チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2009年5月24日

ケルサン・ギャルツェン特使の講演内容全文

Pocket

23bed5e4.bmp5月23日、護国寺において、「宗派を超えてチベットの平和を祈念する僧侶の会」主催
の会合の席ケルサン・ゲルツェン特使が講演されましたが、その日本語全文を「ニュースチベット文化圏」さんが報告して下さっています。

<ケルサン・ギャルツェン特使「最近のチベット情勢について」語る(東京)>
http://blog.livedoor.jp/info_tibet/archives/51312832.html

以下、ケルサン・ギャルツェン特使の講演内容全文

———————————————————–

宗派を超えてチベットの平和を祈念する僧侶の会の皆様方、お集まりいただいた皆様方、このようにお話できる機会を与えていただいてありがとうございます。日本の兄弟姉妹の方々にチベットの実情についてお話できることは、大変重要なことだと思います。

今チベットは国際社会の支援を必要としており、アジアにおいて大国であり、また世界でも非常に重要な役割を果たす日本の支援は重要だと考えています。日本は美しい島国というだけでなく、深い文化と民主主義、法治国家である国だと考えます。また、道義を重んじている国だと認識しています。僧侶の方々のお話を聞き、長い仏教の歴史をもつ国であると認識しました。日本はチベットの平和的な解決に、重要で建設的な役割を果たすと思います。この機会を得ましたことを感謝しますと共に、僧侶の会の皆様に感謝し、皆様の支援に感謝いたします。

チベットの悲劇というのは、60年前に始まりました。中国の人民解放軍が「平和的なチベットの解放」を名目にチベットに侵攻しました。それ以降、チベットは長い歴史の中でも闇の時代を迎えることになりました。この60年間に、直接的なチベット人の被害者は100万人で、6000を超える僧院が破壊されました。

実際これらの崩壊された僧院は、単にチベット人のためのお寺というだけはなく、一般のチベット人にとって学習、学びの場でした。 文化大革命以来、「チベットの空には2つの太陽はいらない」というのが中国の言い分でした。つまり共産主義と仏教の二つはいらない。どちらかが消えるべきだというのが彼らの言い分でした。

チベット人は強制的に公衆トイレをつくらされました。「オーム・マニ・ペメ・フン」というマントラが書かれている、我々にとっては大切なマニ石使ってです。またチベット人に、道路に仏教の経典を埋めてその上を歩けと言われたこともありました。この60年間に何が起こったか。チベット人に対する単なる弾圧だけではなく、価値観、文化、宗教をも弾圧されました。

このような背景のもと、チベットの指導者であり、尊敬されているダライ・ラマ法王は、今のチベットの現状をどうするか、つまり苦しむチベット人に対して、チベットの国をどう守っていくか、すべてにおいて責任を負うことになりました。

法王の基本的な考えは、世の中は相互依存によって成り立っている。つまり私たちイコール彼らである。今日の社会は、国境は過去ほど意味をもたなくなっている。重きを置かなくなっている。大陸と大陸、国と国も依存しあっているではないか。こういう時代に力や武力を使い、問題を解決するのは、何を生みはしない。他を破壊するだけではなく、自我の崩壊である。ダライ・ラマ法王の信条というのは、こういった人間の問題を解決する道は、非暴力であり、対話であるとおっしゃっています。その観点からダライ・ラマ法王は、この問題解決に関しては中道の道を選ばれました。

この中道によるアプローチは、つまりチベットの問題をより平和的に解決し、双方に合意のできる対話による道です。そういった意味では、私どもが主張しているのは、中国から求めているのは分離独立ではない、私たちが求めているのは中国政府がチベット人に真の自治を与えてくれるということです。それはチベット人が持つ文化や宗教や祖国の土地を守ることであり、言語を維持することにもつながります。

2002年、チベット亡命政府は中国側との直接対話を再開。亡命政府側の特使の二名のうち一名に私が選ばれました。それ以降、8回の公式の対話と1回の非公式の対話を行った。これらの会談に於いて、我々はあらゆる努力を行いダライ・ラマ法王の意図を伝えようとしました。つまり、チベットのより平和的な解決へと、法王の意図を我々はマントラを繰り返すように唱えてきた。そして私どもは、両者が一歩踏み出し、イニシアティブを持つことによって、お互い自信をもてる環境を作り、それにより対話を進めようと申し出てきました。私たちは一方的な申し出や信頼、自信を得ることを求めたのではない。亡命政府の代表は、世界各地のチベット人社会について、また各地の支援団体に対して、決して中国代表部や大使館に対してデモを行わないようにと要請したのです。

ダライ・ラマ法王は台湾への訪問を延期したことを後悔されている。中国との微妙な関係を考慮してのことでした。そして我々の努力や提案に対し、中国政府からはイニシアティブや信頼を築く努力は一切なされなかった。我々は信頼を築くためにダライ・ラマ法王の写真を所持できるようにしてほしい。それができるなら各地のチベット人たちの大きな心の支えになるだろうと要請したこともある。

