チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2009年3月1日
アバでの僧侶焼身自殺について。アメリカ政府HP:チベット人の人権/ITC日本語資料。ジャミヤン・ノルブ氏のエッセイ
まず、<チベット式>に掲載されている
http://tibet.cocolog-nifty.com/blog_tibet/2009/02/post-484b.htmlウーセルさんのブログから。
http://woeser.middle-way.net/2009/02/blog-post_6324.html
■アバの僧侶タペーが街中で焼身自殺し、銃撃された(文・ウーセル)
2月25日午後、北京の繁華街・王府井で、新疆ナンバーの車の中で3人が焼身自殺した。身元は今なお明らかではない。海外メディアはチベット人ではないかと懸念している。その日がチベット暦新年の元日だったからだ。
しかし、ロサル(新年)3日、ついにチベット人が焼身自殺してしまった!
チベット本土で、チベット人が抗議の焼身自殺をしたのは初めてだろう。
この知らせを聞いたとき、しばし言葉を失い、声さえ出せなかった。胸がうずき、辛くてたまらない。
目の前に燃え盛る炎が現れた。炎の中には、若い僧侶がいる。雪山獅子旗とダライ・ラマ法王の写真を高く掲げ、叫びながら走っている。彼は油をかけた袈裟に火をつけ、火の玉となって街中に飛び出した。
銃声が響いた!
ニュースらしく書いてみよう。
2月27日、アムド地方ンガワ(現在の四川省アバチベット族羌族自治州アバ県)。アムドの著名な大僧院キルティ寺(格爾登寺)で、千人以上の僧侶が仏殿に集まり、祈願の法会を執り行おうとして、阻止された。同寺の管理委員会は僧侶らに法会の中止を求め、当局による懲罰は免れた。僧侶らはやむをえず僧坊に戻った。
しばらく後、午後1時40分、ひとりの若い僧侶が寺を出て、ほど近い町の中心部に向かった。そして、突然、雪山獅子旗とダライ・ラマ法王の写真を掲げ、油をかけた袈裟に火をつけ、叫び声をあげながら駆け出した。町にあふれるほどいる兵士が直ちに彼に発砲した。3発、射ったという。自らの身に火を放ったこの僧侶は射たれて倒れた。兵士は飛びかかって火を消した後、銃弾に倒れた僧侶を運び去った。
若い僧侶の名はタペー。25〜30歳位で、キルティ寺近くの村の出身だ。
タペーが亡くなったのかどうかは、わからなかった。午後、数百人の僧侶が彼の実家を訪れ、供養の法会を執り行った。
昨年3月27日には、キルティ寺の32歳の僧侶ロブサン・ジンパが遺書を残して、僧坊で首を吊った。彼は遺書の中で、当局がキルティ寺に着せた罪(抗議行動を指導し組織した罪、兵士が銃殺した遺体を保存し、外部に情報を漏らした罪)について書いていた。いわく、すべて彼ひとりによるもので、寺院やその他の僧侶には関係がない。抗議行動を率いたのは自分であり、その責を負う。遺書の終わりにはこう書かれていた。「中国の圧迫の下では暮らしたくない。1日といわず、1分でさえ我慢できない」。最後に彼の署名があった。
昨年4月16日夜には、同じくキルティ寺の29歳の僧侶トゥソンが自殺した。彼は盲人だった。命を絶つ前、家族にこう言った。「目の見えるあなた方には、こんな日々が耐えられないでしょうね。何も見えない私でさえ耐えられないのですから」。
2009年2月27日記録
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アメリカ政府は最近中国の人権状況について「特にチベットなどで悪化している」との報告書を公表した。
このことについて中国はもちろん猛反発している。
その米国務省報告書は以下です。
http://www.state.gov/g/drl/rls/hrrpt/2008/eap/119037.htm
この元になっているのはICT(the International Campaign for Tibet)が「第41回 拷問禁止委員会会議」のために提出したチベットの人権に関する報告書です。
これは、実に詳細な報告書なのです。
これが日本語になっているのです。
http://www27.atwiki.jp/ictreport/(どなたが翻訳されたのか?)
是非、資料としてご覧ください。
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最近Y女史がジャミヤン・ノルブ氏のブログを精力的に翻訳されています。
原文、
http://www.jamyangnorbu.com/blog/2009/02/04/a-not-so-special-meeting/
日本語訳:ジャムヤン・ノルブ氏 『さして特別でもない会議』(1)~(4)
http://epea.exblog.jp/9340790/
http://epea.exblog.jp/9349525/
http://epea.exblog.jp/9349538/
http://epea.exblog.jp/9349543/
チベット新年に書かれた「A LOSAR GIFT FOR RANGZEN ACTIVISTS」には
チベットが独立国であった証しとなる、貴重な写真も沢山載せられています。
是非原文の方にも行って見てください。
http://www.jamyangnorbu.com/blog/2009/02/25/a-losar-gift-for-rangzen-activists/日本語要約:
http://epea.exblog.jp/9397808/
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)