チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2009年1月8日
法王のサルナート講義が始まった。
今日から法王はヴェナレス近郊サルナートにて、一週間の仏教講義に入られました。
昨日お知らせすべきでしたが、すでにご存じの方もお有りでしょうが、この講義はライブで聴くことができます。
チベット語の他同時通訳で英語、中国語でも聴くことができます。以下にアクセスし
http://www.dalailama.com/page.128.htm
タダのソフトをダウンロードすれば聴けます。
講義は朝9時~11時、午後1時半~3時半の二回。
ライブがそこにない時には
http://phayul.com/にアクセスして左手上の欄をご覧ください。
チベット語のライブは確実にそこから聴けます。
この時間でなくてもdalailama.comの方はいつでも聴けます。
まずシャンティデーヴァ(寂天/シワ・ラ)の入菩提行論の方から始められました。
今日は午前中は第一章「菩提心の利徳について」の終りまで進まれました。
明日は第二章「懺悔」からです。第十一章まであります。
午後にはカマラシーラの「ゴムリン・バルワ/修習次第中編」に入られました。
最初からこちらは「智慧・空性」について解説されていました。
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話は飛んで、イスラエルはハマスは<テロリスト>グループだから、抹殺されて当然だ、と言ってます。今の<テロリスト>の定義は一体誰が決めたのでしょうかね?
ハマスはガザ地区において国際監視団の下に選挙をやった結果選ばれた代表組織のはず。
占領されて、自治区とされているだけでここを一つの国と考えればハマスはれっきとした国軍ということもできる。
もっとも隊員2000名弱では軍隊といってもいまの時代にしては昔のチベット兵の
ごとくの人数と装備だ。
撃ち上げるロケットはコンクリートの天井を貫通できるかどうかぐらいの威力しかない。
すべてアメリカ製の最新式兵器を多量に(古いのから)在庫処分しているイスラエルとはまるで違う。
自殺行為に走るにはそれなりの理由があるに違いない。
チベット人がデモを行うのも自殺行為に違いない。
弱いものを追い詰めてどうするのか。
イスラエルが軍事的に強いことは見せつけなくても判ってる。
中国のそれも判ってる。
本当に強いならなぜ弱い者を助けようとしないのか?
助けてくれなくとも、少なくともほっといてくれないのか?
単純だけどそう思う。
相手の立場に立って考えることは、この状況では<悪>になるのでしょう。
チベット青年会議(会員3万人)はチベットの<テロリスト集団>だ、と中国は言ってます。
これに対する反論論文を6日TYCは発表しました。
http://www.tibetanyouthcongress.org/TYC_book_release.html
http://www.tibetanyouthcongress.org/TYC_Response.pdf
長いですよ。
中国製魔法瓶は投げても、石を投げるところも見たことないので、私は読もうともしないかも?
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イスラエル、、、ヒトラー、、、第二次大戦前後、、、チベット、、、バタイユ、、、直子さん、、、となぜか昨日頭の中で繋がって、さっそくレストランの直子さんに電話して「バタイユの例の本今手元にあるよね、、、ブログ用に解説してよ」と頼んでみました。
しかし直子さんは今日デリーに出かける用があるとかで、時間がないので詳しい「チベットとバタイユ論」はそのうちにといって、取りあえずのメールが届きました。
レストランの直子さんは仏文時代の卒論が何と「ジョルジュ・バタイユ論」だったのです!
以下
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バタイユの件。
バタイユは、1946年に出版された、イギリスの外交官サー・チャールズ・ベルの著作、「ダライ・ラマの肖像」を読んで、経済的な関心からチベット仏教を思索し、
征服社会ーイスラム教、につづく一章として、非武装社会ーラマ教を著しています。
バタイユの慧眼。
タイミングのよい時に、ぜひ、紹介しましょう!(以下、バタイユの著すところより抜粋)
チベットにおいて、軍隊の創設は、生活の基盤をなす感情に反する。
国全体が一つの僧院であるかのように、仏教が生活に根付いているからこそ、軍事的生活は、他者の役に立とうという心の本質を侵害する。
イスラム教は生産の超過分を残らず戦争に、近代社会は産業施設に充てた。
同様にチベット仏教は瞑想的生活に、この世における感性的人間の自由な遊びに充てたのである。
常に獲得と成長を目標にする活動から、チベットのみがまぬがれているのだ。
チベットの修道制度は純粋消費であると同時に消費の放棄であり、ある意味でそれは
解決にたいして完全に背を向けさえすれば得られる完全な解決法である。
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すなわち人間の活動をその限界に直面させ、軍事的あるいは生産的活動の彼方に、それはいかなる必要性にも従属しない世界を描き出す。
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バタイユの思想について、
また、もっと深く読み込めば、自己と他者という二元的な構造のなかで捉える近代社会では、どちらが優位に立つかという、力関係が生まれて、戦争の動機にもなるのだけど、チベット仏教にみられる、カルマの法則では、自浄作用が働いている。
つまり、やられたら、やりかえす、自分が常に優位に立っていたいとは考えない。
苦しみの直接の原因は他者のうちに見るのではなく、自らの行為の結果として受け止める。
そこからも、広がっていきますよね。
お互いに助け合っていくしか、人間が生き残る未来はないのに、
アメリカのような世界一の大国が、人を殺しているんだもんね。
では、また。いつか、バタイユの件、活かしましょう。
直子より。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)