チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2009年2月26日
ダライ・ラマ法王ロサ(チベット歴新年)のメッセージ / ナムチェに帰るーーー第11日目。
昨日はチベット歴の新年、ロサ(ル)だったのですね!
移動日だったのですっかり忘れてました。
全く偶然ではあるが、今年はthe Earth-Ox Year (地・丑年)ということで、昨日雪山を行くヤクばかり載せたのは、チベットの今年の象徴でもあり、チベット人の躍進を期す吉兆の印だった、ということにしましょう。
何れ、今年の正月はチベット人にとっては喪の正月です。
最初に<法王・新年のメーセージ>を東京法王事務所のページよりコピペさせて頂きます。
( )は私の勝手な補足です。
原文英語は
http://www.dalailama.com/news.348.htm
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ダライ・ラマ法王のメッセージ:
http://www.tibethouse.jp/dalai_lama/message/2009newyear.html
チベット暦丑年の新年をお迎えのチベット人のみなさまへ
2009年2月25日(チベット暦2136年1月1日)
チベット暦2136年丑年の新年を迎えるにあたり、チベット内外のチベット人のみなさまにご挨拶申し上げるとともに、平和と繁栄がありますよう、そして我々の義にかなったチベット運動が解決へと(gradual resolution )向かいますようお祈り申しあげます。
地球(planetary movements)は絶えず回り続けています。この動きには古いも新しいもありませんが、しかしその結果として昼があり、夜があり、ひと月があり、一年があります。その一年の廻りが満了したときの新たなはじまりを新年とする伝統は世界中にあります。雪国チベットにおいてもこれは同じです。1月1日を新年とし、宗教的にも世俗的にも入念なお祝いをします。しかしながら昨年、チベット全土のチベット人が中国指導部の政策に対する不満を表明し、これが広がったことへの答えとして、チベットに住む何百人ものチベット人が命を奪われ、何千人もが拘禁され、拷問されるのを我々は目の当たりにすることとなりました。
計り知れない困難と苦悩に直面している同胞のことを思えば、今年迎えた新年が祝賀やお祭りの雰囲気をたのしめるような時節にないことは明らかでしょう。 私は、新年の祝賀行事に浮かれ騒ぐことのない断固としたチベット内外のチベット人の行動を高く評価しています。正月を祝うかわりに、悪い行ないを排し、善い行ないに取り組むための期間として使うべきでしょう。そのように徳を積むことで、チベット問題のために命を賭した同胞をはじめ、亡くなった同胞がより高い次元で次の生を受け、仏教の悟りの境地に速やかに到達するように助けることができるでしょう。またこのような取り組みは、現在苦しみの最中にある人々が自由であることの幸せを速やかに享受できるように助けることにもなるでしょう。そのように徳を積むことを通して、我々は、義にかなったチベット運動が早期に解決するように全力で一丸となって取り組んでいく必要があります。
まさに我々が懸念していたように、チベットでは今、中国政府による弾圧キャンペーンが再開されており、チベット全域のほとんどの町において武装した軍や治安部隊が大量配備されています。チベット全域どこにおいても、チベット人の願いをわずかにでも暗示するような所作を示す者には、拷問と拘禁が待ち受けているのです。とくに僧院においては特別に厳しい規制が課せられており、愛国再教育が再開され、外国人旅行者の訪問も規制されています。さらには、チベット暦の新年を盛大に祝うようにとの挑発的な命令も言い渡されています。このような現実を見据えるなら、その背後には、チベットの人々を残忍で攻撃的なレベルの人種に貶め、どうしようもない連中だからいさめるしかないという流れに持ち込もうとする中国政府の意図があることが明白にわかります。そのような流れが現実となれば、中国政府はかつてないほどの想像を絶する弾圧を意のままに行なうことができるようになります。ですから、私はチベットの人々に対し、忍耐を貫き、中国政府の挑発に屈しないよう強く呼びかけさせていただきます。尊いチベット人の命を無駄にしないよう、拷問や苦しみに晒されないよう、忍耐を貫いてください。
チベットにおられるチベット人のみなさんの熱意、決意、犠牲心を私がどれほど称賛しているかについては、いまさら言うまでもありません。しかしながら、命を捨てることによって意味ある結果が生み出せるものではありません。とりわけ、非暴力の道は我々の変更不可能な責務であり、この道から逸脱することはありません。
最後に重ねて、すべてのチベット人が抑圧や拷問から開放され、自由であることの幸せを享受できるようお祈り申し上げます。
生きとし生けるすべてのいのちが幸せを享受できるよう祈りを込めて
ダライ・ラマ
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以下旅の続きです。
第11日目(2月14日)ターメ3840mーーーー>ナムチェ3450m
ナムチェに降りる日だが、ナムチェまでは4時間も掛からないということで、朝はゆっくりしたかった。しかし、ガワンはその日の正午頃まで開かれているナムチェの一週間に一度のバザールにどうしても行きたがっていた。一週間ごとにナムチェのバザールに買い出しに行くことになっているらしい。
それでゾッキョ一頭に二人のリュックを乗せて8時前にロッジを出た。
この辺の人たちは週に一度のナムチェで開かれるバザールに買い出しに行くことが楽しみの一つであるらしかった。道すがら色んな知り合いに会えるし、バザールでも友達に会えると言うわけだ。
実際ガワンはすれ違うすべての人と立ち話をし、村を通過するたびにいろんな人に声をかけられ話込んだりしていた。
急いでいるのは誰だったかな?、、、と思いながら、こちらはゆっくり写真撮ったりするのでした。
道はどんどん下がる。そのうち汗を掻くほど暖かくなってきた。木が益々増え、林の中の道が続くようになってきた。シャクナゲやシュクバの林が多い。
行きには見なかった梅のような花が咲いていて、チョウチョが留っている。シャクナゲの蕾も膨らみ始めていた。
もうすぐ春なのだ、と感じた。
突然道のすぐ下に動物が動くのが見えた。
茶色い身体に角が生えている。
最初、鹿かと思った。大きさは鹿を少し大きくしたぐらいか。
でも、初めて見る動物だった。
ガワンに「あれは何だ!?」と聞くと「・・という野生のヤギだ」とのこと。
(すみません・・のところの現地名は忘れてしまいました。Himalayan Wild Goatの一種)
道沿いにはいたるところに経文や仏像の彫りこまれたマニ石が立てかけてある。
途中、往きに寄って話を聞いたタモの尼僧院に再びおじゃました。
今回も他の尼僧は法要に呼ばれて留守ということで、この前の若いディンリ出身の尼僧が迎えてくれ。お茶とお菓子を頂いた。
この谷ではこの尼僧院だけに難民たちは立ち寄る。
これからも難民を助けてくれるようにと頼み、少々の布施を置いてきた。
タモの村の下手に仏塔があるが、このすぐ横に警察のチェックポストがある。
最近ターメからここに移されたのだ。
写真には監視人が映っている。
もっともこのチェックポストは簡単に迂回できるので、知っていれば問題はない。
馬が早足で下ってきた。バザールに行くのでちゃんと綺麗に飾り立てられている。
ナムチェの町に入る手前のマニ・ラカンの中に描かれていた<ルンタ(風の馬)>
ロッジの部屋の窓からこの眺め!
日当たりもいい。
ナムチェには高いがネットがある。
ナンパ・ラ行きのレポート早く山を降りる前に書きたいということもあり、ここに三日留まることにした。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)