チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2009年7月4日

冬虫夏草は金より高値

Pocket

冬虫夏草採り冬虫夏草は実はこの前行った、ネパールのランタン谷でも採集されていました。
もっとも地元のチベット人たちは加わらず、もっぱら下の方から来たネパール人がやっていました。人数は多くないようでした。
そんな採集人の一人が同じ宿に泊っていました。

話を聞くと「時には一日中探して一本も採れないことがある。大体1~2時間に一本だ。ずっと地面に顔をつけて探してると、肩が凝る、腰が痛い、目が痛む。楽な仕事じゃないよ。どうだ、一本買えよ。食べてみろ」と20本ばかりの冬虫夏草を見せられた。
「一本いくら?」
「相場では100ルピー(120円)ぐらいかな?」
「へえ、、、安いね、、でも要らないよ。虫を食うのは嫌いだしね」

ということだった。

この辺のチベット人が最近実家に電話しても、「おとうさんやおにいさんはみんな山に冬虫夏草採りに出かけていない」ということだそうです。

とに角今年は雨が少なくて、今までのところ、まるで採集は不調だそうです。
マンカム(マルカム)辺りでは、これは山を掘りかえし、木を切ったりしたから、山の神が怒っているのだ、ということになっているそうです。

冬虫夏草は金よりも高く取引され、今やチベット自治区だけでも現金収入全体の40%を占める大収入源なのだそうです。

チベット人が苦労してディクパ(不徳)な行いと知りつつ山を這い廻り、一本100円そこそこで売られる冬虫夏草がどこで金より高い虫になるのでしょうか?

以下、少し長いですが、冬虫夏草に関する記事、東京のダライラマ法王事務所のホームページより転載させて頂きます。

写真はどなたかのチベットの花関係のページから頂いたのですが、すみません、もう一度探せなくなり、写真元は不明です。

ーーー

冬虫夏草冬虫夏草 - チベットの地下の資金源  2009年7月1日

http://www.tibethouse.jp/news_release/2009/090701_tochukaso.html
2008年2月14日、青海省Golog (中国名:Goluo)チベット自治県は、本年から冬虫夏草(Cordyceps sinensis)採集のために外部者が同自治県に入ることを認めないことを正式に発表した。この方針は、1990年代後半から規定されていたものの実施されておらず、自分たちの資源が外部からの多数の採集者により毎年盗まれていることを知る地元のチベット人を失望させていた。ただし、自治県当局はこれらの外部者に課す採集料金を引き上げ続けて、これは多くの場合、公式の地元の歳入の何倍にもなっていた。

この発表は冬虫夏草の季節に先立ってなされた。この季節は、まずチベット東部(現在の行政区分では四川省、雲南省、青海省)で通常5月に、その後チベット中央部、ヒマラヤ地域(チベット自治区、TAR)で同月末にかけて始まる。この季節はいずれの地域でも40日ほどと短い。この採集時期には誰もが山でキャンプし、高地の草原を冬虫夏草 を探して歩き回る。

冬虫夏草は、冬の間に地中で昆虫の幼虫に寄生してその栄養分を摂取し、夏になって棒状に発芽して地面に姿をあらわすキノコの仲間で、その様子から「冬虫」 「夏草」という名がついたと言われている。

指の長さほどのこの奇妙な菌類は、コウモリガの幼虫の頭部から生える鉛筆ほどの太さの茸状の子実体を持つ。健康な幼虫は地中深く冬眠するが、この菌に感染した幼虫は、この菌類が地上に生え出て胞子を播きやすい地面近くに潜る。採集者はこの幼虫と子実体を掘り出す。幼虫の状態が子実体より重要だと考えられている。チベット人は一般にこの幼虫=菌をbu(「虫」の意)と呼ぶ。チベット語の正式名称であるYartsa Gunbuは「夏草、冬虫」を意味する。大きなものであれば1つ、そうでなければ2つまたは3つのbuを見つければ、 きつい道路工事1日分の収入になる。5つから25程度を見つけることも普通である一方、まったく見つけられないことも、何百も見つけることもある。1つ3~50元(48~800円)、平均すると8~12元(128~192円)で販売される。この価値連鎖がチベット山岳部の草地の採集者と、ナクチュ(中国名:郡曲)、チャムド(中国名:昌都)、ジェクンド〈中国名:玉樹〉、ダルツェンド(中国名:康定)などの県の中心である郡都や地域や省の首都ラサ(中国名:拉薩)、シリン〈中国名:西寧〉、成都の市場、そして中華人民共和国(中国)内外のほぼ中国人で占められる消費者とを結びつけている。

