チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2009年8月11日
ドンドゥップ・ワンチェン氏とその妻ラモ・ツォ
昨年3月「ジクデル(恐怖を乗り越えて)」と題された、チベット人たちへのインタビューをまとめたビデオを制作したとして逮捕され、監禁の身にあるドンドゥップ・ワンチェン氏の解放運動は亡命政府、アムネスティやSFTが中心となり世界中で盛り上がりを見せています。
今月初めには公判が開かれるのではないかと思われており、ダラムサラでも7月31日にドンドゥップ・ワンチェン氏の妻ラモ・ツォを招いて、集会を開きキャンドルライト・ビジルが行われました。
以下のサイトにアクセスすれば、署名運動に参加できます。
是非とも、まだ署名されてない方は署名お願い致します。
http://www.sftjapan.org/nihongo:filmingfortibet
http://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=2543
以下はラモ・ツォさんが夫の解放を訴えるビデオです。
彼女に今日の朝、会って来ました。
彼女はマクロード・ガンジのバス停付近で朝6時頃からチベット・パンを路上で売っています。
実は前から、顔見知りではあったのですが、彼女がドンドゥップ・ワンチェン氏の奥さんだったとは最近まで知りませんでした。
彼女の隣に座り、チャイなど飲みながらゆっくり話をしました。
女の子が二人そばにいたので、「ラモさんの子供?」と聞くと
そうだという。年は11歳と9歳。
目の前にTCV行きのバスが停まっていて、もうみんな乗って発車しようとしている。
「学校に行かないの?」
「今日は学校には行かないよ。病院に行くんだよ」
「どうしたの?」
「目が痛いから」という。
子供は後二人16歳と13歳の男の子がいるという。
一人はムスリ、もう一人はダラムサラのTCVに通っている。
上の子どもたちは2000年に、下の子供たちは2005年に先にインドに送ったという。
ラモ・ツォ自身は2006年にインドに亡命してきた。
夫の両親も2007年にインドに逃れてきた。
彼女の両親は子供のころ亡くなりいないという。
ドンドゥップ・ワンチェン氏だけが一人チベットに残っていたという。
彼も一度1992年頃インドに逃げたことがあるが、再びチベットに帰っている。
二人はアムド、ラプランの出身だが、インドに来る前10年間ほどラサに住んでいた。
里にいる時はただの農家だったという。
ラサに出てからも街で二人でヤク・バターを売って暮らしていた。
二人とも一度も学校には行ったことがないそうだ。
まず、「最近連絡は有るか?裁判は開かれたのか?」と聞く。
「全く何の知らせもない。心配している」
「逮捕された後、中国に行ったのか?」
「行ってない」
「家族が弁護士を雇ったというが、誰が雇ったのか?」
「それは夫のお姉さんだ。弁護士は一度だけ夫に会えたという。その時、拷問にあったことや、B型肝炎に罹っている、とかの話を聞いたみたいだ。夫は、依然は全く健康だった。B型肝炎などではなかった。きっと監獄で酷い仕打ちをうけて、食事も足りなくてそうなったのだろう。刑務所で治療を受けているとは思えないし、、、
弁護士は、夫にはまったく罪と言えるものがない、と言ってたという。」
「こちらに逃げてくる前とか、その後とか、彼はあんなビデオを作ろうとしてる話とかをしなかったのか?」
「全く知らなかった。彼は昔から写真とかは好きだったが、ビデオを撮ることはしていなかった。どこで習ったのかも知らない。昔から人を助けることは好きだった。よく人の面倒を見ていた。チベットが自由になればいいとも思っていただろう。でも、あんなビデオを作って、こんなことになるとは思ってもいなかった」
「夫婦で話をしないのか?」
「アムドの女は男たちの話に口を出さないことになっている。食事の時も一人で台所で食べるのだ。だから、夫婦の間にも知らないことはたくさんある」
「良くないね。日本も昔そうだったけどね。ウツァンやカムはそうでもないのかな?」
「ウツァンの女たちは違う。逆に男を使ったりしてる。カムは半々かな、、、」
「子どもたちはお父さんのことを話すか?」
「いつも、パーラはどこにいる?いつ会える?と訊く。内の子供たちはみんなお父さんのことが好きなのだ。
私は子供たちを叱ってばかりだが、夫は全く怒らなかったからだろう」
「大丈夫。今世界中でドンドゥップ・ワンチェンの解放運動をやっている。日本も頑張ってる。前にもこうした運動で中国の刑務所から解放されたチベット人はいる。有名になれば、中国もそうそう好きにはできないからね。」
と言っておきました。
嘗て、ガワン・チュペル氏という同じく映画監督/音楽家であった人が18年の刑を受けたことがありましたが、その時も彼の年老いたお母さんが一人で必死の訴えを世界中で続け、6年後ついに息子さんが解放されることになったのでした。
今回も健気に道端でパンを売るラモさんに頑張ってほしい、応援したいとおもいました。
最後に彼女が毎朝1時に起きて作っているという、まだ温かいおいしいチベッタンブレッドを5つ買って帰りました。
「ジクデル」部分
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)