チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2009年8月25日

ポタラ宮東西両側に地下道を建設

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以下24日付ウーセルさんのブログを細野様が日本語に翻訳して下さったものです。

ウーセル女史のブログより、<ラサには地下道も陸橋も不要!>

http://woeser.middle-way.net/2009/08/blog-post_24.html

先週木曜に新華社が報道した
「ポタラ宮東西両側に地下道を建設」のニュースは多くのチベット人を驚愕させた。
いわゆる「都市の新たなページが開かれる」この事態が何を意味しているのか、
それは想像し難いものである。
それは地下道と陸橋を備えたラサが更なる現代化を果たしたことを意味するのか?
もしくは日に日に低俗化する都市を築き、ラサが腐敗し、
ポタラ宮という大きな代価を支払って
二度と戻れない地獄へと落ちていくことを意味するのだろうか?

偉大なポタラ宮は千年もの歴史の中でチベット民族と共に築き上げられてきた。
そして続く、かつて経験したことのない変動の半世紀の中にあっても、幸い在り続けてこられた。
そんなポタラ宮は今では、目を奪うばかりに鮮やかだ。
昼間は鮮やかな花々、彩色旗で飾られ、
夜はあたかも仙界に足を踏み入れたかのようなまばゆい光に照らされ、
「ようこそラサへ」 「列車に乗ってラサへ行こう」などのような陽気な歌謡曲を響かせて
かつて神聖な場所であったポタラ宮はまるでディズニーランドか或いは
北京動物園のようなテーマパークへと変貌してしまったかのようだ。
毎日絶え間なくやってくる参拝者はすでに6000人に達し、
もともと土木建築ということもあり、
また1959年には砲撃を受け、文化大革命では「防空壕」が掘られたポタラ宮が、
どうして日々大量の足で踏みつけられて耐えられようか?
雷でも鳴っているかのような騒音や
市場のように至る所で見受けられる痰の跡にどうして耐えられようか?
答えは簡単である。
ポタラ宮は重荷の下で世の辛酸をなめ尽くし、
耐え切れなくなるまで悲劇を繰り返すのだ。

1994年ポタラ宮はユネスコにより世界文化遺産に認定されている。
これは計り知れないほど素晴らしい出来事であり、
危険が迫っていたポタラ宮を保護できたことでもある。
そのうえ「世界文化遺産」とはただポタラ宮―今は孤独な建築物―だけを指しているのではなく、
周辺の相互作用によって生まれた調和のとれた景色をはじめ普遍的価値のある建築群を含んでいる。
それゆえに粗暴で、無知で、貪婪な“減少”と“増加”は補いようのない過ちを招いてしまった。
たとえば1996年、1100年続いた雪村のポタラを(模したもの)を失ってしまった。
また、2002年にはポタラ宮の向かい側に立派な“チベット平和解放記念碑”が建造され、
この時よりチベットの自治権実現はさらに厳しいものとなっていった。

2007年にはポタラ宮は世界遺産委員会より
行き過ぎた観光収益の追求、
思いのままに開発し責任を担っていないとの理由で警告(イエローカード)を受けており、
将来“世界遺産”の称号が剥奪される可能性がある。
しかしチベットの政府当局はこの警告をまったく気にも留めていない様子で、
かえって輪をかけて悪化し、今ではあろうことかポタラ宮の両側に地下道を建設している。
「車両も旅客も増え、参拝者も多く、時間帯によっては車両が多く行き交い、
交通に隠れた弊害が生じるようになっている」というがこのような理由は成り立たない。
ラサは何も車のための場所でも旅客のための場所でもない。
チベット独特の宗教・人文・景色のある仏を拝むものたちの庭である。
いつも“人民のために”と口にする権力者たちがどうしてこのように民衆を無視するのか?

参拝者の多くが足の衰えた老人であり、
さらには遥か遠方かラサまでやってきた巡礼者であることを理解するべきである。
地下道や陸橋の上り下りが老人にとって便利なことになるだろうか?
もしも政府が本当に“人民のため”を実現したいのであれば、
それならばどうして車両を迂回させることができないのか?

古都ラサの風景、人文、生態に対して計り知れない、また許されない罪を犯している
「現代化」なるものを阻止するようユネスコへ訴えかける。
ラサは地下道も陸橋も必要としていない。
必要なのはチベット人のための道だ!

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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