チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2009年3月16日

ネパールの現状、野田氏のトーク予告

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7c60d15b.jpgPhayul.comのニュースに3月14日、カトマンドゥで三人の外人が中国大使館のビザ、ビザセクションの前でスローガンを叫んだとして逮捕された、というのがあった。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=24180&article=Three+foreigners+detained+in+Nepal+for+Anti+China+Protests
三人はドイツ人、ノルウェー人、イギリス人。
叫んだスローガンは
「Free Tibet」「China,out of Tibet」

もっとも外人と言えば去年日本人の友人がチベット人と一緒にデモして、何度も逮捕され、刑務所に入れられた話は紹介しましたし、今に始まったことではないのです。
ラサでも外人狩、カトマンドゥでもチベット外人狩です。

ただ、今月のネパールは特別中国にぺこぺこして、チベット人いじめを強化しているようです。

3月10日にはバスに乗って国境に中国国境に向かっていた140人のチベット人が、独立分子として逮捕されたとか。

「レコードチャイナ:チベット独立派140人を逮捕―ネパール 」
http://www.recordchina.co.jp/group/g29375.html

これは、中国の外務省事務次官が先月カトマンドゥを訪問した時、ネパール政府に対し「チベット人の反中国活動を阻止せよ」と命令したことに始まる、新しい締め付けキャンペーンと言えるでしょう。

この辺のところはカトマンドゥにお住まいのばなな猫様のブログをご覧ください。
http://banana-cat-cafe.blog.so-net.ne.jp/3月10日前後の様子がよく分かります。

以下、3月9日分転載させていただきます。

ーーー

明日、3月10日チベット民族蜂起50周年 in カトマンズ [チベット]
明日、チベット民族蜂起50周年をひかえたカトマンズの警戒態勢はマックスです。
今日UN本部の前を通りましたが、去年のデジャブーのように
機動隊が配置されていました。
中学生達がよじ登った塀には、鉄線がはりつめられ・・・

話によると、ジャワラケルとスワヤンブのチベット人に対して、
警察から「明日はボダに集まらないよう」という通達が出ています。
・・・・・??
つまりジャワラケルの、あの二またの交差点に、またもや警官隊が立ち、
「どこに行くんだ?ボダに行くんじゃないぞ!」と脅しをかけるらしいのです。
いや、行った所で逮捕とかできるはず無いじゃん、とお思いのあなた、
ネパール警察はそんなに甘くありませんのです。
拘留する理由なんて、いくらでもあげられます。
ああ、まるでこれではどこぞの人民解放軍のよう・・・
ラサも明日は、チベット人は外出もままならない事でしょう。

現にボダに住むチベタン・ジャーナリストがおととい自宅から連行、
拘留されています。
「独立運動を率先している」といちゃもんをつけられ、
「今後運動に関わったら、実刑にする」と脅され、
今日、大金(保釈金?ワイロ?)を積んで出してもらいました。

で、明日はどうなるのかといいますと、
いつものようにボダで、法王の声明が読み上げられて、
プジャが執り行われるのですが、
問題はその場所・・・・
例年はストゥーパにて、オープンに行われていたのですが
(かつては、デモも警察の許可をもらってやっていた)、
5年ほど前から、法王の写真の掲揚などが禁止され、
去年、おととしは、お寺の中庭へ警官隊によって追い込められ、
今年はどうやら、中庭もNGという警察からのダメ出し。
仕方ないので、ゴンパの中か、集会所ですることになりそうです・・・・

はあっ・・・・・・。

デモ????あり得ません。
無駄に死人を出しても仕方ないです。
思い切りデモしたい若者はもうみんなダラムサラに行ってしまいましたし。

現在、共和制であるはずのネパールは今、
確実にマオイストが与党の共産党国家になりつつある気がいたします。
民主主義なネパールはもう、本当に終わってしまったのですね。。。

うわさによると、2009年度のチベット難民へのアメリカン・グリーンカードは、
8000通用意されているそうで、、
、、
つまりもう、じいちゃんばあちゃん以外はみんなアメリカへ行け、ってことです。
難民がいなくなれば、「難民問題」も無くなるってことです。
UNもチベット問題が、UNHCRやヒューマンライツ事務所、
その他の活動の妨げの引き金にならぬよう、
苦汁の選択を迫られているようです。

どうか、どうか、悲しいニュースが舞い込んで来ませんように。
明日は裏のお寺でバターランプでお祈りします。

ーーーーーーーーーーーーーー

上の写真はカトマンドゥのボーダナートの仏塔の周りを左回りに行進する武装警官隊です。

この写真をいち早く見られた、S女史から以下のようなメールが届きました。
「みなさん」宛てのメールだったので、無断転載させて頂きます。

ーーー

 昨日のphayul.comの記事と写真を見て、ショック!バウダ (ボーダナート/チベット正月にみなさまにお送りした写真の場所)の コルラーに武装警察が!これまで無かったこと。急いでカトマンドゥの 友人にメールしました。すぐに下のような返事がありましたが去年の秋 から事情が急変しています。

