チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2009年2月22日

第6日目 ナンパ・ラ

Pocket

昨日の昼3時ごろカトマンドゥを発ち、デリーを経由し、今日の朝東京に着いた。
これから二週間ほど日本にいる予定です。

今日は特に写真が多いですよ。

ーーーーー
カンチュンからナンパラへ
第6日目 ナンパ・ラへ
カンチュン5200m―――>ナンパ・ラ(峠)5741m——–>カンチュン

いよいよ今日はナンパ・ラを目指す日だ。
前の晩にガワンが「明日は長い一日になるだろう。できるだけ早く出よう。そうしないと夕方までにここに帰って来れないから」と言った。

暗い内から彼らのテントが動き出した。
風は少しも弱まらない。
私はどうせ寝ていなかったのですぐに起き上がる。
夜中何度もゴーーーという雷のように大きな音が谷に響き渡っていた。落石か雪崩であろう。

夜は寒かったが、私はー30度用の寝袋に寝ていて凍えることもなかった。
難民たちは寝袋も持たず、岩陰に身を寄せ合って眠るのだ。
状況は大違いだ。

テントの中は雪が降った後のように、いたるところに小さな氷の結晶が積もっていた。

彼らのテントに行くとすでにヤク・ブリキ・ストーブには火が起こされ、お茶の用意ができていた。それでも寒かった。テントは風で揺れ続けていた。
ガワンたちは朝からラナ・ヌードルとツァンパを食い、いつものようにホット・チャンを飲んだ。
今日も昼飯抜きで、おそらく12時間近く歩くはずだった。
我々はムスリに乾燥ミックス・ナッツを足し水を加え沸騰させる。それに粉ミルクを加えたものを朝食にする。
途中はN2が日本からわざわざ持ってきたカロリーメイトとチョコレートでしのぐことにする。
同じく今日は日本からのホッカロンを身体につけ、ポケットに入れた。
もっともこのホッカロン、この日は全く効いたようにありませんでした。
寒すぎると効かないようです。酸素が少ないせいかな?
ナンパラ氷河舌端部
テントとヤク二頭はここに置いていくという。
大丈夫?と聞くと、「だれが今頃こんなところに来ると言うんだ、誰もここを通るものはいないよ」とのこと。
置いて行かれるヤクは少し寂しそうでした。

みんな急いで出発の準備。
私は一つだけ迷っていました。
ここまでは夏用のメッシュが至る所に入っているランニング・シューズを履いて歩いてきたのですが、ここからは流石に雪と氷がある、カトマンドゥで買った登山靴を履くべきか?と思ったのです。
しかし、履いてみてやっぱり重すぎると思い。夏用で行けるとこまで行こうと決めたのでした。

辺りが明るくなってきた。
6時45分出発。N2が「-25度ですね、、、」と温度計を見て報告。

歩き始めたが、向かい風が強い。顔にまともに風が当たり。寒い!
ゴーグルを取り出し、目だけが出る帽子を被ったが、口がふさがり却って息苦しくすぐに脱ぐ。
風で時々身体がバランスを失う。体が浮きそうにもなる。
「風が酷いね」とガワンに言うと、「こんなの風の内に入らないよ!本当の風が吹くと石が飛び、ヤクも飛ぶ!」との応え。
氷河3
氷河はじょじょに険しくなり、アップ・ダウンが続く。足元の石は崩れやすく、落ちれば終わりの絶壁が続く。
ガワンは危ない場所を見つけると、50キロはあると思われる大きな石を動かしたりして、道を直しながら進む。
難民が通り、自分たちのヤクも通る大事な道なのだ。
それでも氷河の上の道は氷河の移動に伴い常に変化する。一年前に通った道が無くなっていることはよくあるという。
まるで、迷路のような道を行く。
ガイドなしでこの道を越えられるとは到底思えなかった。

ナンパラ氷河 4
思い出せば、私は20数年前、エベレストの氷河を一人で渡ろうとして、道を失ったことがあった。それでも進んで行ってた時。突然視野が狭くなったかと思うと、そのまま気を失い倒れた、ということがあった。
どれほど気絶していたかは定かでないが、そのあと確かに意識はもどった。でもそのまま数十分間は手足がまるで動かなかった。不安になったがどうしようもない。そのうちじょじょに手足も動くようになり、やがて立ち上がり、ふらふらだったが、何とか下に降りることができた。
前日に6000m近くまで登った後の後遺症が翌日に出たということだろう。
そういうことはよくあると聞いてた。
その上に氷河で道に迷ったストレスが加わっていたのであろう。

