないとするチベット思想へのシフトを示している。どうだ、ここまで読み取れた人は、立派なフリー・チベット・ファイターだ!
こう考えてみると、日本でフリー・チベットが先進各国でもっとも遅く現れはじめたのは、日本人の一部にようやく欧米並みの「自分に厳しい自立した自我をもちながら、かつ、世界に関わる」知性がようやっと生まれて始めてきたということかしら。
まあ硬直化した思考で相変わらず、農奴だ封建領主だいうてはる人は今もいるけど、どこの国でもあのタイプの人は一定数いますから。合掌。
このブログに来て下さる方はみな意識が高いので、できるだけチベットのことを何もしらない素人さんに来ていただこうと、朝日カルチャーさんに集客をお任せしたら、現時点で10人(笑)。なのでもう素人さん集めるのは諦めました(前置きながっ)。
朝カルで上野のチベット展の解説します
時 10/10, 10/24, 11/7(土) 15:30-17:00 全3回
場所 朝日カルチャーセンター横浜(横浜駅ルミネ)
興味のある方、詳しくは以下クリック!
http://www.asahiculture-shinjuku.com/LES/detail.asp?CNO=50715&userflg=0
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で、ついでに先生の最新エントリー「夏の終わり」には、
<今から85年前の1925年、『シュールレアリズム革命』の見開き一ページの右手に「ダライ・ラマへの上奏文」左手に「ローマ教皇への決裂」がのせられた。>
と中ほどで始められ、その下に、これまた、面白過ぎるほどの引用が載せられています。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)