2008年チベット高原で大きなデモが行われました。その際我々は、北京に於いて、第七回目の対話を持った。我々は、ダライ・ラマ法王、チベット側の代表と中国政府との間で、共同声明を出したらどうかという提案をしました。それはとても短いシンプルなもので、「ダライ・ラマ法王と中国政府は共に相互に納得のいく解決策に向けて、これからも対話を持つということを決めた」というものです。

しかし受け入れてもらうことはできませんでした。このような共同声明を出すことができれば、チベット内のチベット人たちの気持ちを静め、正常化でき、中国のチベットに対する抑圧への国際社会の懸念を抑えることができる。それにより、国際社会は、チベット問題は対話によるより融和的な解決をみるのではないか、という希望を持っていました。

そこで我々は中国に、ダライ・ラマ法王が中国の仏教聖地を巡礼することを許してほしい。つまり今、法王がチベットを訪問することは具合が悪いだろう。でも中国の聖地を法王が巡礼するというのであれば、問題ないのではないか。それができれば、中国の指導部と会うことができる。そうすることで今の状況を次の段階に進めることができるのでは、と考えました。

簡単に今までの中国との対話を振り返ってみると、チベット側が中国政府に対して提案をし、また率先して今の対話を進める努力をしてきた。今の状況を少しでも次の対話につなげる努力をしてきたが、中国側からはそれに対して一切何の積極的な提案もなく、次回の約束もなく対話は流れてきました。我々の提案、申し入れはひとつも受け入れられることがなく終わりました。

(2008年)11月の対話では、チベット側は細かい内容を提案書としてまとめ中国に提出しました。それはその前の8月の対話で「チベット側が言う真の自治とは一体何なのか細かく定義せよ」と言われたからです。そこで我々が考える真の自治とは何か「チベット民族が名実ともに自治を享受するための草案」というタイトルのもとに細かく私たちが自治といているものは何かと書いたものを提出しました。しかし、中国側はそれを完全に拒否したのです。

担当の上級副部長は、「この草案は中身のみならずタイトルすらも受け入れることはできない。真の自治とは認めようがない。だいたい我々は言っているではないか。ダライ・ラマにはチベットについて語ったり、あるいはチベット人の代表として語ったりする権利はない。何といえば君たちは分かるのか」と言った。
我々は「ではなぜ草案を我々に出せとおっしゃったのか」と、上級副部長に聞いた。彼は「あなた方がどのぐらい中国政府の方針、考えを理解しているか試すためだった。しかしあなたたちは無惨にもその試験に落ちたのだ」と言った。

このような背景をもとに言えば、現在のチベットの状況は公に宣言はされていないが、戒厳令下にあるようなものです。つまりチベット内においてのチベット人の状況は第二の軍事進攻を受けているようなものであり、強い抑圧下におかれている。文化大革命以来の抑圧のもとにあるということです。

このような背景を見ながら、我々はダライ・ラマ法王とともに中道のアプローチを行くことを決めました。チベット亡命政府の置かれている現在の立場は、北京政府が真剣にこのチベットの問題を取り上げてくれるなら、いつでもこの問題を対話する準備はできているということです。北京政府が明らかに対話の意向を明らかにするまでは、これ以上対話は難しいと思っています。

チベットの中のチベット人は非常に悲しい状況、抑圧のもとに、厳しい怒りの中におかれています。ダライ・ラマ法王は中国に対して様々な努力を行ってきました。しかしチベット人だけが声を上げても、中国政府はチベットに対する政策を変えるとは思えません。我々はさらに努力を強めて、一般の中国の人々に働きかけをしようと今は思っています。常に一般の中国人とチベット人がどうすれば接触ができるだろうか、理解が深まるだろうか、と考えています。

中国の学者や専門家、チベットの学者や専門家が、ある特定のテーマを決めて会合を持つ、会議を開く。若い中国人とチベット人の会議やキャンプを行う。中国人とチベット人の仏教徒の交流フォーラムを行う。他にもチベットの視点を知ってもらうため歴史文化宗教やチベットの状況についての書籍を中国語で出版。中国語のWebサイトを開くなど。

そうすることで一般の中国の人たちがチベットの情報を入手できるだけでなく、チベット人がどういうものの見方をしているのか、そういう視野を理解していただけるのではないか。こういう努力をとおしてチベット人と中国人の間の理解を深める努力をしていきたいと思います。そうすることでより多くの中国の兄弟姉妹に近づいていくことができるのではないかと思います。

同時に、若いチベット人には、もっとマンダリン(北京語)を勉強するように、中国文化を勉強するように、最近の中国の歴史について学ぶようにと語りかけています。そうすることで若いチベット人が、若い中国人と接触することが増え、相互理解が増えると思います。

