チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2009年6月22日
カトマンドゥよりダラムサラまで
写真はカトマンドゥ発デリー行きフライトの窓より:雲海上のダウラギリ峰。
カトマンドゥ空港でのこと、14:40発のデリー行きまでは時間があるというので待合室でパソコンを開いて、文章書いたり写真を整理していた。
フライトは30分遅れると途中でアナウンスがあった。そのあと今度はネパール語だけで「出発は16時、、何分かになる、」と言ってるようなアナウンスがあった。
度々係りの人が回って来ては「お前は・・の乗客ではないか?」と聞いてきた。
だから、どうせ本当に出るときは誰か探しに来るだろうとか思ってそのままパソコンに集中していた。
ふと気づくと15時を過ぎている、気になってボードを見ると15:15分搭乗中になってる。近くの係官に聞くと、早く行けという。
長いセキュリティーの列を無視して先に通され、搭乗口に行くと、今度は何してたんだ、みんなお前を待ってたのだ!と怒鳴られ、そのまま空港の熱いコンクリートの上を一人の係官と一緒に飛行機のところまで訳150m走らされた。私はゴムぞうり履きで走ると傷が痛んだ。
着くとみんな避難の目を私に向ける。
どうやら、私が最後の乗客でみんな私を待っていたようだった。
私のお陰でフライトはさらに15分遅れて出発した。
「何で、探さなかったのよ、、、」と言いたかったが、それにしても生まれて初めて自分のせいでフライトを送らせてしまったという話でした。
デリーに着くころ、飛行中、隣でさんざんいちゃついていたインド人新婚カップルが「ところでお前は何で遅れたんだ?」と聞いてきた。
酷暑のデリーにいる時間を出来るだけ少なくするため夜行列車に乗りパタンコットに朝着いた。ここからタクシーでダラムサラだ。
その途中でのこと。交通事故現場を通りかかった。
自分の乗っていた車がカーブを切って前を見ると、すぐ前の谷の方から土煙りが上がっており、二三台の車が止まり、人が谷の下を見ている。
ドライバーは「アクシデントだ!」と言って車を止めた。
崖の下を覗くと、20mほど下にトラックがぐちゃくちゃになっている。
崖の途中に二人が倒れており、アー、アーと声を出している。
でもその内自分で二人とも立ちあがった。一人はかなり血を流していた。
崖の上の方からはすぐに助けに行けない状態だったが、下から間もなく人が駆けつけた。
それにしても、ドライバーたちは落ちる途中に飛びだしたか?投げ出されたかで、かろうじて助かったという状態だった。そのまま一緒に落ちていたらタダでは済まなかったであろうと思われた。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)