チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2009年1月13日

続T.P氏の証言。パルデン・ギャツォ氏へのインタビュー

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13,1,09 ネレンカン
今日もネレンカンに寄って見ました。
ドミトリーに入ると、子どもたちが集まって来て、写真を撮ってくれ大会になりました。元気で無邪気な子供たちばかりでした。
逃げて来れてバンザイ!といった雰囲気です。

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昨日話を聞いたツェテン・プンツォック氏に廊下で会ってそのまま、またお部屋にお邪魔して話の続きを聴かせて頂きました。
13,1,09 カンゼ地区指名手配状
左の書状は彼の指名手配状の一つ2008年5月7日付のものだそうです。
総勢35人。
これに先立ってデモの数日後に4人だけのものが張り出されたそうです。
彼は最上段、矢印が付けてある右から4人目です。
最上段左の3人が一緒に18日のデモを先導し、逃走した者。
後の者たちはセタとダンゴのデモを主導した者たちだそうです。

「これらの者どもの居場所を電話等で知らせたものには15万元。現場逮捕に協力したものには25万元の報奨金が与えられる。匿ったものには厳罰が加えられる」と書かれています。

昨日の補足に少し聞きたいことがあったので、質問しました。

「最初は3月6日にデモをしようと計画していたと聞いたが、どうして延期したのか?」

T.P.氏
「6日にはまだデモの間に配るビラが十分用意できなかったのだ。千枚刷った。6日から夜になると、家々の戸口にそっとビラを差し込んで回って。
デモの前にすでに沢山のビラを配った。ルンタ風にして風に吹かせて屋上から撒いたのもある。」

「そこにはどんなことを書いたのか?」

すると、ノートの上にきっちりとしたチベット文字でその時書いたというスローガンを書き始めた。
13,1,09 独立ビラを書くTP氏
(写真はビラを作るTP氏)

「人権を守れ!
チベットに自由を!
ダライ・ラマ法王をチベットにお迎えせよ!
パンチェン・リンポチェを解放せよ!」

と綴った。

「デモの最中貴方は足を撃たれたわけだが、他に銃で撃たれる者を目撃したのか?」

T.P氏
「他に10人以上が撃たれたと聞いている。私は自分のまわりで4人撃たれるのを見た。一人は逃げようとしたとき後ろから撃たれ、脇腹をぬけて弾が壁にあたりはじけるのを見た。
一人は足の腿を撃たれた。
一人は頭を近くから撃たれ即死した。
もう一人は撃たれた後で、口から血を沢山吐き倒れていた。
路上は至る所血だらけだった。

自分たちは石一つも投げていない。
ただ声を上げ自由と正義を訴えただけだ。

中国人はチベット人を全く人と思っていない。
動物と思ってる。
平気で鉄棒で殴り、銃で殺すのだ」

自分はもうチベットには帰れない。
帰ればすぐに殺されるだろう」

と言ってました。

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パルデンさんとリチャード・ギア
次、頼まれていた質問を抱えて、昨日パルデン・ギャツォさんのお部屋にお邪魔しました。

復刊のために奔走して下さったY女史からの質問です。
以下Y女史からのメールとその答えです。

■お願い■■■■■■
> 本を渡すときに、パルデンさんの近況など、手短に聞いていただけませんか?
> 宣伝サイト(www.palden.info)に掲載したいと思います。
>
> ・去年、海外ではどの国にどれくらいの期間滞在して、どういう活動をなさったか
> (おもに映画の宣伝かと思いますが、、、講演会とか、ファンドレイズのパーティとかでしょうか?)

日本に行った後、アメリカに渡って、マサチューセッツからシカゴまで歩いた。
6日間で歩いた。他に15人のチベット人が参加した。
数人のアメリカ人も一緒だった。
初めと終わり、途中でトークやイベントもあった。

それから、ダラムサラに帰り一週間いた。
スペインで進んでいる<チベット・ジェノサイド裁判>のために準備する書類が沢山あったからだ。

その後、再びアメリカに行った。
最初に持病がある肺の具合を病院で見てもらった。

私の映画はオスカー賞を狙っているようで、そのための試写会がまず、NYで6日間、次にロサンゼルスで6日間あった。
大勢の人の前で、何度も話をしたが、反応は非常に良かったと思う。

ダラムサラに帰り。
今度はイタリアに行った。
私が解放されたのは、このイタリアのアムネスティーが中心になって運動してくれたからなのだ。
だから、友人も多くてイタリアにはよく行く。
それから、オランダに試写会のために行った。監督も来ていた。
そのあと、スペインに裁判のために行った。

そして、ガンデン・ナムチェの日にダラムサラに帰って来た。

3月にはイギリス、5月にはノルウエーに行くことが決まっているそうです。

(法王並みの人気ですね!78歳元気一杯)

> ・そのうち、どんな活動が有効だとお感じになったか

どれが有効ということは解らない。大体トークが多いが、全部一緒になってたりするからね。

手段として、常に平和主義と真理を前面に出すべきだ。
暴力的手段では決して戦いに勝つことはでいない。

中国は私に様々な試練を与えたが、私は今もこうして生きていて、自分の考えは全く変えられることなく存在している。
力で人を変えることはできないということだよ。

> ・日本では本が復刊されたが、日本の読者にお願いしたいことがあれば、それもぜひ。

私の本を出版して下さる出版社の方々と復刊のために働きかけて下さった、チベットの友人たちに心より感謝いたします。
日本もチベットと同じように仏教の国です。

この本には何でもない、ただのチベットの一僧侶の半生の話が書かれている。
中国が来て。多くのチベット人が殺されて行った。
私も33年間監獄に繋がれていた。
でも私は今も死ぬこともなくこうして生きている。

仏教徒の僧侶として、中国を恨む気持ちはない。
人に害心を持てば、その果は苦であるからだ。
しかし、自分の信念は一度も曲げなかった。
仏教は勇気を与えてくれる。
日本人もそれで勇気があるのだろう。

日本と言えは、広島に行ったことがある。
私は45年に原爆が広島に落とされたということを、チベットで聞いて知っていた。
その時は何だか、大きな爆弾が日本に落とされて大勢の人々が死んだというので、チベット政府が主催してその犠牲者を追悼するための「モンラム」を大々的に行ったのだよ

自分はそれで覚えていた。

広島に行ってみると、驚いたことにすっかりビルが立ち並んでいる。
草も生えないと聞いていたのにだ、、、
つまり、アメリカが力で日本を負かした訳じゃないのだ、こうしてちゃんと日本は復興してる。
負けなかったのだ、と思ったよ。

そうだ、この前の日本はちょっと忙し過ぎたよ。
今度もう一度行く機会があれば、もっとゆっくり日本を見てみたいと思う。

ーーー

以上

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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