チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2009年5月24日
天安門The Tank Man /続「私の赤衛兵時代」
まずYou Tubeより。天安門事件記念日を前にしてThe Tank Man 1/8。
8まであります。私はネットが超遅いのでまだ最初のも見てませんが、良いはずです。
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次は、昨日の続きで陳凱歌氏の「私の紅衛兵時代」からもう少しだけ。
氏はこの中国社会の暴力の(伝統の)基因を「恐怖」だ、「人の群れから排除される恐怖」だと言っています。
P107
「磁石から落ちる」恐怖
暴力沙汰は、公的には戦争と言い、隠れてやる場合には謀殺という。支配者は、他に手段が残されている限り、軽々しく戦争を口にしないし、謀殺にしても、他に選択の余地が残っているなら、簡単に殺人を犯すはずはない。それが世間一般の理論だ。しかし、文革時の暴力沙汰は、まったく違っていた。それは戦争ではなかった。何故なら、相手は身に寸鉄も帯びてなかったからだ。また、謀殺でもない。公然と行われたからだ。他のまだ残っていたし、選択の余地も残っていた。しかし、人々はバタバタと倒されていった。
人間の肉体に対するこのような直接攻撃、拷問、侮蔑、虐待、そして殺害は、二十年後の今日でもやはり理解できないことだ。もちろん「暴力は新しい社会の助産婦だ」というマルクスの理論に、答えを求めることはできる。また、「善人が善人を殴るのは誤解だが、善人が悪人を殴るのは当然だ」といった毛夫人紅青らの扇動に、その答えを求めることもできよう。遠くは、憎悪を植え付けてきた長年の教育に応えを求めることも可能だし、近くは目の前の風潮も答えになるだろう。しかし、いずれも満足な回答にならない、なぜなら、何かをやらせようとしても、やるかやらないかは、また別の問題だからだ。
もしも正直に答えてくれるならば、恐らく多くの人が認めるはずだ、他人に暴力をふるうときには、動物的な衝動があったし、その場の雰囲気も影響していたろう。しかし、本物の憎悪が原因となったことはまずないはずだ。また、政治宣伝の扇動も決定的な要因ではない。まして仕方なく手を下したなどというのはありえない。
では、何が彼らを駆りたてたのだろう。それは恐怖だ。
人が人であるかぎり、集団から完全に抜け出すことはできない。文明の発展とは、社会における個体の配列と組み合わせを、より理想に近づけることにすぎない。人間の群れから排除される恐怖は、人類の根源的な恐怖だ。いまだにこのような恐怖が深刻だからこそ、中国ではそれがもっとも根源的な恐怖となってしまう。
一人一人の利益や権利が国家を通してのみ実現される制度とは、要するに、個人のすべてが国家の恩威としか見なされないということだ。就職や住居、移動や教育、そして出産から結婚に至るまでのすべてに、国家が決定権を持っている。そのような社会で恩威を放棄することは、生存そのものを放棄するに等しい。つまり、何が何でもこの社会に残る以外に選択の余地はないのだ。
選択肢が一つしかないとなれば、これはもはや選択ではない。砂鉄は自分の価値を失い、磁石にくっつくことで、初めて砂鉄になれるのだ。磁石から離れれば、ただの砂にすぎない。だから、磁石の上に残ることが、唯一の願いとなる。唯一の恐怖は、磁石から落ちることだ。そこで、磁石がどちらに揺れようと、砂鉄はそれにくっついて踊ることになる。物質ならそれは砂鉄というが、人間ならば、それは愚かな群衆である。
文革とは、恐怖を前提とした愚かな大衆の運動だった。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)