チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2009年3月21日
TCV(チベット子供村)の一日
最近ダラムサラにいる悪友ふたり、日本から一緒に来たM氏といつものN2氏が「TCVの一日を撮って本にしよう」と思いつきました(M氏は日本を出る時から考えていたかもしれないが?)。
昨日の朝、前日から私の家に泊まりこんでいた二人と共に朝4時起き、私も結局一緒に行くことになりました。
私も写真をたくさん撮ったので、時系列でTCVの子供たちの一日を簡単に紹介します。
詳しくは、M氏の美しい文章とN2氏のリアリティー満点の写真から生まれる「本」の完成をお待ちください。
TCV(Tibetan Children’s Villages チベット子供村)は、現在一万五千人の新しく亡命してきた子供たちを中心にした、恵まれない子供たちに教育を与えています。
子どもたちの多くはチベットに親を残したままか、孤児か、あまりに貧しい家庭の子供たちです。
だからホームと呼ばれる寮で生活しながら勉強するのです。
そんなダラムサラのTCVの一日を追ってみました。
朝5時前ホーム7番のお母さんはすでに子供たちの朝食を用意するためにキッチンに入る。
TCVで作っているパンを一人一人用に切り分け、蒸して温めるのです。
それと、お茶(ミルクティー)を用意するだけですが。
各ホームには30~40人の男女、大きいのから小さいのまで入り混じった子供たちをアマラ(お母さん)と呼ばれる寮母さんが一人で面倒を見ます。
もっともホームごとに年長の子供が責任者としてアマラの補佐をしますし、上の子は下の子を自然に助けています。
朝五時半、アマラが男女のドミトリーのドアを叩いて子どもたちを起こします。
眠そうに一人づつ起き上がり、すぐに制服を着て、それから布団を丁寧に畳みます。
TCVでは高校3年までみんな二段ベットで寝ます。
小さい子は二人で一つのベッドに寝たりしています。
持ち物はブリキケース一つずつです。
朝食はパンとお茶だけです。みんなホームごとの多目的ホール(食堂、お祈りの部屋、勉強部屋、遊び場)に集まり一緒に御祈りを上げてから食べます。
写真左手の二人の子は二日前に到着したばかりだとか。
インド北部のキノールと呼ばれる仏教徒の住む谷から、両親とも亡くなり孤児となりここに送られて来たのです。
水路のそばに並んで歯磨き。相当丁寧にやっていました。
その他、顔を洗ったあとは女の子は大きい子が小さい子の髪を梳いて束ねるのを手伝います。
その後少し自由時間があります。
太陽熱システムの上に下着を乾し、その前で宿題をやったり、
女の子は集まって輪になり中に鬼を入れて遊んだりしますが、女の子が輪になってると、、、すぐに中に入りたくなるN2、中に入るだけでなく土間に寝そべり上に向かってシャッターを撃ちまくっていました。
7時に小学校の生徒は小ホールに集まり、朝のお祈りを唱えます。
仏讃偈に始まり、頭が良くなるために文殊菩薩を讃え、そのマントラを唱え、七枝の経に21ターラ菩薩讃歌等々、最後にツェメーユンテン(真理の言葉)で締めくられます。みんな精一杯大きな声で唱えていました。
お経が終わったら各教室に入り、一時間の自習時間が始まります。
起きてここまで約二時間。
すべて、ふざけ合いながらスムーズに進みます。
その後朝礼、授業が始まった訳ですが、私は一旦ジョギバラの家に戻りました。
写真は一時過ぎからの昼食風景です。
朝はホームNo7と8を中心に撮影していたのですが、昼からはチュニ(ルンタレストランを切り盛りする直子さんの長女)を追いかけることになってるとかで、私もチュニ追っかけにつき合いました。
写真の中、上の段右端で食べてるのがチュニです。
チュニは恥ずかしがり屋なので、我々むさい大人三人がぞろぞろと食べてるとこに現れてバシバシと写真と撮りまくるので、いやーーナそうな顔になっていました。
ホームによっては天気はいいしで全員外で車座になって食べていたり。
この日の昼食はご飯の上にジャガイモとトマトとビン(春雨)を炒めたおかずがのってました。
一時間の昼休みの間に昼食を済ませ、ゆっくりとクラスに向かっていきます。
チュニは早々クラスルームに帰り親友の女の子とおしゃべりです。
中学一年生のチュニはいつもクラスの優等生です。
クラスには三人の僧衣を着た子供がいました。僧侶になってもここで勉強できるのです。
そのうちの一人の子坊主の机を開くと裏にはインドのムービー・スターのワイルド写真と仲良し写真が目一杯張られていました。
ここの中学生用校舎は嘗てイギリス人の建築家が設計した建物です。全体に六角形の組み合わせでできています。
真ん中には比較的広い階段状のホールがあります。
そこをステージにしてブレークダンス大会が始まりました。
中の一人はなかなかのもので、みんなのアンコールコールが続いていました。
それにしても、騒がしいこと! 元気が余っているようでした。
チベット人は騒いでなんぼ、ジョーク飛ばして、周りを笑わせてなんぼなのです。
思い出せば、私の三人の子供も小学校の始めから高校を終わるまで、この学校にお世話になったわけですが、やはりその人格形成には徹底的な影響があったようです?
お姉ちゃんは12歳、弟は9歳です。
アムドから一年半前にヒマラヤを越えここに辿り着きました。
18日間歩いたそうです。
弟の方に「高い山には雪とかあって大変だったろう。全部一人で歩いたのか?
大人に背負ってもらったりしたんじゃないかな?」
弟「いいや、全部一人であるいたよ」とはっきり答えました。
何食べてたの?
「ツァンパ」
ネパールに入って家の中に泊まったりした?
「一度も家の中には寝なかったよ。ずっと外で寝てた」
お母さんのこととか思い出す?
「よく思い出すよ、、、」
恥ずかしがって、中々思うようには話が聞けませんでした。
子供は二人しかいなかったが二人とも一緒に送られたそうです。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)