西洋ではM.J. Berkeleyが1843年に冬虫夏草について Sphaeria sinensisと記述した。Berkeleyが形容辞sinensis(ラテン語で「中国の」の意)を使用したのは、冬虫夏草を中国沿岸地方の市場で入手したためで、チベット高原原産と知らなかったのは明らかである。冬虫夏草の採集、販売、使用はチベットでは長い歴史がある。ヤルツァ・グンブの名前でCordyceps sinensisに最初に言及したものとしては、Zurkhar Nyamnyi Dorje(1439~1475年)による「Oral Instructions on a Myriad of Medicines(多数の薬に関する口授)」が知られている。チベット伝統医学では、冬虫夏草はその他のいくつかの強壮剤と同じく「薬のエッセンス(ツィメン)」と考えられており、免疫システムを含む健康の増強、男性の性的能力向上、腎臓、肺、心臓の不調の治療のために処方される。また昔からB型肝炎の治療にも用いられている。非常に効果がありながら副作用がないとみなされているのが、チベット伝統医学における冬虫夏草の大きな特徴である。

近年では、伝統的なチベットの自給自足経済のための「土台となる種」であるヤク同様、冬虫夏草はチベットの農業生活において中心的なものとなっている。地方のチベット人や、都市において社会から取り残されたチベット人が、21世紀の現金経済を利用する機会を冬虫夏草が生み出している。冬虫夏草の市場は中国、香港、台湾、シンガポールの中国人消費者の需要により動いている。これらの国や地域では、冬虫夏草はもとのチベット語名からの訳語であるdongchong xiacao、またはより短くchong cao(直訳すると「虫草」)として知られている。中国伝統医学では冬虫夏草の最も古い記録は17世紀後半に見られ、dongchong xiacaoはチベット伝統医学と同様の健康上の問題のために処方されている。また冬虫夏草は中国伝統医学において肺の治療薬として使用されるため、2003年のSARS危機の際にはその価格は倍になり、流行の贅沢品、高級レストランや派手なディナーパーティで提供されるすばらしい料理のステータスシンボルとなった。さらに、一般的な中国人の考えやマーケティングによると、冬虫夏草の消費者はある意味でチベットの「清浄さ」と「神秘性」を自らに取り込んでいることになる。

中国において18世紀初頭には既に、冬虫夏草の貨幣的な価値は同量の銀と同じであった。しかし、1950年代の中国のチベット地域占領後の動乱期に、その価格は暴落した。1960年代から1970年代にかけて、チベット高原の商取引は国家部門に独占された。地方のチベット人は、強制的に割り当てられた採集高を満たさなければならず、公的なルート以外での取引は非常に危険であった。このような状況のため、需要は抑制され、冬虫夏草の市場は非常に不安定になった。しかし1980年代の経済自由化に伴い、その価格は上昇し、採集は地方の人々にとって再び魅力のあるものになった。

1997年から2006年にかけて、冬虫夏草の価格は500%上昇した。すなわち、採集者と仲介業者にとって、毎年平均20%以上の上昇である。現在ラサでは1キロの乾燥した冬虫夏草の価格は、品質により2万~8万元(32万~128万円)である。2007年の最高品質の冬虫夏草の中国沿海部での小売価格は1キロ24万元(384万円)であり、金よりも高価である。1999年から 2004 年にかけてのTARの冬虫夏草の生産は年35~50トンであると報告され、チベット高原全体での年生産量は100~200トンと推計されている。生態学者Daniel Winklerによるチベットの冬虫夏草に関するウェブサイトによると、冬虫夏草の採集と販売がTAR全体の現金収入の40%を生み出しているという。一級の産地では世帯の現金収入に占める割合は70~90%にも昇る。このように、冬虫夏草は現在のチベットの地方に住む人々にとって、唯一かつ最重要の現金収入源となっている。2004年には冬虫夏草によるTARのGDPは少なくとも18億元(288億円)に達し、これは公式のチベット統計年鑑の数字から計算すると、第1次産業(農業、畜産業、林業)の42%にあたり、第2次産業(工業と鉱業)を20%近く超えている。すなわち、地方のチベット経済は現在のところ多くをこの菌類に頼っている。地方であるチベットを中国本土の経済に組み込むという、北京政府の描いた50年におよぶトップダウンの開発計画のなし得なかったことが、この10年間の冬虫夏草の取引による現金流入により実現されたことは注目に値する。冬虫夏草の取引による現金収入は地方経済を発展させ、このことは地方であるチベットの全体的な商品経済化の中で明らかになった。馬飼いが自分の馬をバイクと交換していることが、経済的な統合を表す象徴である。

