チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2009年2月18日

第二日目ターメーーー>アーリヤ

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昨日はナムチェから一気に二日行程を一日にしてルクラ2840mまで下りました。
そして今日の朝、ルクラからカトマンに飛んで帰ったところです。
一気に下界に降りた気分です。
久しぶりに熱いたっぷりのシャワーを思う存分浴びました。

ナムチェで書いた第2日目の報告が以下です。

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ターメ村
2月5日、第2日目、ターメ・3840mーーー>アーリヤ・4300m

ターメを朝10時半出発、他の3人は朝からホット・チャン(大麦酒)を飲んでいる。この辺では客を連れて来たガイド、ポーターには宿主がたっぷりとチャンを振る舞うことになっているようだ。
それにしても、朝から酔っぱらってよく歩けるものだと感心する。
このターメで初めてチャンを飲んでみたが、その美味い事、強い事。こんな低地!では考えられないことに、息が上がり、初めて高山病の症状に見舞われました。
こんな強い酒を飲んで坂を駆け上がるんだから、この人たちはヒマラヤ原人そのものです。私たちとはまるで造りが違い、強靭そのものです。

ここで連れの3人を簡単に紹介しておきます。
後でもっと詳しい興味深い話もご紹介します。
ガワン
まず、ガイドでヘッドのガワン・ドゥンドゥップ48歳:彼の事はもう前回写真と共に相当紹介しました。
ナムチェのチベット人会ボスのネドゥン・シェラップ氏が紹介してくれた、ターメで難民を助け続けて来た人です。ナンパ・ラにもっとも通じた難民チベット人です。
他の二人は彼が連れて来たのです。

アン・サンポ
次にアン・サンポ36歳:
彼は亡命チベット人ではなく地元のターメのシェルパです。
でもシェルパなのでチベット語も話せるのです。
シェルパ語はチベット語の一方言ですが、実際には違った言葉に聞こえます。
アン・サンポは結婚して可愛い奥さんと8歳の女の子、6歳の男の子がいます。

最初は非常に寡黙でおとなしかったのですが、次第に本性を現わし始め、吉本興行に入っても売れっ子になること間違いなし。

聞けば彼は何とチョモランマ登頂5回、チョー・オユー登頂3回という強者だったのです。
これが日本人だったらきっと相当の有名人になっていた事でしょう。
しかし、ここではまあまあの人です。隣にはチョモランマ登頂16回という強者がいて、貯めたお金でかいロッジを建て、本人はアメリカに行っているとか。
一回のチョモランマ登頂で3年分の年収が稼げるそうです。もっとも本人いわく「気違いのやる事だ」そうです。
やっぱり、きついそうです。
この辺は後で紹介します。

とにかく彼は水汲み、ヤク・ストーブの世話、ヤクの世話といつも忙しく働いています。道を行く時はヤクを追って「ほりゃー」と叫びながら、断崖を駆け登るのが好きなんです。
ケルサン
最後は若いガワン・ケルサン28歳:
数年前ガワン・ドゥンドゥップの娘の一人と結婚し、一才半の子供がいるそうです。

彼の両親はナンパ・ラを越えて来たチベット人です。
彼は亡命チベット人二世と言う訳です。
チベット語はちゃんと読み書きでき。
その上、なぜか日本語が随分うまいのです。
どうも嘗てガイドした日本人女性と、付き合ったことがあるそうです。その館山のエリコさんに呼ばれて、日本にも行ったことがあるそうです。
なかなか優しくて、いい男だから、それもありなのでしょう。

彼はまだナンパ・ラに行ったことがないとか。
チベット人みんなが越えて来たナンパ・ラを越えてチベットを見てみたい、と言ってます。

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さて、今日の目的地はアーリヤ高度差500m。アーリヤはロッジのある最後の場所です。
4、5時間で到着の予定が途中のマルルンのロッジで昼食にダル・バート(ネパールの食い放題定食)をすぐにできると言われて頼んで、待つ事二時間、これでアーリア着は結局夕方になってしましました。
ターガ村
まず、ターメを出て小高い丘を越えると、立派な古い目玉仏塔があるターガ村を通ります。
仏塔の周りには、無数の経文が掘り込まれたマニ石が立てかけられています。
仏塔やマニ石があれば必ずその左側を通るのが仏教徒です。

