チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2008年12月24日

メリー・クリスマス! Team 08

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over Himalaya
今夜はクリスマス・イヴ、
皆様に Merry X’mas !!!

残念ながら、ここダラムサラではほぼクリスマスは無視されます。
クリスマスを煽るような商業的インフラも全くありませんしね。

それでもルンタ・レストランでは子供も多いことだし、何かパーティーのようなものがあるかもしれませんが?

それにしても暖かいクリスマスです。
朝方10度、昼間は20度ぐらいです。
羨ましいでしょう。

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「唐蕃会盟碑」について ー <専門家をなめないで>

日本が世界に誇るチベット史の権威(褒め過ぎじゃないですよ)、石濱先生のブログ12月19日版にラサのジョカンの目の前にある、いわゆる「唐蕃会盟碑」について「中国大使館のホームページ」に反論する形で解説されています。

この石碑はわざと、ちゃんと読めるほどには近づけないような柵で囲まれています。

チベット史に興味のある方はぜひお読みください。
http://shirayuki.blog51.fc2.com/blog-date-20081219.html

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以下<08憲章>関連です。

署名者のひとり、香港誌『開放』編集長・金鐘氏に突撃インタビューを試たヒット記事。
47a6378c.jpg
写真はブログ「日々是チナヲチ。」より、1994年、劉暁波氏(左)と金鐘氏(右)

【※注】この記事はブログ「日々是チナヲチ。」
http://blog.goo.ne.jp/gokenin168/の了解を得て同ブログより転載したものです。
なお以下はインタビュー部分のみです。

中国観察 / 2008-12-12 02:30:25

◆インタビュー:「08憲章」が中国を変える!――香港誌『開放』編集長・金鐘氏
http://blog.goo.ne.jp/gokenin168/e/d022f6abde81c9ba344723aead791837

■格段に進化した「民主化綱領」

 ――「08憲章」は事実上現在の中共一党独裁体制を否定し、一方で民主的国家の成立を目指すと宣言したものとみていいか?

「その通り。中国を日本のような民主国家にするというものだ。ただ(「08憲章」の文面では)『一党独裁』という言葉は避けているが」

 ――「08憲章」は長期的ビジョンとしての提案なのか、それとも切迫感に満ちた「檄文」とみるべきか?

「中国の民主化は長期的な目標。『08憲章』が主張しているものの多くは短期間で実現できるものではない。だが『08憲章』の発表に踏み切ったのは切迫感によるもの。中国社会の人権、法治、両極分化などといった不公正が、社会における様々な対立をエスカレートさせている。『時代遅れした現行の体制はもはや改める他ないことを、災難のような収拾のつかない状況が明示している』と『08憲章』の前言にある通りだ。憲政制度改革への着手は待ったなし、ともいえる。官民ともにそういう共通認識を持つべきだ」

 ――1989年の民主化運動~天安門事件当時と比べて、「08憲章」の主張する内容には相違点や進歩した点はあるか?

「1989年の学生運動(民主化運動)は、北京の大学生が官僚による汚職蔓延への反発や胡燿邦の再評価を求めたことに始まり、それが報道の自由、トウ小平引退を求めるという、国内はもとより世界の民主化運動を震撼させる圧倒的な動きに発展した。鎮圧されてはしまったが、その意義は極めて大きい。だがあの運動は、全体主義体制を根本から全面的に改造するという大方針を最後まで打ち出すことはなかった」

「当時の天安門広場のリーダーたちは結局のところ、政治的・思想的にまだ未熟な大学生だったからね。だが今回の『08憲章』はほぼ形の整った中国改造の民主化綱領で、ここ百年の中国における無数の志士たちの心血と夢が凝縮されている。だから内容についていえば、『08憲章』は明らかに1989年の学生運動よりも遥かに高い見地に立ち、とても成熟したものになっている」

■切迫した危機意識が生んだ「08憲章」

 ――中国国内の知識人たちが「08憲章」を発表した動機は?

「動機は3つあると思う。まずは現実的な切迫感。歪んだ形での発展が、根深く広範で際限のない悪影響を中国にもたらしているという点だ。それが良知ある知識人の心に重くのしかかっている」

「第二に、ここ20年近くの中国の『国民社会』の発育と成長が、『皇帝への上書』といった伝統的な考え方から知識人を解放し、社会に直接訴えかけるスタイルを生み出した。それが今回、わずかな時間で300名以上もの、しかもその大半は知名度も活動分野もバラバラな人たちの署名を集め得た要因だ」

「第三点は、外国の経験に学んだこと。チェコの劇作家ヴァーツラフ・ハヴェル氏が1977年、ヘルシンキ宣言に織り込まれた人権擁護を当局に対し求めた『憲章77』が、1980年代のチェコや東欧の民主化に歴史的貢献を果たした。これは中国の知識人たちにとって忘れることのできない啓示だ」

 ――「08憲章」の起草作業はいつごろから?

