チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2009年9月22日

ドンプップ・ワンチェン解放キャンドルナイト/残された家族

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バス停で朝パンを売るラモ・ツォ主催者からのお知らせ:

9月23日(水・祭日)にトゥンドゥップ・ワンチェンさんの早期釈放を祈るキャンドルナイトが開催されます。

日時
  9/23(水・祭日)18:30 頃~20:30 頃
  ※来られる時間に来て頂ければ結構です。
  ※ちょっとの時間でも結構です。
  ※出来ればキャンドルを持参して頂ければと思いますが、手ぶらでも結構です。
場所
  笄公園(東京都港区南麻布3-12)

注意
  東京23区の公園では原則として火気厳禁です。
  笄公園のキャンドルは細々とやっていますので黙認してもらっています。
  当日も周りの迷惑にならないよう静かに行いたいと思います。

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ということでしつこくドンドゥップ・ワンチェンさんが残した家族の人たちの話と写真を載せます。

ドンドゥップの家族先の日曜日にラモ・ツォの部屋を訪ねると、狭い部屋兼パン工房には子供たちが一杯。
ちょうどこの日は月の第二土曜日、日曜日に当たり、普段は寮生活の子供たちが、行くところのあるものは外に出て、外泊しても良い週末だったのです。
うちにもいつものツェリン・ノルブが泊まりに来ていました。
とても嬉しそうに「今度の試験で3番になったんだよ!」と会うなり叫んでいました。

ラモ・ツォがTCVに送っている三人の子供、二男のテンジン・ノルブ13歳、長女テンジン・ダド11歳、二女ラモ・ドルマ9歳と姪のソナム・サンモ19歳、それに近所のこどもが二三人遊びに来ていました。
テレビはついてるし、子供たちは騒ぐしで、そのうちラモが「うるさすぎて話しができない」と近所の子供たちを追い出しにかかった。

お父さん似の長女お父さん似の長女テンジン・ダドに「お父さんのこと思いだす?」と聞く。
ダド「もちろん、思い出す。お父さんはやさしかった、いつも遊んでくれてた。早くまた一緒に遊びたい」
ラモ「子どもたちはみんなお父さんの方が好きなんだよ。お父さんは遊ぶばかりで叱るのはいつも私だったから」
私「何か特に思い出すことないかな?」
ダド「わかんないな、、、」
ダドは遊びに忙しく、こっちにかまってる暇がないというようす。
彼女や姪はビデオの中で沢山話してるからもうあえて聞かないことにした。

ラモの姪ソナム・ワンモ色白でとても可愛い姪のソナム・サンモは4年ほど前に亡命してきた。
そのあとスジャ・スクールにいたが、2008年3月ドンドゥップ氏が逮捕されたことを知ったラモが倒れたため、彼女を助けるために学校をやめてダラムサラに一緒に住むようになったという。
ラモに「倒れたって、どんなだったの?」
ラモ「病気になったのだ。食事も取れず、眠れなくて、弱って仕事ができなくなった」
私「それは病気というか、心が壊れたんだね」

実際、チベットではよく息子、娘、夫が逮捕された後、その父親、母親、妻が病気になり死んでしまった、という話をよく聞く。チベット人には精神病は昔から立派な病気だ。
私など冷たい人間は「本当かな?」と疑いたくなることもあるが、愛情が命のチベット人の間では、実際よくあることなのです。
監獄で拷問されているであろう娘のことを思うと(チベット人の)親は気が狂うのです。

ラモの部屋の前でラモに唐突に「ドンドゥップ氏とは(正式に)結婚しているのか?」
ラモ「してない。田舎なら両親、親戚を呼んで結婚式を挙げるということもあるだろうが、ラサだし、私には両親はいないしでそのまま一緒に住んでた」
私「じゃ、子供の戸籍はどうなってるの?」
ラモ「上のこども二人には戸籍がある。二人までは認められているから」
私「結婚してなくても、子供は戸籍がつくれるの?」
ラモ「今はダメみたいだけど、昔は問題なかった。田舎にいれば、3人目の子供が生まれればすぐに見つかって、強制避妊手術をうけさせられ、たくさん罰金を払わないといけない。
私の知り合いでお中の子が6ヵ月になって警察に見つかった。
すぐに病院に連れて行かれ、子供を下ろされた。そんな手術で死ぬ女の人もいる。
大体は二人目が生まれるとすぐに強制的に病院に連れて行かれ、避妊手術を受けさせられる。
子供については監視が特にきびしい」
私「中国はむちゃくちゃだね」

私「9月23日には世界中が旦那さんの解放のためにデモとかやるよ。日本でもやるしね。
大丈夫、必ず近いうちに解放される」
ラモ「そうならいいけどね、、、みんなが応援してくれて私は本当に恵まれてると思う。これも法王のお陰と思う」

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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