ターガ村を過ぎると山の中腹にキャロ・ゴンパが林の中に見えます。道から上に随分と登らないといけないので
どうしようかな?と思っていると、N2くんがすぐに「登りましょう」という。
ハアハアいいながら辿り着く。
キャロ・ゴンパ
古いニンマ派のゴンパで、ここがこの谷間の最後のゴンパです。
辺りは珍しく大きな樹齢数百年と思われる立木が囲み、中々風情のある佇まい。
でも、入り口には鍵が掛かっており、声を掛けても誰も中々出てこない。
そのうち若い女の子が出て来て、鍵を開け、本堂に入れてくれた。
普段10人いる僧侶は全員カトマンドゥに行っているとか。
本堂の中には赤い冬の上着が人陰のように整然と▲型に並べられていた。

キャロ・ゴンパのタンカ
バルド・トゥドルなどの古いタンカが多かった。

キャロ・ゴンパの二人の若い寺守
それにしてもその二人の女の子はよく笑った。
一言聞いたり、話したりするごとに笑う。
そこで私は、日本では「若い女の子はハシが転んでも笑う」ということわざがあるが、君たちはまるでそれだね、と言って、また笑われた。

標高4000m、この森を最後に、先にはまるで立木は一本も生えていなかった。

このゴンパは 道から離れているので難民が立ち寄ることはまずないそうです。

子羊3ぴき
マルルンで昼食をとり、その後が長かった。

マルルンの子供

アーリヤに着いた頃は陽が陰り、随分と寒く感じた。
N2の温度計はー13度になり、ダウンジャケットの表面が凍り始めた。

アーリヤのもう一つの宿
このアーリヤには宿が二軒ある。
この先は野宿か岩屋かテントしかない。

ヤク・ストーブ
夜にはヤク糞がたっぷりストーブに焼べられ、温かだった。

この宿の主人はペンバ氏。
まるで、顔はこの辺の野人でなく、日本人の優しそうなおじさんにそっくりだった。
冬場はこの宿は閉められペンバ氏はターメに降りる。この日はわざわざ下のターメから我々の食糧等を持って上がって来てくれたのです。
彼もシェルパなのでチベット語が通じた。
難民はナンパ・ラを越えた後、途中で一泊野宿をしたあと次の夜この宿を頼る。

ペンバ氏に難民のことなど聞いてみた。

ペンバ氏「去年の三月以降、半年はまったく越えて来る人はいなかった。その後も本当に少ない。その前の年は酷く寒かった。その前の年には大雪が降った。
それでも、30〜40人のグループが沢山来ていた。
人数の多い時には、ここだけでは入れ切れず。となりのロッジにも泊まらせた。いつもお茶とツァンパと寝床を与えてる。

雪が降った年は越えてくるのは大変だ。そんな年には昔は子供の手足が凍傷になるということも多かったが最近は殆どないようだ。

昔はチベットから年中ヤクの商隊が沢山やって来ていたが、最近は中国が行かせないようだ。めっきり減った。
それでも春と秋に一ヶ月半ぐらいだけ限定でヤッパの行き来を許可しているみたいだ。その時期にはヤッパが何度もディンリとの間を行き来する。
最近はこっちのネパール側からチベットへ行くヤッパのほうが多い。こっちから持って行くものといっても水牛の皮(靴作りの皮になるとか)ぐらいで他に何もない。
チベット側から運ばれて来る物はツァンパ、ヤクバター、ヤクチーズ、米などの食糧品が殆どだ。
金持ちのヤッパなら電気製品とかも持って来るようだが、だいたいは金のないヤッパばかりだ。

中には一人だけで商品を持って来るために峠を越える者もいる、彼らは中々すごい。
このアーリヤを夜中の2時ぐらいに出る。なぜかコーラとビスケット一袋だけを持って行く。峠を越えて向こう側のギャプルンにその日の午後4時頃に着くと言う。そこには仲間がバイクで待っていてその日のうちにディンリに着くらしい。
帰りには一人で背負えるだけのダウンジャケットを持って来る。強いね。自分には到底できない」

峠までの行程はアーリヤから普通二泊三日は掛かるのです。
これを一日で歩くのですからすごい訳です。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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