チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2009年3月24日
南アフリカの平和会議延期決定/農奴解放記念日
先ほど入った情報によると、南アフリカの平和会議は、すべての招待者が揃うまでは延期と決定されたそうです。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=24277&article=Peace+conference+called+off+over+Dalai+Lama+visa+row
昨日、ノルウェーのノーベル賞委員会も南アフリカの決定を非難する声明を発表していました。
http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=24276
もともと会議に法王を招待したのはツツ司教、ドゥ・クラーク氏それにネルソン・マンデラ氏だそうでが、三人がノーベル平和賞をなめるんじゃない!と怒ったのでしょう(冗談です。平和賞の人は怒ったりしないのです)。
国内の野党も強烈に非難したようです。
金を取るか人権を取るかの踏み絵はこれからも続くことでしょう。
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RFAを聴いているとカム、アムドでは至る所で衝突が起こっているようです。
昨日23日にはカム、デルゲにある有名なゾクチェン・ゴンパにも武装警官隊が入り緊張が高まっているそうです。
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今日は午後2時から3時間、みっちり一人の少し老いた亡命政府職員から話を聞かせてもらいました。(もちろんこれもN2の取材に付き合わされてのことです)
彼は23年間を監獄で過ごしたのです。
話は平和だった子供時代から始まり(始めてもらい)、特に59年蜂起の詳細、その後の長い獄中生活について、滔々と語って下さいました。
今は本当ににこやかな顔をした、やさしいおじいさんです。
話を少しはレポートしたいと思いますが、ノートを取るのも途中でやめて話に引き込まれて聴いていたのと、あまりに長いので、思い出す部分を時々お知らせすることにします。
実際、彼の証言談は9-10-3の会からチベット語で出版されています。
いつか、誰かが英語か日本語にすれば良いが、、、、と考えます。
最近中国政府は今週土曜日、3月28日に初の「チベット100万人農奴解放記念日」を迎えるに当たり、恥知らずなプロパガンダ記事を連発しています。
チベットの民主改革、人々の政治参与の権利を保障 – 中国国際放送局
http://japanese.cri.cn/881/2009/03/23/1s137403.htm
今週、初の「チベット100万人農奴解放記念日」 2009/03/23(月) 21:06:01 [サーチナ]
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0323&f=national_0323_025.shtml
米新聞、「農奴制の歴史を繰り返すな」と題する社説を発表 – 中国国際放送局
http://japanese.cri.cn/881/2009/03/23/1s137367.htm
彼、ロプサン・ユンデン氏66歳にこの「農奴解放記念日」についてどう思うか?
と聞いて見ました。
ロプサン:
中国は本当に恥知らずだ!
うそばかりだ!
根っからのうそつきだ。
本当に可哀そうになるぐらい嘘ばかりだ。
正直に答えるべきだ。確かに中国が来る前のチベットが完全な社会だったとは思わない。
良い点もあったろうし、悪い点もあっただろう。
でも、自分が知る限り、中国が来る前に誰かが餓死したとか、自殺したとか、どこかへ避難しなければいけないという人を見たことは一度もない、聞いたこともない。
だが、中国が来た後、どれだけのチベット人が餓死したか、自殺したか、どれだけの人が海外に亡命しなければならなかったか、、、今も続いている。
これだけははっきりしている。
中国が来る前には人々は、金儲けなど二の次だった。最低限働いて後はのんびり過ごした。
集まってピクニックを楽しんだ。歌って踊っていた。
人を非難したり、喧嘩する者は稀だった。
それが、どうだ中国が来て人を非難することを強要した。
喧嘩を奨励した。
良くない影響だった。それでも今までチベット人は何とか良い性格を保っていると思う。
若い者たちにチベット人としての勇気は受け継がれていると確信する。
中国はチベットを発展させたという。人々は平和に幸福に暮らしているという。
そうならばなぜ、メディアをチベットに入れないのか?
毛沢東の言った「ドアの後ろで犬を蹴る」政策が続いているのだ。
続く。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)