チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2009年8月15日
ブルー・ポピー
日本はお盆。私も広島に帰り墓参りしないといけないが、ちょっと遠いので、その代でもありませんが、12日からちょっと遠出をしていました。
山へ花を写真に撮るために行ったのです。
と言っても歩いたのではなく、近場で車で行けて、花がいっぱいの場所、ロタン峠まで友人の車を借りて、一人で走って行ったのです。
ヒマラヤの彼岸花<ブルーポピー>を求めて出かけたというわけです。
12日朝7時にダラムサラを出て、午後4時にロタン峠下のマリという3400mの村まで行った。
そこで一泊し、次の朝早く暗いうちに峠に向けで、小さなおんぼろ車を走らせた。
前の日には朝から走らせたうえに最後に登りが続き、高山症状もあってかマリの前でオーバーヒートでエンストしてしまった。
それが、マリから4000mの峠まで10数キロの道のものすごいこと、車は激しく揺れどうし、車高が低いのでいくら避けようとも腹を擦る、ぬかるみでスリップする、流されそうな川を渡るおと、ワイルドこの上ないドライブだった。
それでも何とか峠まで登った。
青い小さな800ccの車をほめてやった。
やはり合弁とはいえ日本の車はすごいと思った。
峠から北を見渡せば、雪山の連なりの向こうはザンスカール、そして法王が今滞在されているラダックの山々も見えそうなほど。
峠を下り、後二日走ればラダックまで行けるはずだったが、途中には5000m級の峠もあり、この車では無理と判断したのです。
というか、時間もないし?今回はここまでと決めていたのです。
今はモンスーンの真っ最中。花はあっての山は見えないのが普通。
それでも近くの6000m級の立派な頂きが何峰か見えたりもした。
花を求めてまずは峠の東の尾根に向かった。馬が沢山放牧されていた。
気持良いお花畑は広がっていたが、肝心のブルー・ポピーは見つからなかった。
そこで、次にヒマラヤ薬草の権威チベット医学の小川先生にこっそり教えて貰っていた、ロタン峠下の岩場を目指した。
話の通りそこでかなりの数のブルーポピーに出会うことができました。
プルーポピーは傾斜のきつい崖や、岩場の途中、特に洞窟入り口当たりの岩を好んで生えています。
中でも水飛沫の降りかかる岩場に三段重ねに水色から赤紫への色の変化をすべて見せながら咲いていたポピーは一番の景観でしょた。
その他にも、もちろん私はまだこの分野では素人だから、初めて見る花もたくさんありました。
半日で55種類の高山の花の写真を撮ることができました。
全部紹介したいぐらいだが、ブルーポピーを中心に少しだけ何回かに分けて載せるつもりです。
下りにまた、大揺れし、マナリを通過し、その日マニカランという山間の温泉地にやって来ました。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)