チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2009年2月2日
ナムチェー3 ナンパラの悲劇
(昨日の)今日は軽い高度順応のためもあり,ナムチェの上の丘3880mにあるエベレスト・ビュー・ホテルまで登りました。
しかし、残念ながらこの日はエベレストは雲に隠れたままでした。
このホテルは日大山岳部のOBたちが30年以上前に建てたこの辺では破格の一級ホテルです。専用の空港も付いてます。
このホテルにかつて2週間以上子供たちと滞在していたことがあります。
そのときは改装中で水が無い(バケツで運ぶだけ)とかで、何と20年以上前に一泊$200ドルしたという絶景の庭付きロイヤル・ルームをたったの200ルピーで自分たちだけ泊めてもらっていました。
目の前にエベレストとローツェ、アマダブラム、すぐ横にタンセルクとガンテガが一望の下です。
世界一の絶景が気楽に(金さえあれば)堪能できるというホテルです。
そういえば先のブログで私は恥ずかしくも山の名前を間違って記してしまいました。タンセルクはキャセル6770mの間違い。
ガンテガと記したのがタンセルクでした。
ついでに今日写真を載せた山は最初のがアマダブラム、二枚目がガンテガ、三枚目はナンパラ方面の山々です。その間にエベレスト・ビュー・ホテルの写真が入ってます。
このホテルで飯を頼むと目玉が出るほど高いので、その下のシャンボチェに下り昼飯、途中、ナムチェの上にあるナムチェ・ミュージアムに寄りました。
何とも変わったミュージアムでした。
ただの民家がミュージアム、入り口にはヤクの乾燥糞が積み上げてあります。
中では尼さんたちがお経を唱え続けていました。
写真展示室では連れのN2としこたま笑いこけた写真が沢山ありました。
その何点かを紹介します。
最初はミュージアムの中でお経を上げる尼僧たち。
最後はエベレストの頂上で暑くて裸になった!シェルパくん。この写真は合成では無いのです。れっきとしたミュージアムに掲げられてる写真なのです。
全部大きくして見てくださいね。
もっと楽しめます!
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昨日は再びS氏に話を伺いました。
本当は長く色んなことを話して頂いたのですが、全容は少し後にして、特に今ナンパラの話だけを、記します。
<ナンパラでの犠牲者について>
今までに亡命するためにナンパラを越えようとして、死んでしまったチベット人は何人いるのか?
S氏:自分の知っているのは、殺された尼さん以外では2人だけだ(ノートを見ながら)。
一人は20歳の若者だった。峠で倒れナムチェの上にあるクンデの病院に運び込まれる途中、死んだ。
もう一人は可哀想な話ではあるが、クレバスに17歳の女の子が落ちたのだ。
これは2003年9月16日のことだ。6人のグループだった。
落ちたその子を引き上げるために、カタとか服を裂いた布とかを結び合わせ、その子のもとに降ろし、捕まらせた。
三度引き上げる途中で布が切れた。
その後その子は全く動かなくなったという。
仕方なく他の者たちは彼女を置いて下山した。
自分がそれを知ってすぐに峠まで行こうとしたが、みんなからもう4日経っている、生きている可能性は全くないと言われあきらめた。
可哀想な話だ。
クレバスには時にはヤクさえ落ちるのだよ。
他にも吹雪の中、子供がついて来れなくなり、そのまま判らなくなったという話は何回か聞いた。
吹雪になれば、普通一日で越えることのできる峠は三日も四日もかかる。
子供がいなくなっても不思議でなない。
そんな時には凍傷になる子もいる。
峠には実際いくつの死体があるかは判らないよ。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)