チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2009年1月10日

カンゼで再び一人デモ。 08憲章関連

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5d9876bd.jpg<カンゼで再び一人デモ>

http://phayul.com/news/article.aspx?id=23597&article=Tibetan+Man+beaten%2c+arrested+for+Protesting

RFA(ラジオ自由アジア)に寄せられた現地よりの電話によれば、1月5日、カム、カンゼにおいてガワン・ソナム32歳が中国への抗議デモの末逮捕された。

匿名希望の女性からの電話によれば、彼は1月5日正午頃、カンゼ警察本部の前で抗議を行った。

「彼はスローガンを叫びながら、何千枚ものルンタや抗議文を刷った紙切れを空に向かって撒き続けていた」

「警官と公安部隊が彼目がけて麻酔弾を撃った。そのあとさんざん暴行を加え、警察の車に乗せどこかに連れ去った」という。

ガワンはカンゼ、ツォゴ、ホルポ村出身。二人の幼い子供がいる。
2000年にも一度中国に抗議したことで逮捕されている。

彼女は「チベット人はいつでも質問され、チェックされる。政府は益々監視を強めている」
とも話していました。

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以下は08関連記事として「サーチナ」より

<中国の「闘う文学者」―王力雄&ツェリン・ウォセ夫妻 >

2009/01/07(水) 10:28:20
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0107&f=column_0107_004.shtml

年始年末を北京で過ごし、年明けにチベット族の女流作家、ツェリン・ウォセさんとその夫で、政治予言小説『黄禍』などの著書でも知られる王力雄氏と会った。2人とも中国の体制変化を求める「08憲章」にも署名している。

現政権批判ともいえるこの憲章にかかわったことで、彼らの生活が圧迫されていないか、ずっと気になっていた。しかし、久しぶりに対面した2人の表情は明るくひと安心。起草者の1人の著名民主活動家の劉暁波氏は拘束の身だが、大みそかに夫人が面会にいったところ、少しやせてはいたが虐待も受けておらず元気であった、という最新情報ももたらしてくれた。

「彼は国際的有名人だから、当局もかなり遠慮して対応している。一日中、CCTV(中国中央テレビ)だけを見せられ、紙とペンを一切与えられない暮らしは文人として相当苦痛だとは思うけれど」とウォセさん。劉氏については、国際ペンクラブと協力する形で日本ペンクラブ(阿刀田高会長)獄中作家・人権委員会が釈放を求める声明を出すなど世界中が注目している。

へんな言い方だが、有名であるということは中国人作家にとって一つの安全の担保である。中国では表現の自由に制限があるが、国際的知名度が高いと、表現の自由度も多少は拡大するし、拘束されても当局は手加減する。

だから私もウォセさんらのことを多くの日本人に知ってほしい、と思っている。ちょうど、彼女の代表作の『殺劫』が春にも邦訳出版される予定だ。文化大革命時代のチベットの寺院破壊の写真を手がかりに、関係者の詳細なインタビューをふまえて書いたノンフィクション文学作品。文化大革命をチベット語で発音すると偶然にも「レンレイシャージェ」(人類殺劫)という発音となり、そしてチベットにとって文化大革命とはまさしく「人類殺劫」に他ならなかったから、表題となった。

ウォセさんは国民党軍逃亡兵であった漢族の祖父を持つ漢族・チベット族のクオーター。共産党軍人でありながらチベット仏教への信仰を断ち切れないハーフの父の葛藤なども見つめながら成長し、今の中国とチベット問題の語り部としては最もふさわしい人物の一人だと思う。

日本の文学はエンターテインメントの傾向が強く「文学と政治は無関係であるべきだ」という人もいる。しかし中国を含むいくつかの国家では文学は究極の政治であり、ときに闘争の道具。本来、文学とはそういう恐るべき力を持つからこそ、しばしば弾圧の対象になってきた。

2010年秋には東京で国際ペンクラブ世界大会が開催されるが、ホストの日本ペンクラブが中国の獄中作家や独立系作家も招待して、その知名度を上げる一助となればいい。表現の自由確立するための国境を越えた連携をうたうペンクラブの目的に沿うだけでなく、エンタメ化した日本文学が「闘う文学」の強さから良い影響を受ける機会でもあると思う。

(執筆:中国ウォッチャー 三河さつき)

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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