チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2009年5月14日
冬虫夏草
昨日は長い資料を一度に載せてしまいましたが、最初からプリントアウトしてお読みくださいと書いておけばよかったと反省しております。
早く中国語をマスターして日本語の「唯色全集」を出版してみたいものです。
それにしても文学を政治の武器として戦う人たちの文章はちょっとどこかの国の作家の文書とは違うようです。内容は、法王のおっしゃるチベットにおくる中国の「カルチャー・ジェノサイド」の素晴らしい解説になっていると思います。
以下RFA放送を聞きながらの要約です。
http://www.rfa.org/tibetan/otherprograms/stringer/china-restricts-tibetans-from-havesting-yartsa-gunbu-05132009114622.html
ラサとカムの間にあるコンボ地区と言えば風光明媚なところとして有名ですが、ここは冬虫夏草でも有名なのです。
コンボ地区の中国当局はチベット人が冬虫夏草を採集することを全面的に禁止したという。それでも、この地区に入り冬虫夏草を採集するチベット人と中国人の数は益々増えるばかりだという。
地区の役人たちは冬虫夏草を取るチベット人に対し、一人当たり2000元の税金を払うように命令し、払えない者たちは逮捕されたり、持ち物を取られたりするという。
放送では内地のチベット人二人の電話と、最近亡命してきた、よく冬虫夏草を採っていたというカンパへのインタビューを流していました。
その中、コンボ・ギャムダの男性は電話で
「この辺の山に入るチベット人はカンパ(カムの男)ばかりだ、二、三日かかるような遠い山に行く者ばかりだ、貧乏な者が多い、でも最近は中国の警官が山で見張っていることが多い、彼らに捕まると、殴られた揚句に一人だいたい2000元払わされる。払えない時には持ち物を取られる。食糧もすべて捨てられる。逆らえば、逮捕される。
うまく逃げても、置いて逃げた持ち物や食糧は取られるか捨てられる。
こうして、カムに帰って行く者も多い。
中国の役人は逆に、例えば最近この辺でのことだが、ボスの弟が中国から冬虫夏草目当てに来たときなど、そのボスは弟を一番の収穫地に車で連れて行って、そのあたり一帯を全部そいつの権利にしたりした。
村の者でも知り合いの役人に税金とかいう賄賂を払わないと冬虫夏草を採りにはいけない。
量に従って税金も高くなる。
しかし、同じく外から入ってきた中国人が逮捕されたり、略奪されたりしたという話は聞いたことがない」と話していました。
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この冬虫夏草を巡っては中国人対チベット人、チベット人対チベット人の間で相当血なまぐさい戦いがあるという事をちょくちょくききます。
大体は縄張りが決まっているそうですが、そこによそ者の中国人、カンパ、それに中国の役人が入りこみ、いまでは冬虫夏草採集も命がけのようです。
では中国が来る前はこの冬虫夏草はどうだったかというと、
たまたま家に来た尼さんに聞いてみました。
彼女はメルドクンガというラサから数時間コンボ方面への道を走った所にある町の出身です。
彼女の地域では20年前は誰も冬虫夏草を取るものはいなかったと言います。
彼女は「今も地域の人たちが山に冬虫夏草を採りに行くという話はないと聞いている。冬虫夏草がないわけではないという。
でも冬虫夏草を取ると雹が降ったり、旱魃になったりの良くないことが起こると信じられている。だからだれも採らないのだ。
中国人は最近近くの山を崩して何か白い石を取っている。でもそこに大きな龍の姿をした岩があってこれを壊そうとした者は病気になったり、事故に遭ったり、悪い夢ばかり見るようになったという。その近くを通った車が事故を起こして人が死んだりした。
だらか、これは岩の祟りだということで今もその岩は壊されないで残っているという。
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信心深いことが自然保護に役立つ見本です。
第一、チベット人は冬虫夏草は生きている、有情の仲間と認識していますから(本当は死んでいようと)わざわざ殺すことはなかったのです。
チベット医学には冬虫夏草は入ってないそうです。
つまりチベット医学ではその健康学的効果は0ということです。
昔は山を汚す人は誰もいなかったようです。
元々(ずいぶん昔1、2万年前から)パン・モンゴリアン人種というか、今のチベット、ビルマ、モンゴル、韓国、日本、北米・南米の原住民は自然との共生、共感を基にするアニミズム、シャーマニズムの傾向が強かったらしく、その手の迷信もいたるところに見られる。
自然との共感と畏怖を忘れた現代人の見本が中国人ですかね?
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)