 理由は、最近ネパールを訪問した中国外務省事務次官級(?)の要人のせい。ネパールがこれほど中国の思惑通りに動くとは思ってもみな かった。これまでも、中国大使館へのおもねりから、表面だけでも亡命 チベット人の動きを取り締まっているようには見せていた。けれどほと んど即日解放されてた。それが、今、平和のシンボルともいうべき チョーテン・コルラーにあのように警官を繰り出している。ここはチベット人もネパール人もみな平和を祈って灯明をあげ祈る場所だ!聖地なんだ!

 友人の話では個別訪問でデモ先導者をあぶり出そうとしている。また、IDCを所持しない者は逮捕されて3年以上の禁固。IDCというのは多分ラキェル、難民証明証。亡命チベット人(1959-79年までの難民)と新難民(1980-89)は大抵もっているけれど、90年以降難民センターを経由しないでネパールに居着いたものに
は与えられていないはず。この話は前々回難民センターを訪ねた時、聞いていた。逮捕された者はいないけど、所持しない者は多くいると聞いていた。しかし実は、昨秋センターを訪ねた時は、14、5名が難民センターに引き取られていた。実際は留置場に入れられるところを国連高等弁務官事務所が引き取って、センターに収容したのです。彼らはいずれも証明証をもっていず、デモに参加(中国大使館前)して捕まってしまった。老若男女、年齢もそれぞれ。その後彼らはどうなったのか?ネパール在住10年の家族もいる人もいた。

 お話が大分それてしまったけど、この「IDC不所持の者は逮捕すべし」というのは中国の圧力です。オリンピック前数年のころから、中国とネパール政府(前政権=国王の時代からマオパティ主導の現政権)の距離が縮まり始めて、この話が具体化してきたという経緯があります。「不所持の者は当然中国人であるから、中国に帰還させるべき」という論理です。

 中国の思惑通りに政府が動いているとしたら、チベット人の人権も表現の自由も封殺されていると考えてよさそうです。何とかネパール政府に圧力をかけられないものでしょうか?…..あの国も右往左往、未だ制憲国会が軌道に乗らず……でも何かやってみます。

 友人は言っています。「昔はネパールは天国だった。」あのオールアバウトな空気がなつかしい。

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カトマンドゥでチベット難民一時収容所に行くには

カトマンドゥと言えばつい先月ナンパ・ラ(峠)行きの前後に寄ったばかりです。

思い出す話が一つあります。

N2氏と私の二人は山に行く前と後、二回チベット難民の一時収容所に行ってインタビューと写真を撮ることをトライしました。
数年前まで「トライ」何て必要なく、中で働く知り合いに電話すればすぐに入れたものでした。
それが、今回は友人曰く「UNの許可がないと入れないよ。まずUNの誰それに会って、、、」と。
何だかな、、、と思ったが、N2氏が「あ、UNなら知ってる。すぐ行こう」というのでタクシー走らせてUN・・・のオフィスに入った。
要件を伝えて、係りがいないと言われ。それでも帰らないで粘っていると、
次に若いフランス人の女性係官に詳しくインタビューされ、、、後から連絡すると言われ、帰った。
後から電話がかかって来て「私たちの事務所ではそんな許可書な出してないそうです」と言ってきた。

後で判ったことだが、NU違い!の事務所に入っていたのでした。

しょうがないので、結局その時は直接友人と一緒に中に入り、ボスと話して、ナンパ・ラ・コネクションだけを聞いて帰りました。
難民たちにも会って、話も聞きましたが写真は撮りませんでした。

ナンパ・ラ行きを終え、帰ってきたカトマンドゥで再びUNに挑戦してみました。
目指すはUNHRC(国連難民高等弁務官事務所)です。
見つけるのに相当苦労しました。
町はずれに隠れるようにして建っていました。
普通の住宅のようでした。
変わったことは、門の前に黒人が沢山いたこと。
彼らは何とソマリア難民!?だったのです。

我々を見つけるとさっそく自分たちの窮状を訴え始めました。
我々が厳重なドアの中に入れることになったのを知ると、誰それにこう言ってくれ、とか伝言を頼まれるのでした。

