チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2009年3月23日
続ラギャ蜂起
ラギャ蜂起の映像を見ることができると、昨日お知らせしましたが、
再度お知らせします。
http://media.phayul.com/?av_id=148ラギャからの新しい情報はまだ伝わってきません。
事実はまだはっきりしません。
タシは生きているのか?未だ行方不明なのか?死体が上がったのか?
タシは自殺したのか?逃げようとして、黄河に入り溺れてしまったのか?
デモの実際の参加者数は?警察署で何があったのか?
ダラムサラに入ってくる情報もその主な中継元もいろいろです。
RFAをはじめとする放送局に直接入ることが多いいのですが、
亡命政府の防衛省、情報局、TCHRD,それぞれの地区会、関係する僧院、個人もそれぞれのルートを持っています。
何れも、最初は個人の目撃者自身、あるいは情報を集めまとめて報告する人です。
中国と違って、故意に事実を曲げようとする人はまずいないでしょう。
もちろん時には単なる噂ということもありますし、デモ参加者数とかになれば人それぞれの印象は違うことでしょう。
それにしても、中国側と亡命政府側発表の差が10倍というのはどういうことでしょうか?
日本ではまず、中国政府の新華社の記事を紹介して、始めることが多いようです。
チベット政府側の発表が先に来ることは決してありません。
嘗ては?そのまま、中国側の情報だけ流すことも多かったようです。
嘘から始めるのは如何なものでしょうか?
この件に関しダラムサラのプレス仲間でもあるAshwini Bhatia 氏の書いた記事を抜粋で紹介します。
http://www.google.com/hostednews/ap/article/ALeqM5iAMqM2_Dwudz52KLQeY2ZKFQq9-gD9732PAO0彼も新華社を引用している。新華社は「独立を支持したタシを取り調べ中、トイレに行くと言って出たきり行方不明になったので後を追った、目撃者は彼が黄河を泳いでいるのを見たという」
ダラムサラのある個人に入った情報によれば「タシは尋問中にトイレに行く許可を受け、そのまま黄河に身を投げた。しかしまだ死体は上がっていない」という。
他のラギャから入った電話情報によれば「最初500人ほどの僧侶が庁舎前でデモを行った。それに市民や近隣の村から集まった人々も加わり2000人ほどになった」という。
彼の話によれば、「タシ・サンポは3月10日に僧院の屋上にチベット国旗を掲げたことにより尋問を受けていた」という。
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何れにせよ、まず警察署でタシはどうしても逃げないといけないような状況に追いやられていた。
中国の尋問には常に拷問が付きものだ。
彼は橋から飛び込んだのか?岸から入ったのか?
何れにせよ、この時期氷のように冷たい黄河最上流に入ることは自殺行為だ。
近くに橋があってそこから飛び込んだのなら自殺とも言える。
近くに橋が無く、河を泳いで渡れば逃げられるような場所だったとしたら泳いで逃げようとしたとも考えられる。
しかし、何れにせよ、まだ行方不明だとすれば冷たい河に流され死んだ可能性が高い。
ダラムサラ側は「自殺した」と言ってる。
現地のチベット人たちの「噂」もそうだったのであろう。
人々は心理的連鎖(因果)により、集まり声を上げたのだ。
普段からの中国に対する怒りに僧侶の死が火をつけたのだ。
このようなことは今ではチベットの中、カム、アムド、ウ・ツァンどこでも起こり得る。
日本の各報道では「このような大規模な抵抗デモは今年に入って初めだ」と書かれている。
確かに千人以上というなら、このデモが初めてだろう。
しかし、数百人規模なら、二月中にアムドであったし。
3月10日にはカンゼで行われ、17人逮捕されている。
その他のどこかであったかも知れない?
情報が出て来ないだけだ。
だから、初めてではない。
その他、中国側の発表では、「次の日の日曜日にはほとんどデモは解散されたが、
30人ほどの命知らず(diehards)だけが夕方まで抵抗を続けていた」と言う。
ゴロ人は特別勇気があり、頑強なのです。
この火は飛び火するのでしょうか?
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)