チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2009年4月25日
パンチェン・リンポチェ二十歳の悲しいお誕生日・夜のキャンドルライト・ビジル
4月25日、ゲンドゥン・チュキ・ニマ=パンチェン・ラマ11世の20歳の悲しいお誕生日の夜、ダラムサラで行われた、解放要求のキャンドルライト・ビジルの写真です。
ツクラカンで集会が行われる前、議会議長と会ったので立ち話で「そういえば、議長、今日の朝、スピーチの中で日本の記者がパンチェン・リンポチェはもう亡くなられた、という話をされましたね。あの日本人の記者はJapan Timesの記者じゃなくて元編集長だそうです。
それにしても中国の大学の中で行われたパブリックディプロマシー(福島さんのブログで知った新しい単語をいかにも知ってるか?というようにさっそく使った)つまり中国の海外宣伝工作について話し合う会議の中で話したのだから、どうせ、中国側の人間に違いないだろう。証拠も出せないとか言ってるし、まあ、嘘でしょう。
日本人というのは恥ずかしいことだか、、、
中国が彼を使って反応を見るために言わせて見たとかも考えられないことはないですが、、、
反応には気をつけた方がいいということですがね、、、」
と話した。彼は「そうか中国側の人間か、、、」とそう思ってなかった風だった。
ところが、彼は再び夜のスピーカーでもあった。
話を聞いてると、パンチェン・ラマ死亡説についてのコメントに全くさっき私が話たことを繰り返したのには少し驚き、、これで良かったのかな、、、と少々不安になりました。
それにしても、ダライ・ラマ法王がダライ・ラマ法王になられたのは、その仏教的教育によるのだから、ニマ少年にも偽のノルブくんにもまともな仏教教育が与えられているとは到底思えないので(それどころか偽の共産主義教育ばかり受けているので)、結局すでに真のパンチェン・ラマ11世はどこにも存在しないとも言えるでしょう。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)