チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2009年6月25日
ランタン・トレッキング第二日目
6月9日、トレッキング二日目、今日はラマ・ホテル2410mを出てランタン村3330mまで歩く。少し無理をすればキャンジンまで行けるのだが、ランタン村の事は例の風本にいろいろと書いてあったので泊まろうと思ったのだ。
その風本によればこのランタン谷は「豊饒と谷」「秘密の谷」であるばかりでなく「精霊の谷」でもあるというのです。
この神(ヒマラヤの峰々に宿る神)は領域を侵されることをもっとも嫌う。ランタン村の人々が細心の注意を払うのもこの理由による。村びとであれ、旅人であれ、怒りに触れないように供犠と心身の拔除を行い、慰撫することを怠らない。ヒマラヤを旅したことのある者であれば、尾根上の峠や川に架かる橋、ちょっとした岩のそばなどに竹に括りつけられた白やとりどりの色の旗を見たことがあるに違いない。これは精霊たちの領域である証しであり、彼らを慰撫し奉ったことの目印である。
ランタン谷の東西四十二キロ、南北十一キロの約四百六十平方キロの空間には、ゲニェン・レール(ランタン・リルン峰に宿る神)のほかにも、岩と水、森林や草原、これら自然の構成要素を住処とする、善悪無数の神々や精霊が棲息している。
村人の伝承に従えば、谷の全ての神々や精霊を統べ、ランタン谷の守護神であり男神であるゲニェン・レールを中心に、三体の土地の神、ドルジェ・レクパ、ピリーツェン、ツァンパ・グランワンチュックが武将のようにこれを取り巻き、その下部に、およそ七十余りのツェン(兇暴霊)、サ(厄神)、ドゥ(魔精)、メモ(薬師女)、ルー(水獣神)、テゥラン(一足鬼)等の霊種が配置されている。
さらにランタン村は東西約四キロの距離に四つの集落、本村のユル地区を中心にその西側高台に寺(ゴンパ)を擁したゴンパ地区、ユルの東上方にムンローとシンドゥムの二つの集落が谷の奥に向かって続く。その居住空間にも各氏族(クラン)の氏神など、足の踏み場もないほど賑々しい。
地図上に精霊の位置をプロットしてみると、谷の周縁部4~5000mから7000m上の岩と氷のピーク、縁取りの中では湖や出張った岩、わき水や樹木など、まるで谷全体に張り巡らされた警報機のようだ。
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さて、実際のトレッキングでは、この日朝7時ラマ・ホテルを出て二時間ほどは相変わらず原生林の中をランタン・コーラに沿って、ひたすら登るやがてゴラタベラ辺りから森が切れ始め、正面にランタンⅡと主峰ランタン・リルンの南西綾が見えてくる。
このあたりからが本当のチベットのランタン谷が始まるのだ。精霊の賑々しい世界がだ。
氷河期に形成された典型的なU字谷だが、ここの特徴は北側のランタン峰から下のランタン村にかけての傾斜角度が特に急でその高度差が4000m近いということだろうか。
後はとにかく花と緑が多いということだ。
登りも緩やかになってくる。3000mを越えると、涼しい風が吹いてくる。
道端に高山植物と言える花が増えてくる。
低木のつつじが圧倒的に多い、このつつじは高地に行くと八重で花も大きくなる。
低いアヤメがそこかしこに群生している。下の方ではか細く花の華奢な種類、上の方では葉の太く、花も大きくて色も濃くなっていく。
以下花とランタン村の写真です。
花の写真を擦れば学名など分かったものには書かれています。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)