チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2009年3月28日
パルデンさんがイギリスで活躍
ダラムサラでも見れる中国のTV放送を見ると、今日は「農奴解放記念日」と言うことで一日中特別番組が流されています。
ほとんど見るに堪えず、吐き気を堪えるのが大変です。
中に、解放記念館か何かの壁に張ってある「ポタラへの坂道を荷を背負って上がる人たち」(服は確かにボロイ)の写真を前に年寄りが涙を流す、そこに娘が頷きながらハンカチを渡す、というシーンがあったりです。
「チンドゥー・マミ・ヤポドゥー!(中国軍は素晴らしい)」とチベット人が連呼する歌が延々と流れたりもします。
胡耀邦が80年代初めに一度はチベット政策の過ちを認めチベット人に対し謝ったことが有ったなんて夢のようです。
少なくとも間に文革があったことぐらいは覚えていてほしいものです。
RFAでは59年前を知る人たちが呼ばれ、その当時の状況について報告しています。
最初から、中国の言う「農奴」とか「解放」の定義は、我々とはまるで正反対なのです。50年代アジアの「普通の農家の人」が「農奴」であり、「侵略」が「解放」なのです。
私が子供の頃の日本だって、今から比べれば、所謂<貧しかった>のだ。
50年代の中国内部の漢民族地域と比べてチベットが特に貧しかったという証拠でもあるのか?物質的発展のみを問題にするなら、世界中この半世紀で飛躍的に進歩した訳だ。
ただ、言論の自由もない国は先進国とは決して呼ばれないだろう。
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例のパルデン・ギャンツォさんは今回も元気に活躍されたようです。
以下phayulの記事をjiroさんが翻訳されたものです。
在英チベット人,「奴隷解放日」の前夜に中国大使館の外で抗議
[2009年3月28日 土曜日]
ロンドン,3月27日 - 在英チベット人のメンバーが,元政治投獄犯であったパルデン・ギャツオ氏と共に,中国が呼ぶところの「奴隷解放日」の前夜,ここ,中国大使館の外で抗議を行なった。
この新たに制度化された祝日は,この日をチベットについての誤ったプロパガンダを撒き散らすために中国政府がチベットにいるチベット人に無理強いしているものである,と「チベット社会」団体のPhilpa Carrick氏は述べた。彼は,「チベット社会」代表Fredrick Hyde-Chambers氏と共に,今回の抗議活動に参加した。
手錠や猿ぐつわをはめて,歩道にひざまずきながら,「私はチベット人だ。決して解放されてなどいない」というメッセージの入ったシャツを着て,この団体は強烈な反駁を,50年前にチベット人が民主化されたという中国大使館の偽善で皮肉なプロパガンダに対抗して行なった。
「もし,私たちが,この抗議活動をチベット内で行なったとしたら,私たちは,あっと言う言う間に暴虐で抑圧的に(寄ってたかって警棒を使って)殴打され,拘束され,死にさえするのだ」と,33年間中国に投獄されていたパルデン・ギャツオ氏は述べた
パルデン・ギャツオ氏は言う。「私たちは,この日を忘れない。チベットが民主化された日としてではない。なのに代わりに無理強いされている。中国の赤軍がチベットに隊列を組んで侵略してくる前,私たちには言論の自由があったし,宗教の自由もあった。しかし,中国が侵略してきて以来,抑圧的な調査と規制が無理強いされるようになったのだ」
Philippa Carrick氏は次のように言った。もし私たちが,このような簡単な行動をラサで行なったとしたらと考えることは有益である。私たちは自らの生命を危険に晒すことになるだろうからだ。「このチベット内の状況は,臨界状態と言って良い。占領から50年経った今もまだ強化されている強制と抑圧。チベット人は絶望しているのだ。チベットの外で得られるニュースが,なぜにこれほどまでに少ないのだろうか。これは,今も,継続して行なわれている抗議活動や,逮捕,苛烈な弾圧,悲劇としかいいようのない自殺者たちがいる証拠だ。外に情報を何が何でも出さないようにしている中国の情報封鎖の体制は,あまりにも異常である」(jiroかなりの意訳)
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その他シドニーでは100人ほどが中国領事館前で抗議デモを行い、中の一人のチベット人は靴の中に自分の大便を詰めたものを領事館の塀越しに投げ入れたとか。
これがチベット語で言うところの「キャクパ・サ!(糞くらえ)」の実践です。
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何れにせよ、中国の侵略を直接原因とする、チベット人の犠牲者はこの50年間に120万人以上、破壊された僧院は6千に上る。
これを祝賀するのは中国にとって当たり前だが、チベット人を使って祝うのが中国ならではのやり方なのだ。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)