―――

ナンパラ氷河 2
この日、私は本気だった。登りでは向かい風も加わり相当の努力が必要だった。
それでも、何にも考えず、大きな声でマントラを唱えながら、がむしゃらに登った。
今日の彼らのペースは一段と速い。
ほとんど休みも取らない。
山を越えて陽がさすようになると少しは暖かくなった。

数時間歩いた後、いよいよ目の前に青氷の氷河が現れた。
これはこれは、と思った。いよいよ登山靴の登場か?
と思っていると、ガワンが「予備の靴下はないか?あればそれを靴の上に履かせると滑らない」という。

靴下がアイゼン?
はっ!靴下?アイゼンの代わりに靴下ね、、、!?
さっそく、私は二枚履いていた靴下のうち一枚を伸ばして靴の上に履かせた。
(左の写真は下りで氷を越えたころ、すでに擦り切れてしまった靴下です)

それから、まずは氷の階段、次につるつる氷の平原が数百メートル続いた。
確かにすべりは相当緩和された。布地が氷に張り付く感覚があった。
それでも、ガワンの手を借り、スティックをヤクのフンの欠片によりできた小さな窪み目掛けて突き刺しながら、恐る恐る進んだ。
私は一度転んだだけだった。N2は3度転んだとか。
ナンパラに近づく
氷の傾斜平原の後は、雪が薄らと氷の上にのった、広い氷河の白い平原がナンパ・ラまで続いていた。
もう峠は見えていた。しかし、それからの登りが以外と長かった。

クレバス
途中には、ほぼ十メートルおきに左右に長いクレバスが走っていた。
今は上に雪がなく、クレバスの位置ははっきり分かった。
それにその幅も30~40cmが多く、大きなものは見なかった。
しかし、これが少しでも雪が降った後であったなら、クレバスの上には薄い氷と雪の膜ができ、まったく隠されてしまうはずだった。
気を付けて進まなければ、クレバスに落ちるのは確実と思われた。
時にはヤクも落ちるクレバスもできるとガワンは言ってた。

ヤクの死体
先に動物の角だけが氷の上に見えた。近づいてみるとその下にヤクの頭の骨が見えた。
その下に死んだヤクが埋もれているのだった。
人もヤクもここで死ねば、じょじょに氷河に沈み、埋もれ、流されて行くのだ。

峠のラプツェが目に入った。タルチョが沢山結び付けられていた。
このラプツェが見えるとみんな歓声を上げた。
私もここで最初の<プー・ギェロー!>
風は強いままだったが雲ひとつない快晴。

ナンパラよりチベットを眺める
峠に着くと、チベット側が遥か遠くまで見渡せた。
この日、少しチベット側は霞んでいたが、クリアーな日にはラツェの町やディンリの裏山も見えるということだ。

峠の幅は200mはある。
チョー・オユーが右手に見える。簡単に登れそうな感じだった。

峠のチベット側、右下手に2006年、16歳の尼僧が撃たれて死んだ場所、ザ・ポアが見える。
あれは、9月だったはずだが映像を見る限り、今よりずっと雪は多かったはずだ。
狙われれば全く隠れるところのない場所と解る。
その時、峠を目の前にし、突然尼僧が倒れ、銃砲が峠に響き、銃弾がいたるところに降って来たという。このときの様は今インドのスジャ・スクールに学ぶ6人の子供に詳しく聞いたことがある。とにかく、みんな峠のラプツェを目指して必死に苦しい坂を登ったという。

タルチョを張る
峠に着いてまず、みんなのタルチョを張る。
ガワン達は特別の方法で広く、長く、クロスに張った。
そして、長い長い祈りのお経を上げていた。
私も、これまでのすべての、この峠を越え逃げなければならなかった人々の苦難、悲哀を思い、死んでいった子供たちの事を思い、胸が一杯だった。

峠のラプツェにチベット国旗掲揚
その後、今度はラプツェにガワンがよじ登り、一番上にチベットの国旗を立て、しっかりと結びつけた。
よく見ると、ラプツェにはタルチョよりカタが多く結ばれているのに気づいた。
亡命者が近しい人たちからチベットを離れる時貰ったカタをここに結びつけたのであろうか?
何れにせよ、解放の喜びの表現だったはずだ。

国境の境界を示す塚とチベット国旗
国境を示すセメント製の小さな塚が傾きながら立っていた。中国側には「中国 62」と書かれている。62年は中印戦争があった年だ。この戦争の後、立てたものと思われる。
我々は中国という文字の横にチベット国旗を掲げ記念写真を撮った。

