チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2009年6月30日
ランタン六日目 ランシサへ
今日はさらに、谷を奥に向かって歩き、ランシサ・カルカまで行き、帰ってくる予定。
午後早く帰ればまた読経会に参加しようと思っていた。
ランシサまで、宿の人は片道3時間と言った。しかし、実際には4時間かかった。
往復8時間。25キロほどは歩いたと思う。
パン一枚しか持って行かなかったので最後に腹が減って力が抜けてしまいました。
最初の計画だと、キャンジンでテントを借りて、この先チベット国境まで行くつもりだったが、読経会が楽しいので日帰りでお茶を濁したわけです。
道は、河原が広がったランタン・コーラ沿いのほんとに気持ちのよい楽な道でした。
もちろん道の周りは花ばかり、馬にヤーにヤギがまるで野生のように生まれたばかりの子供たちを連れて、家族で移動したり、草原で眠ったりと気ままにやっていました。
見張っていそうな人は誰も見かけませんでした。まったく自由にやっているようでした。
あるヤーの大家族が上から下ってくるところに出会いました。
右手はすぐ川なので逃げ場はないなと思い、私はカメラを構えてそのまま待っていました。
ところが、すぐ手前まで来て、先頭の大きなヤーが突然川にザンブと入り、川を渡り始めました。すぐにみんなそれに続いて川に入ります。川は浅くなく、流れも急です。
大人のヤーでも流されそうになりながら渡ります。今年生まれたばかりと思われる子供も川に入ります。流されながら、泳ぐのです。中にはかなり下流でやっと岸に着くものもいます。
ヤーは最初から泳げるんだ、、、と発見しました。
それにしても、そのあたりでは川は何本にも分かれているので対岸まで行くには何回も川を渡るのです。夏でも氷のように冷たい川です。ヤーは冷たくないのかな?と自分も冷たくなりながら、家族全員無事対岸に渡りきるまで眺めていました。
悪いことしたな、、、無事でよかったけど。
この日は朝5時頃宿を出ました。
ド・サンにこの日も「今日は荷物もないし、一人で行くから、ド・サンはお経読んでるといい」と言ったのですが、「ランシサにはグル・リンポチェに所縁のある岩や洞窟があると聞いた。山には仏が現れるともいう。行ったことがないので一緒に行きたい」とのことで、一緒に出かけました。
キャンジン村を離れ、広い気持ちの良い谷を上に行くにつれ、後ろのランタン・リルン峰に朝日が当たりはじめました。
朝早くから子馬が母親の周りではしゃいでいます。
朝日に朝露がたっぷりの乗った草原の花が輝きます。
しばらく行ったところに小さな池があり、回りにはヤーが沢山いました。
と、突然ド・サンが「あれを見ろ!」と指差す方向を見ると、水辺に見たことのない大きなヤギのような動物がいるのが目に入りました。
体長は2メートル近くあり、がっしりした体で茶褐色の毛が輝いていました。
あちらも気が付き、しばらくはじっとこっちを見ていましたが、駆け始め、飛び跳ねながら、あっという間に、山の崖の上まで駆け上がって行きました。
足が相当強いと感じました。
「名前は?」と聞くと「ニャンだ」との答え。
この辺で「ニャン」と呼ばれる野生動物ということしか解りません。
最初はガンチェンボ峰6387mを目指して歩くが、しばらくして目の前にランシサ・リ6427mが現れてくる。
このランシサは訳すと「牛死地」となる。何だか縁起の悪い名前だが、これにはこの谷全体に関わる言い伝えがあるのだ。
ド・サンから聞いたバージョン:むかしむかしチベットから一頭のゾォ(雌ヤー)とその子供、それに一頭の雄牛が飼い主から逃げてボテコシ川沿いを下ってランタンの近くまで来た。後ろからは飼い主が追いかけて来ていた。
今のブリディムのところに来た時、ゾォとその子供は危うく飼い主に捕まりそうになった。ゾォとその子供は捕まりそうになると近くの大きな岩に飛び込んだ。
二頭はそのまま岩の中に消えたという。
その岩を「ゾォディム(ゾォが中に入った岩)」と呼び、村の名前になった。今は自分の村はブリディムと言うが本当はチベット語ではゾォディムなのだ。
その後雄牛はランタン谷に入った。ある場所で一度雄牛は飼い主に捕まってしまったという。今もその岩にはその牛を繋いでおいたという、不思議な形の取っ手のようなものがある。
しかし雄牛は逃げた。逃げて逃げてずっと谷の奥まで行った。
でもランシサまで来て、牛は死んでしまったとさ。
だから、その場所をランシサ(牛死地)と呼び、上の山をランシサ・リ(リはチベット語の山)と名づけたのだ。
この話にもちょっと違ったバージョンも聞きましたが、これはこの谷ではみんな知ってる話でした。
チベットからヤーが来るならチベット人の南下説の裏づけにもなって、解り易いが、、、牛なのがちょっと詰まらないですね、、、ランシサは4200mなのでここでは普通の牛は飼えないという話でしょうか。
ランシサには河原に大きな岩があってその岩がグル・リンポチェ所縁の岩。
「グル・リンポチェが嘗てここで瞑想された。その岩の上には涸れることのない小さな泉が湧いている」
と聞いたのですが、その岩の上には確かに不思議な形に抉られた風呂桶のような場所はありましたが、残念ながら水は涸れており、草が生えていました。
そこで一緒になったお坊さんはガンチェンボ峰を見ながら、「どこか、山肌に仏やグル・リンポチェの姿が見えると言うが、、、、見えないな、、、、」と残念そう。
ランシサ・カルカの近くには3方向から氷河が迫っている。いずれの氷河もチベットとの国境線の山から始まる。中心の氷河をずっと遡ればチベット側でシシャパンマ8012mに至る。ここから三日行程で行ける。
山は6000mを越えると山らしくなり、いつまで見てても見飽きない。
写真には名前と高さが記されています。
花は手元の本では確認できないものが多かったようです。
そん中で何本もの長い茎の先に小さな赤い花が咲いているRhodiola tibeticaというやつは「ヒマラヤ人参」とか名づけられて、怪しげな健康食品になっている「紅景天(ソロ・マルポ)」の代用品だそうです。この花については最近ダラムサラを離れたチベットの医者小川くんにメールで確認しました。小川くんによれば「宇宙旅行の常備薬」だっと、というし本当に何らかの効果があるのでしょうかね?
特に肺の酸素交換機能を高めるというので高山病にはこれだそうです。
もっともチベット人には高山病という病気はなかったので、チベット医学では薬草ではないそうです。
詳しくは以下へ。
http://www.kaze-travel.co.jp/tibet/tibet_ogawa027_1.html
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)