チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2009年5月2日

法王のハーバード講演より

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e10290db.jpg4月30日ハーバード記念教会で行われた「心の教育」と題された講演会より、

法王のお言葉を以下いくつか紹介します。
http://www.tibet.net/en/index.php?id=886&articletype=flash&rmenuid=morenews

法王
「人間の同一性(oneness of humanity)についてだが、肌の色、人種、国、年齢その他の違いと言うものは二次的レベルのものだ。
基本的なレベルにおいては違いはないのだ。
精神的にも、肉体的にも、情緒的にも我々はみんな一緒なのだ。

このレベルにおいては我々はお互いに非常に良く意思疎通することができる。
私がユニバーサルな責任感とかグローバルな責任感とか言うときの感覚とはこのレベルのことだ」

法王は慈悲の話をされ
「我々はみんな慈悲の種を持っている。
生物学的な基礎がある。
赤ん坊は母親を母親と認識しなくても母親を頼る。

同様に母親が子供に示す、ほとんどその子供が自分の体の一部でもあるかのように気遣う心も慈悲だ。

慈悲深い人は余程(他の人たちに比べて)心が平安で幸福だ。
幸せは心の在り様internal mental attitudeによる。

現在の教育が内的平安をもたらすとは思われない。
例えば、優秀な学者や教授も競争心と嫉妬が募れば、自殺するものまで現れる。

南インドから私の所に学者であるチベット僧侶が来たことがある。
彼の顔が悲しそうだったので、どうしたのか?と尋ねた。
彼は答えて<無常について瞑想した後、心塞がれた>と言う。
そこで私は彼に<あなたの瞑想には全体的アプローチが欠けているのではないか?>
とコメントした。」

「同様に頭脳の発達だけが内的平安をもたらすものでもない。
ビン・ラディンの手下たちだって、あれだけの綿密な破壊計画を作成できたのだから頭は良いに違いない。

物質的発展のみが幸せへの道でないのと同様、知性の発達のみで内的平安は獲得し得ない。
だから、もう一つの道を見つける必要があるのだ。」

法王はチベット的慈悲への執着の例として、良く知る一人の僧侶の話をされた。
「この僧侶は中国の監獄に18年間捕えられ、1980年にインドに亡命した。
すでに90歳を越えている。
彼とは時々話しをするがある時、「監獄にいたとき一度大変に危険な目に遭った」と彼が言った。
私はてっきり彼が殺されそうになったのかと思った。
しかし彼は「中国人に対して慈悲の心を失いそうになったことがある」と言ったのだった。

つまりこの僧侶は学者としてはそんなに優秀ではなかったが、所謂<敵に対する慈悲>を持っていたことは確かだ」

「20年ほど前に科学者たちが来て中国でトラウマ的経験をした僧侶たちを調査したことがある。
ある意味でアメリカ兵がイラクで精神的におかしくなるケースと同様だ。
しかし、調査の結果は僧侶たちの精神状態は正常で静かだったという」

「慈悲の心と共にある教育がその知識が建設的に使われるための基礎となるのだ」
と語られ、「慈悲の心は健康にも役立つ」と言う話を最近の法王自身の手術の話からされた。

法王は「みんな、夫々の母親から受けた思いやりについて思いだすことがあるだろう。
私は甘やかされて育った。
母の背中に負われている時、自分の行きたい方へ母の耳を引っ張っていたものだ」と話された。

「表面的にはここに集まっていらっしゃる方々は同じように見える。
しかし内面的な違いはかなりあると思う。ある者は心静かであり、あるものはそうでもない。
それらは幼児期に母親から受けた愛情の度合にも依るのかも知れない。」

「幼稚園レベルから教育の中に一般道徳を育てることを加味しなければならない。子供たちはよき社会の一員となり、寄り添って生きることを教えられなければならない。
幸せな家庭の必要性が説かれるべきだ。
そのような教育は非宗教的に行われるべきだ。

この非宗教的secular(世俗の)という言葉を使うとイスラムやキリスト教の友人から、これは宗教の否定だ、と言われるかもしれないが、私が非宗教的と言うときの意味は、すべての宗教を尊敬するという意味だ」
質問に「法王は(仏教に対する)信を失ったことがお有りですか?」

法王答えて:「否。ブッダ・シャカムニは弟子たちに、彼の教えを受け入れる前に良く吟味せよとおっしゃった。
教えに対し疑問を持つ時も、ブッダは疑うことを許されたのだ、と思うことで、いずれ(正しく考えることにより)乗り越えられたのだ」
と語られました。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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