N2がもっとここに居ようと言ってたが、ガワン達は早く降りないと寒くなる、暗くなるという。一時間ほど峠にいたあと、峠を後にし降り始めた。

氷の階段をガワンに助けられながら下るN2
下りの氷の上はさらに滑りやすかった。
左の写真はN2が最後の氷の階段をガワンに助けられながら降りるところです。

その後の氷河の中道は朝方の登りより余程長く感じた。
N2も同感だった。どうも朝方の登りでは、アドレナリンなりドーパミンなりが余程脳内に放出されていたようで、必死だったので長さを感じてなかったようだった。
二人とも朝の記憶があまりないことに気づいたものだった。

ガワンのさるぶり
なかなかカンチュンに着かない。足はもう限界に近くなっていた。ひざも痛み始めた。
でも、もう目的を達成した(難民には会えなかったので、半分だけ)ということで、気はずっと楽になっていた。

途中、あまりに美しい氷河の造形を氷の湖の上に見つけた。
ガワンがまず氷の上に寝そべり、泳ぐマネを始めた。
私も峠に続いて馬鹿なヨガ・パーホーマンスを始めたりした。

カンチュンのテントに帰る
夕方5時過ぎ、二頭のヤクとテントが待ってるカンチェンに戻ってきた。
長い一日だった。

夕食はラナ・ヌードルのみ。
その夜は風も止み、静かな夜だった。
疲れていたが、息がヨガのプラーナ・ヤーナのように自然に深く長くなるのが面白くて
中々寝付けなかった。

氷河ルンタ

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

ちべろぐ

Archives

  • 2018年3月 (3)
  • 2017年12月 (2)
  • 2017年11月 (1)
  • 2017年7月 (2)
  • 2017年5月 (4)
  • 2017年4月 (1)
  • 2017年3月 (1)
  • 2016年12月 (2)
  • 2016年7月 (1)
  • 2016年6月 (1)
  • 2016年5月 (9)
  • 2016年3月 (1)
  • 2015年11月 (1)
  • 2015年10月 (2)
  • 2015年9月 (4)
  • 2015年8月 (2)
  • 2015年7月 (14)
  • 2015年6月 (2)
  • 2015年5月 (4)
  • 2015年4月 (5)
  • 2015年3月 (5)
  • 2015年2月 (2)
  • 2015年1月 (2)
  • 2014年12月 (12)
  • 2014年11月 (5)
  • 2014年10月 (10)
  • 2014年9月 (10)
  • 2014年8月 (3)
  • 2014年7月 (9)
  • 2014年6月 (11)
  • 2014年5月 (7)
  • 2014年4月 (21)
  • 2014年3月 (21)
  • 2014年2月 (18)
  • 2014年1月 (18)
  • 2013年12月 (20)
  • 2013年11月 (18)
  • 2013年10月 (26)
  • 2013年9月 (20)
  • 2013年8月 (17)
  • 2013年7月 (29)
  • 2013年6月 (29)
  • 2013年5月 (29)
  • 2013年4月 (29)
  • 2013年3月 (33)
  • 2013年2月 (30)
  • 2013年1月 (28)
  • 2012年12月 (37)
  • 2012年11月 (48)
  • 2012年10月 (32)
  • 2012年9月 (30)
  • 2012年8月 (38)
  • 2012年7月 (26)
  • 2012年6月 (27)
  • 2012年5月 (18)
  • 2012年4月 (28)
  • 2012年3月 (40)
  • 2012年2月 (35)
  • 2012年1月 (34)
  • 2011年12月 (24)
  • 2011年11月 (34)
  • 2011年10月 (32)
  • 2011年9月 (30)
  • 2011年8月 (31)
  • 2011年7月 (22)
  • 2011年6月 (28)
  • 2011年5月 (30)
  • 2011年4月 (27)
  • 2011年3月 (31)
  • 2011年2月 (29)
  • 2011年1月 (27)
  • 2010年12月 (26)
  • 2010年11月 (22)
  • 2010年10月 (37)
  • 2010年9月 (21)
  • 2010年8月 (23)
  • 2010年7月 (27)
  • 2010年6月 (24)
  • 2010年5月 (44)
  • 2010年4月 (34)
  • 2010年3月 (25)
  • 2010年2月 (5)
  • 2010年1月 (20)
  • 2009年12月 (25)
  • 2009年11月 (23)
  • 2009年10月 (35)
  • 2009年9月 (32)
  • 2009年8月 (26)
  • 2009年7月 (26)
  • 2009年6月 (19)
  • 2009年5月 (54)
  • 2009年4月 (52)
  • 2009年3月 (42)
  • 2009年2月 (14)
  • 2009年1月 (26)
  • 2008年12月 (33)
  • 2008年11月 (31)
  • 2008年10月 (25)
  • 2008年9月 (24)
  • 2008年8月 (24)
  • 2008年7月 (36)
  • 2008年6月 (59)
  • 2008年5月 (77)
  • 2008年4月 (59)
  • 2008年3月 (12)