チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2009年7月6日
法王のお誕生日
今日はダライ・ラマ法王のお誕生日ですが、ご本人は昨日デリーに向けダラムサラを発たれました。
今日、デリーでは元首相のDr. A.P.J. Abdul Kalam氏をはじめ所謂インドのヒマラヤ州と呼ばれる、Jammu & Kashmir, Himachal Pradesh, Uttrakhand, Sikkim and Arunachal Pradeshの各州州知事が一堂に法王を祝福するためにデリーに集結しているそうです。
もっともジャム・カシミール州とシッキム州の州知事は急用で参加できないかもしれないということです。
それにしても、このようなイベントは初めてです。
大体法王はシャイ?だからご自分の誕生日会にはお出にならないのが通例でした。
さぞ、盛大なインド・チベット友好イベントとなるでしょう。
法王はデリーの後はスピティに向かわれます。
このダラムサラではギャマ・カルマパを主賓、オーストリア議会議員6人を副賓に向かえ、去年は自粛だった踊りと歌を中心に明るい誕生日会が行われました。
オーストラリアからの議員団はすでに一週間ほどダラムサラに滞在されています。
もちろん、中国政府はこの議員団訪問を強く非難しています。
代表は下院議員のミハエル・ダンベイ氏で、全面的にチベットを支援すると力強い演説をされ、ダラムサラのチベット人から大きな拍手を受けていました。
メンバーの中に若い女性が二人いらっしゃいます。
そのうちの上院議員サラハ・ハンソン・ヤング女史は何とたったの27歳!だそうです。
いつの日か日本でもこんな若い女性議員が現れるのでしょうかね?
それに比べ、日本じゃないがチベット亡命政府の大臣たちも年寄りが多いこと。
議員団と言えば、ネパールからも同じく若い女性議員を含めた6人が最近ダラムサラに来られ法王と会見されました。
このことに関連し、以下のブログに最新ネパール情報として
http://blogs.yahoo.co.jp/nepal_journal/59910227.html「チベット人がムスタンに集結している。アメリカ、中国の在ネパール大使が相次いでムスタンを訪問している。何が起こるのか、、、?」と云った趣旨の記事が載っていました。
そこで、踊りを見てる最中に政府スポークスマンのサンペル氏が隣に居合わせたので、話のタネにこのネパールの話をした。「何か聞いてるか?」と聞いたが、誕生会の冗談としか取ってもらえませんでした。
さて、今年の踊りグループは10組ほどで、ほぼこの辺の各学校対抗歌舞合戦の様相を呈していました。
一番人気はもちろんユンリン幼稚園の子供隊。
新しく亡命してきた成人のための学校、ソガ・ロプタの生徒たちは激しい輪舞を披露していました。
ところで、法王のお誕生日にとても大きなニュースがBBCとかで流されています。
「ウルムチで数千人のウイグル人たちが蜂起し軍隊の弾圧で140人の死者、800~1000人の負傷者が出た」ということですが、これはもちろん新華社伝ですから本当の死者はこの数倍の可能性があります。
ラサの時は亡命政府発表200人、ラサ市民の噂500人に対し新華社は21人と言いましたから、これから察すると、、、デモは一万人規模、死者の数も、、、膨大、ということも有り得るでしょう。
無差別発砲したに違いありません。
というか、ターゲットとなった中国人の犠牲者が多かったということか?
BBCでも殴られ、道端で血まみれになって倒れていたり、若い二人の女性が頭から血を流しながらかばい合っているというシーンが流されています。
これも、良く見ると中国人のようです。中国人がこんなにやられたのだ、というつもりだと思います。
今回の暴動の原因について市政府は、「広州の玩具工場で先月起きた漢民族とウイグル族の衝突で、ウイグル人2人が死亡した事件が関係している」としているそうだが、起こるべきして起った中国政府のウイグル人に対する、宗教、文化弾圧、民族差別が根底にあることはチベットと全く同様です。
それにしても、これがカシュガルで起こらずウルムチで起こったことも、ラサを思わせます。
ウルムチはカシュガルと違ってラサのようにウイグル人は町で少数派に転落している。嘗てのシルクロード情緒豊かな古い町並みもすっかり壊され見た目は完全に中国人に占領されつくしている。
ウイグル人にもウイグル文化滅亡の危機感が増大しているのでしょう。
ウイグルでも衝突があったが、報道はしてもらえないが、チベットでも相変わらず
市民と軍隊の衝突発砲による負傷者も出ているのです。
先の7月1日のブログ
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51216211.html
でもお知らせしたカム、デルゲ、ジョダ地区での衝突に関連するニュースが短く入っています。
http://www.tibet.net/tb/flash/2009/july/070709.html
7月1日のブログでは「なぜ、タクルン・ゴンパに僧侶が一人もいなかったのか?」が解らないとコメントしましたが、別の記事に「このゴンパに当局が愛国教育キャンペーンのために入ったので僧侶が逃げた」とありました。
6月29日には同じ地区のゾブ・ゴンパに所属する土地を政府が取り上げようとしたことに反対して500人ほどのチベット人が集まり抗議デモを行った。
これに対し大勢の軍隊が押し寄せ、デモ隊を解散させたという。
他に、ネド・ゴンパ、テルトゥン・ゴンパ、ギュネ・ゴンパの僧侶たちに軍人たちが銃を無理やり持たせ、一緒に写真を撮って回っているという。
地域のチベット人たちはその写真を何に使うつもりなのか?と訝っている。
このようにジョダ地区では地元のチベット人、ゴンパと当局との緊張が高まっているという。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)