チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2009年9月5日

カムチュ・ドルマさんの証言

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ウルムチ 09.9.03ウルムチでは中国人が騒いでいるようです。
すでに数万人がデモに参加し、5人死亡とか。
これを「暴動」とは言わず死人が出ても単なる「デモ」と表現することは今のところ世界共通です。
もちろん発砲などしていません。
早くも自治区書記長も首になったとか。政府も漢族の言うことはすぐに聞くようです。

それにしても、ウイグル人グループなのかどうかはまだ確かではありませんが、注射針作戦とは本当にユニークです(決してほめているわけではありません)。
基本的には中国人はウイグル人に対する弾圧が物足りないと言いたいようです。
もっと素早くウイグル族はできればその場で射殺せよと言いたいがごとくです。
私は今も中国政府ばかりが間違った少数民族政策をとっているだけで、一般の中国人は常識的な良識ある市民だと思うようにしているのですが、もしかして政府を先導しているのは一般的漢民族なのかもしれません。

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話は変わって、
今は夏休みのせいでしょう、このところ日本から学生さんがダラムサラに大勢来られています。
そんな中でも今年の特徴はチベット関係を卒論なり、修論でやりたいので調査(がてら)に来たという学生さんが多いことでしょう。
それも、政治や社会学系で取り上げたいという人がすでに4人来た。
今までは、仏教関係か人類学、言語が中心でその人数もごく限られていたことを考えると、大きな変化で、それだけ去年のチベット蜂起が衝撃的だったということだと理解しました。
日本のみんながチベットを口にすることが増えれば増える程に、去年のチベットでの犠牲者の命や、今も苦しみの下にある人々の苦しみも甲斐があったというものだので、嬉しいことです。

日本のチベットの次世代を担う若者たちと言うことで、昨日はそんな学生さんと一人は歯医者さん、もう一人は若きドキュメンタリー作家を連れて、ノルブリンカ方面にスタディー・ツアー!に出かけました。

中の一人の女性研究者は女性問題を中心に調べているというし、ドキュメンタリーの女性も興味があるというので、そのあたりにいる女性の元政治犯にインタビューして回る予定でした。5人位はできるかな?と思っていたのですが、結局その日は時間が無く、一人しかできませんでした。

その一人の女性から聞いた話を以下に紹介します。
彼女はノルブリンカの裏でつい最近、他の二人の監獄仲間と一緒にチベット食堂を始めました。その店は通称「三人娘食堂」と呼ばれています。
丁度お昼時時だったので、その食堂に入り「ツゥクパ」や「チョーメン」を頼みました。
あいにく、その時には三人娘の内、一人は病院、もう一人は買い物ということで出払っており、一人しかいらっしゃいませんでした。

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カムチュカムチュ・ドルマさんはラサ近郊ペンボ・ルンドゥップ出身31歳。
ドルマさんは嘗て地元の尼僧院の尼僧であった。

1995年同じ尼僧院の仲間7人と共にラサで中国への抗議デモを行った。
彼女はその時17歳、他の尼僧たちも年は同じか下のものばかりだったという。
なぜデモをしたのかと質問すると「そのころ自分たちは中国が壊した昔の尼僧院を再建しようとしていた。地元のチベット人たちの家を回って寄付を募ったりしていた。しかし、中国は我々の尼僧院を再建することを妨害した。

私の家は貧しくて学校に行くお金が無かった。それでも何とか勉強したいと思い尼僧になった。でも中国は寺も建てさせない。私は両親から嘗てチベットでどんなことが起こったかを聞いていた。中国がどれほど酷いことをして来たかを知っていた。
チベットには宗教の自由、言論の自由、人権があると中国は言う。そんなものはどこにも無かった。私たちはその自由のなさに我慢が出来なかったのだ。みんな声を上げたいと思っていたのだ。でも普通の人に家族もあり難しい。だから自分たちが代わりにやったのだ。
自由がほしくて決心したのだ」と答えた。

デモの後はどうなったの?
「デモはジョカン正面から始め、<チベットに自由を!ダライ・ラマ法王に長寿を!>等叫びながら裏手まで半周した。そこで警官に囲まれ、袋叩きにされた。
近くの交番に連れ込まれ一時間ほど暴行を受けた。それからグツァ刑務所に連れて行かれた。そこで7か月間、尋問を受けた。最初のころは毎日で後には回数は少なくなった。

しかし毎回、尋問はつまり拷問だった。
いつもいつも、「お前はまだ若い。一人でやろうと思ったはずがない。誰が後ろにいる?誰が先導した?」と訊く。「誰に言われたことでもない。自分で決めたことだ」というと殴られる。いろんなもので殴られた。木の棍棒、ゴムの鞭、電気棒を使われたこともある。たばこの火を押し付けられたこともある。

ある時、もうこんなことを続けていては死ぬかも知れないということでみんなで相談して、自分ともう一人の仲間が先導したということに決めた。そのことを言うと、間もなく刑期が決定された。自分ともう一人が刑期6年。他の6人は刑期4年と言い渡された。もちろん裁判など何もなかった。

それからダプチ刑務所に送られた。毎日朝は軍隊式運動をさせられる。そのあと、羊毛を梳いたり、ビニールハウスの中で野菜に人糞を撒いたり、農薬を撒いたりの仕事や、長い間いろんな所から人糞を集める仕事をさせられていた。糞溜めに入ってバケツで人糞を掬うのだ。
少しでも監視員の気に入らないことがやると、強く殴られた。

自分はそのころ腎臓や肝臓が弱っており仕事や朝の運度は辛いものだった。
でも、最初デモを決心したときに死ぬ覚悟はできていた。死なずに生きているだけでも幸運だと思っていた。辛い時には法王に祈った。
後悔はしていない。

2001年刑期を終えて村に帰った。しかし、身体は弱っており、病院に行かなければならない状態だった。でも病院に行くとお金を沢山払わないといけない。家は貧乏だった。身体のことも思い、2004年思い切って亡命することを決心した」

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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