上昇し続ける価格のために、チベット人はいっそうこの小さな菌類を求めて春から夏にかけて高山にある広大な草原をくまなく探しまわる。TARチャムド県Dengchen(中国名:Dingqing)郡の当局者によると、同郡では、冬虫夏草が唯一かつ最重要の現金収入源であるため、住民の60%を冬虫夏草の採集に動員している。冬虫夏草の経済的な重要性が確実に増す中、同様の組織的な取り組みを行う郡は年々増えている。TAR、四川省、雲南省、青海省の多くの郡では採集許可が必要で、採集料金も課しており、地元住民の料金が40~400元(640~6400円)であるのに比べ、青海省南部では外部からの採集者の料金は4000元(6万4000円)であり、これはTARの地方の一人当たりの年収の倍である。青海省当局の調査によると、これらの料金は中国人イスラム教徒(回族)、中国人(漢族)、また他地域からのチベット人を含む数十万人にのぼる移民である採集者に課される。

採集地域への出入りに関する住民間の争いや、密猟者とみなされることの多い移民と住民間の争いが暴力的な衝突に発展することもあり、毎年死者が出ることもある。例えば、青海省のジェクンド〈中国名:玉樹〉、Zatoe(ピンイン表記:Zaduo)郡では、2006年に県当局者が、牧草地の使用権を持つ住民に利益を分配せず、数千人の移民である採集者に高価な採集許可を販売し、これらの草原への出入りを許可したことが、地元民の大きな怒りを呼んだ。

また採集の持続性が大いに懸念されている。専門家や政府機関は現在の採集料金と許可以上に、当面の収穫と優遇規制の持続性について懸念を持っている。中国では冬虫夏草は第2種保護種であるが、これは現実的には単に輸出のためには特別の許可が必要であることを意味する。2006年4月に初めてTAR全体にわたる冬虫夏草の採集と保護に関する規制が中国語で発表された。これらの規制では郡当局が生産の記録を保存し、生産地域の詳細な計画を立てることを定めている。さらに管理計画の策定と、郡発行の採集許可の基準作りを提案し、採集時期に「調和を保つ」ことが当局の責任であることを強調している。これは冬虫夏草の採集地に関する権利を巡る採集者の毎年の暴力的な争いへの明確な言及である。この規制に続き、2006年12月にはTARの会議でこれらの問題への取り組みがあり、実施の枠組みが作られた。これらの取り組みが実を結ぶかどうかを判断するのは、まだ時期尚早である。

全体として、冬虫夏草の自然個体群に関する現在の圧力により、多くの採集者が問題であると指摘しているように、個々の採集者の収穫額は明らかに下がっている。今のところまだ冬虫夏草は何世紀にもわたり採集されている地域に分布している。採集者の報告している個々の採集者による採集額の低下が、全体的な産出減を意味するのかどうかは、ますます多くの人が採集を行うようになっているため、不明である。また、政府統計の信頼性に関する独立した調査による検証も行われていない。最近イギリスの新聞ファイナンシャル・タイムズ別号で冬虫夏草属の専門家であり、自然の産地の破壊を観察してきたとされるYang Derongが引用された。しかし、年の生産量に関する信頼できる基本的なデータはなく、採集期の売り圧力の影響についての現地調査結果も得られていない。毎年増加する収穫期の圧力と信頼できる監視の欠如を考えると、冬虫夏草の長期的な生産性のためには、政府資金により調査を行い、しっかりした管理戦略を策定する必要性があるのは明らかである。冬虫夏草の生産の崩壊、またこれまでほとんど成功していないが、人工的に菌に感染させた幼虫による人口栽培への移行による価格の下落は、社会に置き去りにされている地方のチベット人コミュニティに壊滅的な影響を与えるであろう。

