チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2009年3月26日
カンゼで尼僧二人逮捕/カンゼ強制避妊手術の証言談1
RFAには日々新しい抗議活動の情報が入って来ています。
一人二人でデモする場合が多いようです。
以下はその中の一つです。
(以下RFA放送から要旨のみ)
24日、カンゼ、ラマ・ラダックラ尼僧院の尼僧、ユルシェ33歳とツェテン・ラモ28歳の二人は政治的パンフレットを詰めたバックを持ち、「法王の御帰還を!チベットに人権を!」とスローガンを叫んだ。
程なくして逮捕され、その場で激しい暴行を受けた。
次の日(昨日25日)の朝、逮捕された二人の家族のいる家に二台の車が来て、家族を政府庁舎に連れて行った。
家族は中国政府に対する企みを持ち、ダライラマの分裂主義者団体と手を結んでいるとして非難されたという。
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ラギャの事件の後にも公安は自殺したタシ・サンポの家族、親戚縁者総勢50人を呼び出し、尋問したという。
中国に逆らえば家族、親戚もただでは済まないことを知らしめす目的でしょう。
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このところ、と言うより1950年以来、特に54頃からのゲリラ闘争もこの辺から始まっているぐらいで、この50年間常にチベット抵抗運動の先頭に立って戦ってきた人たちがカンゼのカンパ(男)、カモ(女)なのです。
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一昨日、私が(もう女を泣かすのにつき合うのは嫌だと言って)断ったN2のインタビュー。
それは「強制中絶・避妊手術」を受けさせられた女性に対し行われるインタビューでした。
今日、その内容をN2から報告を受けたので、特にその女性がカンゼ出身者であったのでここに紹介します。(やはり今回も相当激しく泣かせた(れた)そうです)
カンゼの女性の追い詰められた状況理解の参考になるはずです。
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チミ・ラモ43歳はカンゼ近郊セコ村の出身。
家は農家でした。
子供は二人まで許されています。
彼女は結婚し、二人子供を産んだ後、三人目を妊娠しました。
隠れて生むためにラサまで行きました。
しかし、村に帰るとすぐに見回りの風紀委員に見つかってしまいました。
罰金3000元を言い渡され、「今度次を産んだら殺すぞ!」と脅されたそうです。
4年後また妊娠してしまい、再びラサまで行って生み、帰って来ました。
再び見つかり、今度は5000元の罰金を払わされ、強制避妊手術を受けさせられることになったのです。
家は貧しく月に500元稼ぐこともできないほどでした。
強制避妊手術の怖さは村でも知れ渡った話。
手術後に病弱になった人、死亡した人の話もたくさん聞いていました。
近所の33歳の女性は手術後3か月して死にました。
その手術の痛さも女性たちの間で語られ、恐れられていました。
村には定期的に役人の車が来て、5人ずつ病院に連れて行きます。
自分の家に役人が来て嫌がる彼女を怒鳴り、殴りつけながら無理やり連れていきました。
廊下で同じように強制手術を受けなければいけない女性達が沢山待たされていた。
一人30分から一時間かかるが、その間中からうめき声や悲鳴が聞こえてくる。
みんなそのたびに身震いするのでした。
自分の番が来てドアの中に入った時には、目の前が真白になり、そのあとはよく覚えていない、しかし、手術に麻酔は全く使われず、その痛みは腹の中に火が着いたように痛かったことは良く覚えているそうです。
手術が終わっても自分では立ち上がれず、親戚の助けを借りて家まで帰った。
家に帰ってからも一か月近く塞ぎこみ、泣いて暮らしたそうです。
其のあと、体調も崩し、笑いが消えたといいます。
この後も子供を連れて亡命しようとして捕まり、スパイと言われ3年刑務所に入れられる、、、、
苦労話は続くのですが、
続きは明日にします。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)