中に入って二人目の係官はネパール人の若い女性。
話の中で彼女が「チベット問題は大した問題ではないので(low Profile)、、、、」とか言ったので、少しカチンときて、「それはどういうことかいな!?」と詰め寄ったりしました。
彼女はブータンから追い出された10万人のネパール難民の話をして、この方を取材したほうがいいなどと言うのでした。
結局、「ではこのネパール政府の事務所に行って許可を申請してください」と言われました。(この時点で申請は諦めました)

何と、いつの間にか、国連は独立した機関ではなく、ネパール政府にコントロールされるまでに落ちぶれたということです。そのネパール政府は中国政府にコントロールされてるしね、、、

友人の話では中国はネパールにUN機関が沢山あるのが目障りで一挙にUNをネパールから追い出そうとしているとか。
特にUNHRCには毎日中国から嫌がらせメールが送られてくるとか。

実際ネパールにある国連機関の予算のほとんどはアメリカが出しているので、中国対アメリカの戦いなのです。

今回ネパールにいるチベット難民を最大2万人までアメリカに移住させるという計画は、もうネパールに住むチベット人に将来は無いと見たアメリカのチベット人救済政策の一環でしょう。
しかし、この計画実際には少しも進んでおらず、チベット人がアメリカに大量移住できるという話はただの夢に終わるかもしれません。

ネパールは中国にコントロールされてチベット人のデモを規制している、というが、
ここで思い出すのは、日本の話。

3月7日、私は日本の東京にいて、その日の朝行われた、SFT主催の中国大使館前抗議デモに参加しようと、六本木の地下鉄の出口でどっちに行こうかと迷っていました。
気がつくと前に警官がいたので、中国大使館はどっちに行けばいいのか?と尋ねた。
すると、答える変わりに、「失礼ですが、中国大使館に何の用で?」と聞いてくる。
はは~~~と、思ったが「デモがあるんで」と言った。
「中国大使館はあっちですが、あまり近づかれないように、、、」とか言ってた。

近くで迷ってもう一人に聞いた時も同じ質問に遭った。

やっと現場に近づくと、みんなが大使館から離れた所に集まってる。
私が大使館前に行こうとすると、警官が止めた。
「どうしたのですか?どうして通さないのですか?」ともめていると
世話人がやって来て、特別にと了解を取って見るだけだと言って警官に連れて行かれた。

その間私はしつこくその警官に「チベット人をこれほどまでに弾圧している中国政府を日本政府がこれほどまでに守る必要があるのかね!もう日本も半分中国だね!」と、ヤジを飛ばし続けていました。

結局大使館前、道路反対側に5人ずつが交代にスローガンを叫ぶことのみが許されているとか。

また、日本人はみんな大人しく黙ってそれに従っているのが風土(病?)でしょうか?

日本も似たようなものだということです。

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N2氏とS女史の話が出たついでに、以下S女史が企画されN2氏のトークと映像が見られるイベントを紹介いたします。

N2からナンパ・ラのまた違った話も聞けることでしょう。写真もプロ、ビデオも沢山撮ってましたから、大いに期待できます。
是非、参加して見てください。

ーーー

チベットの歴史と文化学習会

─休憩(15分間)─
日時:2009年4月11日(土) 
18 : 00~21: 00 開場17 : 45
●主催:チベットの歴史と文化学習会 ●お問い合わせ:
e-mail : trb.gakusyuukai@gmail.com

場所:文京区民センター3階 3-A会議室

講師:吉水千鶴子(筑波大学人文社会科学研究科哲学・思想専攻准教授)

講座 チベット仏教の潮流 第2回「仏教のチベット的展開」お話:渡辺一枝(作家)
チベット報告「受難ということ」

報告:野田雅也(フォトジャーナリスト)緊急報告「国境線リポート」

基調報告:長田幸康(I love Tibet!ホームページ 主宰)

質疑応答「Tibet2009 vol.2─チベットの政変から60年」

参加費:¥600

下記アドレスよりお申し込みください。
http://www.tibet.to/gaku3/ 
FAXで申し込みの場合はお名前、連絡先を
ご記入の上、下記よりお申し込みください。
FAX : 03-3229-1124 
参加申し込み
※当日参加もできますが予約を優先させていただきます。
 定員になり次第締め切らせていただきます。

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野田氏は今ダラムサラにいます。

カトマンドゥで私と別れた後、ポカラに行き「元ゲリラ兵にインタビュー」した後、
ナンパラで果たせなかった悲願難民遭遇、今度はすぐにダム方面に「越境難民」を追って潜入。
結果は如何に?

ダラムサラでも相変わらず、毎日精力的に色んな人へのインタビューを繰り返しています。
アマアデにインタビューしたり、新しく来た難民にインタビューしたり、今度TCVの子供の1日を追うために、朝4時から学校に行くとか言ってました。
僕はつき合わないからね、、、

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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