チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2009年3月14日

3月10日法王記者会見 その一

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BBCが、昨日北京で行われた温家報宝首相の記者会見の様子を昨夜から流しています。
大きな会場は一杯でメディアの数は500を越えていると思われました。
彼の記者会見は年に一度だけとか。
コメントに「質問者は事前に選択されており、質問内容もその答えも大体決められている。質問できなかったものは一年待つしかない」と。

しかし、どうしたものか?意図的であろうが、チベットに関する質問があった。
もちろんそれに対し温家宝は「チベットは発展しており、全体的には安定している。政策が間違っていない証拠だ」と答えた。
ダライ・ラマとの対話については「厳しい状況下でダライ側の要求に応じて3回行った。実質的な成果を得るにはダライ側の誠意が鍵になる」といつもの逆論理。

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3809ca6d.JPG
以下、3月10日、ダラムサラのツクラカン、カーラチャクラ堂で行われたダライ・ラマ法王の記者会見の一部をお知らせします。(続きは追って)

こちらのメディアの数は200人ほどでした。
去年の3月行われた法王の記者会見には100人ほどのメディアが集まっていました。
今年はその倍。恐らくダラムサラにこれほどのメディアが集まったことは嘗てないことでしょう。
北京と違ってダラムサラでは質問は誰でも自由、内容もまるで自由です。

中には「法王はご自身の死をコントロールできると聞きました。いつお亡くなりになるおつもりか?」という、突拍子もない質問まで出てくる始末でした。
もっとも、いつも法王はどんな下らない質問に対しても、それを逆に使って面白くて意味のある答えを返して下さるという、そこが面白いので、馬鹿な質問でも許されるのです。

まずは日本の共同通信社の質問とそれに対する法王のお答えから。

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共同:

中道路線についてです。法王はステートメントの中で、この路線の継続に対しより大きな確信を持っている、とおっしゃいました。しかし、中国側からは如何なる肯定的反応も返ってきていない。
では今、中国に対し何か新しい、秘密の方策とかでもお持ちなのか?

法王:

我々に国家機密というものは何もない。ハハハハハハ、、、
いつも透明だ。

ステートメントにも明記したことだが、我々は最悪の事態に対しても準備すべきだ。
だが、同時に希望を捨ててはいけない。
この希望には多くの理由がある。

まず第一に、チベット人の精神と決意は非常に強いことだ。

すでに(チベットが中国により侵略されてから)50~60年の歳月が流れた。
世代は完全に変わった。
しかしこの若い世代の者たちは前の世代と同じチベット精神を持っている。
この精神の歴史は古い。これは明白な事実だ。

共産党は様々な方法、例えば洗脳、情報操作、金を与えること、昇進そして暴力、監獄の拷問等を使ってこの精神を破壊しようとしているが、この精神は決して無くならない。

例えば、私の良く知っている、チベット人で共産党に1930~40年台に入党したものがいる。彼らは共産党員だったが、そのチベット人としての精神には変わりがなかった。
そのせいで、1957年頃彼らは共産党により投獄された。
あるチベット人は、あまり宗教的精神は強くないが、そのチベット人としての国家意識は強いという者もいる。
だから、これが第一のポイントだ。

第二番目には、中国人の中に益々チベットの現状に対する認識が広まってきているということだ。

中国は偉大な国家、最も人口の多い国家だ。だから、中国人がこの地球上においてより積極的な役割を担うためには、中国は他の世界の人々からの尊敬と信頼を必要とする。
故に、この問題に対処するための政策はこの点から見て非常に大事なことだ。

中国内の知識人の多くが現政府のチベット政策を全面的に批判している。
私の知る限りこれに関し、去年の3月からすでに300を超える記事、文章が中国語で発表されている。中国本土でこれらは読まれているものだ。
すべてこれらは中国政府の政策を非難し、チベット人との連帯を表明するものだ。

これももうひとつの肯定的要因だ。

第三番目には、中国人の中に益々仏教徒が増えて来ているということだ。

私は常に中国を仏教的長兄として尊敬している。
我々チベット人はブッダの若い生徒だ。
私は中国人に対し仏教を説く時には、いつも最初に長兄に対する尊敬を示すことにしている。彼らは仏教に関してシニアであり我々はジュニアであるからだ。

