チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2009年4月25日
パンチェン・リンポチェ20歳の悲しいお誕生日会/ラプランで学生デモ
今日、デモに行かれた方はご苦労様でした。
ダラムサラでは、朝からデモと言うより、祈りの会が連続的に続いています。
その中、気になったのが、新しく3月からカルマ・チュペル氏に代わってチベット亡命議会議長になったテンパ・ツェリン氏がスピーチの中で、「数日前に日本人の島津氏というジャパン・タイム紙の記者が北京の会議において、<パンチェン・ラマはもう亡くなっている>という話をしたらしい。イタリアの新聞に出たようだ。ただ、この報道については今だ真偽が確認されていない。我々は依然パンチェン・リンポチェは囚われたままだと信じ、その解放を要求するのだ」と発言されたことだ。
私はこの話が出た時、思わず身体を小さくしてしまった。
事実周りのチベットメディア関係の友人たちが私の方を見て、目くばせしたりした。
恥ずかしいと思ったのだ。
「島津は元記者だ」と訂正だけはしたかった。
このニュースは数日前から世界中を駆け巡った。
最初、調べて下さいと連絡を受けた時、「すでに随分前にガンか白血病で死亡している」と言ったと聞いて、それは嘘に決まってる、嘘をつくにももっとうまくつけばいいのに、、、と思いつつも一応知り合いの新聞記者に問い合わせたのですが、返答なしでした。
そこは、流石福島様ということで彼女のブログに詳しい報告が載っています。
http://fukushimak.iza.ne.jp/blog/entry/1009115/
この会議が北京で開かれたということは、島津氏が中国側の人間であることは明らかです。
こんな発言を事前に断りなしに話たとは考えにくい。
考えられることは中国が時に使う手で、「内輪の外人記者の類を使って、ある発表をさせ、その反応を見る」という事だが、それにしてもこの人のステータスと信用が足りなかったのか、証拠は何も提示しないということで、イタリア以外のどの国の報道機関もチベット側も彼の発言を無視しています。
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そんなことは別にして、本当にどこで何をされているのでしょう。
チベット人の年老いた知人などは、「これほど完全に一つの情報も出てこないのは、、きっともう亡くなられているということじゃないかな?」と悲しいことを言っていました。
神秘な制度から生まれた神秘な犠牲者二人です。
「ニマは四川省のチベット人地区で普通に暮らし、学校にも通っている」と2007年中国は発表した。
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4月24日早朝サンチュ県ラプランにある「サンチュ中等学校」のチベット人生徒たちが「チベット人として苦難を共にしよう」「平和と自由を」と書かれた横断幕を掲げ、平和的デモを行った。デモはキャンバスから始められ、市街まで行進したという。
http://www.tibet.net/tb/flash/2009/april/310409.html
http://phayul.com/news/article.aspx?id=24527&article=Tibetan+students+protest+in+Labrang%3a+Update
しかし、間もなく保安部隊に包囲された、というが、逮捕者などの情報は今のところ入っていない。
なぜ、このデモを行ったかについては「学校の中国人枠を増やすことに反対して」というものと、「イドルという者の書いた<ダライラマを非難する>という文献を勉強するようにと、強要されたことへの反感」という説がある。
この学校はラプラン僧院のすぐ近くにあるという。
「中等学校」と言われていますが、英語ではカレッジとなっています。
ちょうど二十歳前後の若者達の姿が写真には写っています。
ひょっとしてストリート・チルドレンにされたパンチェン・リンポチェが誰かに拾われ、育てられ、自分が本物のパンチェン・リンポチェとも知らず、このデモに加わっているとか???
これは、全くの妄想ですが、そんな妄想も湧きそうな話ではあります。
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そうだ、思い出した。昨日のVAの放送の中でワシントンに行ってる首相のサムドン・リンポチェが今回の死刑判決に関連して「中国は少なくとも3月14日に220人は殺した。これは氏名、出身地などのはっきりした者だけの数字だ。本当には300人、400人殺したと言われているが確かめられていないだけだ。
そのことには全く触れられず、チベット人を放火の罪で死刑にするとはどういうことであろうか?」
とおっしゃっていましたが、キッドナップをちゃんと認めている中国共産党が何の咎めも受けないように、ラサの虐殺も公然の秘密(特に日本のメディアとか)と化しているようです。
中国自体が公然の秘密テロリスト国家のようなものです。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)