チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2009年7月16日
内に遊びに来る子どもたち、その二
ツェリン・ノルブの話の続きをもう少し。
家に泊まった次の日の朝早く、バイクに乗って二人でTCV病院に行った。
彼の寮仲間の一人が結核になってそこに入院したので見舞に行きたい、と家に来た時から言っていた。
町を通り過ぎようとしたとき、ノルブが「何か買っていったほうがいいんじゃない?」と言う。確かに、手ぶらで見舞に行くというのは日本でもよろしくないが、チベットでもそれは同じなのだ。それにしても、よく気が付く子だわい、と思った。
バナナとマンゴーを他の子供たちの分もと沢山買い込んだ。
TCV子供病院の中でも結核の子は一応中庭を隔てた病棟に隔離されていた。
そこは男の子ばかりで、高校生ぐらいの子が多かった。何部屋にも分かれていたが、およそ15人ぐらいいたと思う。
ノブルの友達はその中でも一人部屋に隔離されていた。
良くわからないが、彼は7か所結核菌に侵されているとかで、やせ細り、元気はなかった。
かなり重症と思われた。
それでも、ノルブが部屋に入って行くと、喜んだ顔になってベッドから起き上がった。
それから、しばらく二人で仲良く話をしていた。
ちょっとだけだが、みんなマスクもしていないしで、私は(経験者だから)まだしも、弱っちいノルブは大丈夫かな?と思った。
もっともスジャ・スクールには結核の子は沢山いるとか。
この辺では軽度の結核患者は隔離などしないものだ。
この友達とも彼がここに来るまではきっとノルブも一緒に寮で寝起きを共にしていたのだから、罹るものならもう罹ってるということでしょう。
彼が早くまた元気になることを願います。
ーーー
ペマ・デキ18歳。
子供という年齢ではないが、9歳ぐらいから知っているし、とにかく今も背が低いこともあって子供なのです。
この子は亡命してきた子ではなくインドで生まれたのです。南のキャンプで生まれたが、家があまりに貧しいので、ダラムサラの親戚のおばさんの家に預けられていました。
しかし、このおばさんには問題があったのです。
この子は近所でも有名でした。いつも、顔に殴られた跡があり、暗かったのです。
おばさんは犬狂でした。7,8匹の大きな犬を飼っていました。
この子は犬の世話係で、朝早くから犬にやるためのたくさんの内臓を買うために肉屋に行かされ、学校が終わってからもすぐにいろいろな仕事を言い付けられるのです。おばさんは犬は殴らないが、子供はすぐに殴る。犬には肉とかもやるが、その子には決して肉をやらない。
その殴り方がひどく、悲鳴が近所まで聞こえてきたという。
私はそれまで「チベット人はほんとうによくみんな子供を可愛がる」と思っていたので、この話には最初驚いた。
その子を見つけ、話をした。
確かに殴られた跡がある。なかなか話したがらない。ただ「犬の世話をしないといけない。料理や洗たく、買い物で忙しいよ。勉強の時間はない」と言っていた。
近所のチベット人たちは、「ほっておいたらあの子は死んじゃうよ、あのババアは普通じゃないよ」と大袈裟なこともいう。
それで、何とか出来るかなと思い、おばさんと話をした。
「ルンタがこの子のスポンサーを探してTCVの寮に入れてもらうというのはどうか?おばさんはもうこの子のために金を払わなくていいのですよ」と持ち出したが「犬の世話係がいなくなると困る」と強情でうまくいかなかった。
そこで、奥の手を使い、町の大物を介することにした。おばさんはその後了承した。
普通は保護者がいる子供はTCVの寮には入れないのだが、これもTCVに事情を話し、了解してもらった。
そして、それからいままで10年近く、日本の方にずっとスポンサーして頂いています。
毎月第二土曜日になると「チョーラ・タシデレ!」と元気いっぱいの声で家のドアを叩き、顔を出す。いつも、友達が待ってるからといって、長くはいない。
この子はあんなに暗かったのにと見違えるほどに明るくなった。というか、ほとんどどこかが切れてるんじゃないかと思うくらい、明るい。
まず、座らせ、さっそく最近発表されたはずの試験結果を聞く。
「この前の試験は何パーだった?」
「へへへ、、、今度は下がったよ」
「いくら?」
「52%だったよ、、、」
「何と!ぎりぎりじゃん」
悪びれもせず笑い続けている。
「そういえばもう来年は卒業じゃなかったっけ?」
「そうだよ、後半年ぐらいだよ」
「50を切ったら終わりだね、、、、で、卒業したらどうするの?この成績じゃ大学は難しそうだよね」
「きっとキャリアコースに行くよ」
「何そのキャリアコースって?」
「看護婦とか、ビジネスとか、コンピューターとかだよ」
「何か、それは専門学校のようなものだな。それにしてもその成績じゃTCVからお金でないよね、、、、は、先のことにして、ま、頑張ってまずは卒業してくれよな」
とここまで来ると、「じゃチョーラまた来るよ。友達が待ってるから」と風向きが悪いと感じたか、もう帰ろうとする。
いつものように急いでちょっと小遣いをやって見送った。
昔のこの子の姿を思うと、勉強少しできなくても、明るくて元気いっぱいだから、これで十分だ、と思うのでした。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)