でも、時にはジョークとして、ジュニア生徒の方が知識力においてはシニアに勝ることがあるが、、、と言ったりする。へへへへへへへ、、、、。
ま、とにかく、益々多くの中国人がチベット仏教に対する真摯な興味を示しはじめた。
彼らはチベットの伝統から仏教を学ぼうとしている。
チベット仏教の修行法に従おうとしている。
これも一つの肯定的傾向だ。
実際、政府の高官やその家族の中にも仏教への強い関心を示している者もいる。
多くの者が家に仏像を置いていると聞く。

中国はこの60年間、中華人民共和国が成立して以来、一党独裁の下に置かれ続けてきた。
私はよくこれを、四つの時代に分けて考える。
毛沢東の時代、鄧小平の時代、江沢民の時代、そして今、胡錦涛の時代だ。

よく観察するならば、変化は大きいことに気付くであろう。
毛沢東の時代にはイデオロギィーが第一であった。故に他の価値は犠牲にされた。
鄧小平の時代になり、大事なものはイデオロギィーではなく「金」だということになった。
共産党が資本主義党になったということだ。
だから、外国の友達なども、「今はもう中国に共産主義はない、あるのは独裁資本主義だけだ」と言っている。ハハハハハ。
だから、鄧小平の時代には大きな変化があった。

この新しい現実の中で、中国には今までいなかった中流階級が増え、億万長者もたくさん生まれた。
貧富の差、沿岸部と内陸部の格差が生じた。
かつては国の主人と呼ばれた労働者階級の人々は今、苦境にある。
共産党はすでに労働者階級の人々のための党ではない。

この状況を見て江沢民は「三つの異なる提示」という概念を作った。
「共産党は労働者階級のための党ではなく、すべての階級の人々のための党だ」といった。

今、この格差や様々な新しい問題に対処するために胡錦涛は「調和ある社会」の重要性を強調している。
これらの事は共産党独裁政権も、少しは新しい現実に即して政策を変えていく力があるということを証明している。

「調和」と言うことは本当に大事なことだ、世界のいかなるレベルにおいても大事なことだ。鍵だ。
「調和」「連帯」のためには「信頼」が欠かせない。「信頼」がないならば真の「友情」も「連帯」「調和」も起こり得ない。
「信頼」と「恐怖」は相反するものだ。
胡錦涛は民衆の前でかっこよく「調和ある社会」の促進の話をするが、願わくば、そこに至る方策が論理的、科学的なものであることをだ。

まずは透明性が求められる。すべてをオープンにすべきだ。
秘密をなくすことだ。
メディアに対し完全に開かれていなければならない。
このようにすれば、信頼は次第に獲得されよう。

同時に軍隊と警察を縮小すべきだ。
この二つは「恐怖」を生みだすだめのものだから。
「恐怖」がそこに或る時、如何にして「信頼」が育ち得るのか?
親子の間においても、もしも父親が子供に対し暴力的であったり厳しすぎるときには、子供は反抗する。
これはまったく当たり前のことだ。
人間の自然な心理的反応だ。

もっと開けた、大きな心を示す時、親近感は生まれる。親近感は信頼に繋がる。信頼から連帯、統一が生まれ調和が実現される。
そうではないかな?
だから、胡錦涛が「調和ある社会」を作るために、いずれ「科学的方法」を取ることを望む。

もうひとつの側面、国際関係についてだが、中国はいつも我々がチベット問題を国際化していると言って非難する。
みなさんも御存じのように、よくよく現実を分析してみれば、このチベット問題を国際化しているのは中国自体だということが解るであろう。
私が行く先々で抗議を行う、国に対し、大学に対し、個人に対してまで圧力をかける。
このことがメディアの注目を引く。
この方法により中国はチベット問題を国際化するために大いに貢献してくれているのだ。
だから、この点で我々は中国政府に感謝しなければいけない、、ハハハ。

目の前にはこんなにたくさんメディアの人たちが集まっている。
これはチベット問題に対する関心の高さを示している。
多くの国の人々がアメリカ、カナダ、オーストラリア、ヨーロッパそれに日本でも、チベットに対する真摯な連帯を表明している。
これは肯定的要素だ。我々の希望の基礎ともいえよう。

だが、一方で我々チベット人は決心している。
私たち(隣にいるリンポチェを見ながら)70歳を越えた世代はもういつでもこの世に「バイバイ」(手を振るしぐさ)する用意ができている。
天国とか浄土とかに行くなり、地獄に行く。
そんなことはどうでもいいが、とにかく自然に新しい世代は生まれる。
今日も聴衆の中に沢山の優秀な若い世代の者たちを見かけた。
彼らがチベット問題を担うであろう。

これらが、我々が楽天的でいられる理由なのだ。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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