冬虫夏草は、冬の間に地中で昆虫の幼虫に寄生してその栄養分を摂取し、夏になって棒状に発芽して地面に姿をあらわすキノコの仲間である。その様子から「冬虫」 「夏草」という名がついたと言われている。世界中で400種類以上が知られているが、その中でもチベット高原産冬虫夏草が、良質とされている。強烈な紫外線、薄い空気、激しい気温差、風雪、乾燥といった過酷な環境にさらされ、積雪が残る5~6月に雪をかき分け地面をはうようにし、地上に出ているわずか数ミリ~数センチのものを見つけ採取する。1日に数本しか見つけられない、年間を通した採取量がわずかな、大変貴重な「冬虫夏草」である。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

ちべろぐ

Archives

  • 2018年3月 (3)
  • 2017年12月 (2)
  • 2017年11月 (1)
  • 2017年7月 (2)
  • 2017年5月 (4)
  • 2017年4月 (1)
  • 2017年3月 (1)
  • 2016年12月 (2)
  • 2016年7月 (1)
  • 2016年6月 (1)
  • 2016年5月 (9)
  • 2016年3月 (1)
  • 2015年11月 (1)
  • 2015年10月 (2)
  • 2015年9月 (4)
  • 2015年8月 (2)
  • 2015年7月 (14)
  • 2015年6月 (2)
  • 2015年5月 (4)
  • 2015年4月 (5)
  • 2015年3月 (5)
  • 2015年2月 (2)
  • 2015年1月 (2)
  • 2014年12月 (12)
  • 2014年11月 (5)
  • 2014年10月 (10)
  • 2014年9月 (10)
  • 2014年8月 (3)
  • 2014年7月 (9)
  • 2014年6月 (11)
  • 2014年5月 (7)
  • 2014年4月 (21)
  • 2014年3月 (21)
  • 2014年2月 (18)
  • 2014年1月 (18)
  • 2013年12月 (20)
  • 2013年11月 (18)
  • 2013年10月 (26)
  • 2013年9月 (20)
  • 2013年8月 (17)
  • 2013年7月 (29)
  • 2013年6月 (29)
  • 2013年5月 (29)
  • 2013年4月 (29)
  • 2013年3月 (33)
  • 2013年2月 (30)
  • 2013年1月 (28)
  • 2012年12月 (37)
  • 2012年11月 (48)
  • 2012年10月 (32)
  • 2012年9月 (30)
  • 2012年8月 (38)
  • 2012年7月 (26)
  • 2012年6月 (27)
  • 2012年5月 (18)
  • 2012年4月 (28)
  • 2012年3月 (40)
  • 2012年2月 (35)
  • 2012年1月 (34)
  • 2011年12月 (24)
  • 2011年11月 (34)
  • 2011年10月 (32)
  • 2011年9月 (30)
  • 2011年8月 (31)
  • 2011年7月 (22)
  • 2011年6月 (28)
  • 2011年5月 (30)
  • 2011年4月 (27)
  • 2011年3月 (31)
  • 2011年2月 (29)
  • 2011年1月 (27)
  • 2010年12月 (26)
  • 2010年11月 (22)
  • 2010年10月 (37)
  • 2010年9月 (21)
  • 2010年8月 (23)
  • 2010年7月 (27)
  • 2010年6月 (24)
  • 2010年5月 (44)
  • 2010年4月 (34)
  • 2010年3月 (25)
  • 2010年2月 (5)
  • 2010年1月 (20)
  • 2009年12月 (25)
  • 2009年11月 (23)
  • 2009年10月 (35)
  • 2009年9月 (32)
  • 2009年8月 (26)
  • 2009年7月 (26)
  • 2009年6月 (19)
  • 2009年5月 (54)
  • 2009年4月 (52)
  • 2009年3月 (42)
  • 2009年2月 (14)
  • 2009年1月 (26)
  • 2008年12月 (33)
  • 2008年11月 (31)
  • 2008年10月 (25)
  • 2008年9月 (24)
  • 2008年8月 (24)
  • 2008年7月 (36)
  • 2008年6月 (59)
  • 2008年5月 (77)
  • 2008年4月 (59)
  • 2008年3月 (12)