最後に、既に今までの流れの中で、チベット人だけが声を上げても中国指導部に影響力がないことが分かりました。だからこそ今の私たちの選択肢は、国際社会に訴えることだと思います。我々が国際社会にお願いしているのは、中国に対する孤立化でも、ボイコットでも対立でもありません。政治的環境を作ってほしいということで。つまり、中国の指導部がこのチベット政策に関して、より真剣に、正直な姿勢で臨むように、そして双方に合意できるような解決策が導き出されるような政治的な環境をつくってほしい、というように皆様にご協力をお願いしています。

そしてダライ・ラマ法王が提案している中道のアプローチは、中国政府にとっても共にお互いの利益につながるもの、十分に説明がつくものと思っています。お互い平和的な解決は、中国政府、中国人にとっても、チベットの人々、チベット政府にとっても大きな利益につながると思います。

最後に、日本の兄弟姉妹の皆様の温かい支援、非暴力で自由を求める道に対しての皆様の理解と支援に対し、心より感謝申しあげます。それはチベットを助けるだけでなく、中国にとっても大きなメリットにつながると考えています。ありがとうございました。

以上

——————————————————————–

ケルサン・ギャルツェン氏(ダライ・ラマ法王特使)
1951年チベット・カム地方に生まれる。83年以降チベット亡命政府の任務に就く。スイスのチベット事務所代表、駐欧州連合特使などを歴 任。現在、ダライ・ラマ法王により任命された2名のチベット代表団特使のひとりとして中国政府との交渉にあたり、2002年以降、中国指導部との8回の公 式協議と1回の非公式協議に臨むとともにチベット交渉対策本部のメンバーも務める。ダライ・ラマ法王の特使という立場から、チベットに関する講演やインタ ビューにも精力的に取り組み、チベットの人々の悲劇に光をあてるべく尽力している

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

ちべろぐ

Archives

  • 2018年3月 (3)
  • 2017年12月 (2)
  • 2017年11月 (1)
  • 2017年7月 (2)
  • 2017年5月 (4)
  • 2017年4月 (1)
  • 2017年3月 (1)
  • 2016年12月 (2)
  • 2016年7月 (1)
  • 2016年6月 (1)
  • 2016年5月 (9)
  • 2016年3月 (1)
  • 2015年11月 (1)
  • 2015年10月 (2)
  • 2015年9月 (4)
  • 2015年8月 (2)
  • 2015年7月 (14)
  • 2015年6月 (2)
  • 2015年5月 (4)
  • 2015年4月 (5)
  • 2015年3月 (5)
  • 2015年2月 (2)
  • 2015年1月 (2)
  • 2014年12月 (12)
  • 2014年11月 (5)
  • 2014年10月 (10)
  • 2014年9月 (10)
  • 2014年8月 (3)
  • 2014年7月 (9)
  • 2014年6月 (11)
  • 2014年5月 (7)
  • 2014年4月 (21)
  • 2014年3月 (21)
  • 2014年2月 (18)
  • 2014年1月 (18)
  • 2013年12月 (20)
  • 2013年11月 (18)
  • 2013年10月 (26)
  • 2013年9月 (20)
  • 2013年8月 (17)
  • 2013年7月 (29)
  • 2013年6月 (29)
  • 2013年5月 (29)
  • 2013年4月 (29)
  • 2013年3月 (33)
  • 2013年2月 (30)
  • 2013年1月 (28)
  • 2012年12月 (37)
  • 2012年11月 (48)
  • 2012年10月 (32)
  • 2012年9月 (30)
  • 2012年8月 (38)
  • 2012年7月 (26)
  • 2012年6月 (27)
  • 2012年5月 (18)
  • 2012年4月 (28)
  • 2012年3月 (40)
  • 2012年2月 (35)
  • 2012年1月 (34)
  • 2011年12月 (24)
  • 2011年11月 (34)
  • 2011年10月 (32)
  • 2011年9月 (30)
  • 2011年8月 (31)
  • 2011年7月 (22)
  • 2011年6月 (28)
  • 2011年5月 (30)
  • 2011年4月 (27)
  • 2011年3月 (31)
  • 2011年2月 (29)
  • 2011年1月 (27)
  • 2010年12月 (26)
  • 2010年11月 (22)
  • 2010年10月 (37)
  • 2010年9月 (21)
  • 2010年8月 (23)
  • 2010年7月 (27)
  • 2010年6月 (24)
  • 2010年5月 (44)
  • 2010年4月 (34)
  • 2010年3月 (25)
  • 2010年2月 (5)
  • 2010年1月 (20)
  • 2009年12月 (25)
  • 2009年11月 (23)
  • 2009年10月 (35)
  • 2009年9月 (32)
  • 2009年8月 (26)
  • 2009年7月 (26)
  • 2009年6月 (19)
  • 2009年5月 (54)
  • 2009年4月 (52)
  • 2009年3月 (42)
  • 2009年2月 (14)
  • 2009年1月 (26)
  • 2008年12月 (33)
  • 2008年11月 (31)
  • 2008年10月 (25)
  • 2008年9月 (24)
  • 2008年8月 (24)
  • 2008年7月 (36)
  • 2008年6月 (59)
  • 2008年5月 (77)
  • 2008年4月 (59)
  • 2008年3月 (12)