「『08憲章』の起草作業が始まったのが具体的にいつごろかは,私も知らない。ただ、来年の『六四』20周年と今年の世界人権宣言60周年という二つの節目を迎えるにあたって、発起人たちの間で話し合いが行われたとは聞いている。結局12月10日の世界人権デーに今回の文書を発表することにした訳だが、執筆にはあまり時間をかけていないようだ」

「執筆者の中心的存在である劉暁波氏は、海外の中文メディアでよく知られている政論家。この20年来北京に居を構えて、中国社会と政治に対する鋭敏な観察者というスタンスを貫いている。1988年に北京師範大学で博士号をとり、過去に中国独立作家ペンクラブの会長を務めたこともある」

 ――わざわざこの時期を選んで「08憲章」を発表したことに何か含みはあるのか?国内の経済・社会状況に混乱が出始めたというタイミングとの関係は?

「『08憲章』の出現が中国社会の悪化と危機に関係していることは話した通りだ。だが今日(12月10日)発表したのは、単に世界人権デーに合わせただけのこと。もちろんこれは非常に良いタイミングだ。チェコの『憲章77』も人権擁護の名の下に発表されたことを忘れないでほしい」

■保護者なし。投獄覚悟の孤独な闘争

 ――中国国内で「08憲章」のようなものを発表するというのは政治的リスクが極めて高いものと考えるが?

「そう、リスクがある。12月8日の夜に、劉暁波氏は『国家政権顛覆煽動罪』で『刑事拘留』された。劉氏は『08憲章』を起草するに際して、投獄に備えてちゃんと用意をしていたそうだ。ハヴェル氏も当時、日用生活品を整えていつ逮捕されてもいいようにしていたというが、これは全く常人には理解できない、崇高な使命感を有した人の覚悟だ」

 ――発起人をはじめ署名した知識人たちは何を拠りどころとしているのか?後ろ盾はあるのか?

「彼らに後ろ盾がいるかだって?人に聞かれたことがあるよ。戊戌の変法の康有為ら六君子には光緒帝がいて、1989年の民主化運動には趙紫陽がいたが、いまは誰が『08憲章』のメンバーを保護しているかってね。私の知識と分析でいえば、『08憲章』には保護者の存在が全く見出せない」

 ――1989年の民主化運動のときは、党中央にも趙紫陽のブレーンなど民主化を支持する開明的なグループがいたが、現在はどうか?いまの中国に「08憲章」を支持あるいは保護する政治勢力は存在するか?

「歴史を振り返る必要があるね。あのとき趙紫陽派が学生運動の後ろ盾だったかどうかはともかく、少なくとも学生運動に同情的で武力鎮圧には反対していた」

「1980年代を通じて行われた中国共産党上層部の権力闘争というのは、国家も国民をも滅茶苦茶にした文化大革命を経て反省の念を深めた胡燿邦や趙紫陽ら第二世代の指導者と、トウ小平に代表される保守的・伝統的観念の元老派というべき第一世代との間に発生した調和しようのない衝突といっていい」

「この衝突は元老派が学生運動を武力鎮圧したことで終わった。以後現在までの20年間、中共当局は銭ゲバな経済路線を強力に推進して、社会をまるごと、カネこそ全ての世界にしてしまった。様々な利益でエリートの大半を縛り上げて、国家の命脈、中枢部そして痛点を掌握したんだ」

「権力者とエリートが利益共同体となって、貧民たる庶民を圧制の下に置いた。そうなると1980年代のような党上層部内の対立はもう起こらない。連中はどんな反体制的な動向に対処するにせよ、共通した立場にあるからね」

「つまり、党中央には『08憲章』を支持する政治勢力が存在することはない。たとえ内心では同情していても、ひとつの勢力を形成するには至らない。民主派・自由派知識分子で党員になっている者は『08憲章』に間違いなく共鳴するだろうが、その程度の支持で上層部を動かすのは困難だ」

■大学生より庶民に期待

 ――現在の大学生は質の面で1989年当時より大きく劣り、社会的な問題意識も希薄なように思えるが?

「その見方には全く同感だ」

 ――では「08憲章」が大学生の間で広く支持されると思うか?

「大学生の政治への情熱は20年前とは比べようもない。だから『08憲章』を支持する学生はいるとしても限定的だろう。内心では支持していても名乗り出る度胸はないだろうね」

 ――「08憲章」を発表することで学生運動の再現を期待するという意図はあるのか?

「1989年の学生運動を再現するには、『08憲章』ひとつだけでは足りないな」

 ――「08憲章」は広範な庶民の支持を得られるか?

「一般社会での支持度は大学生や知識人たちよりも高くなると思う。特に基本的な権利すら侵害されている底辺の民衆やネットユーザーあたりだね。でも彼らの意思表示の方法は制約を受けるだろうな」

 ――「08憲章」は海外の中国人たちの間で、また国際世論に広く支持されるか?

「海外の中国人は中国本土や香港、台湾よりも強く支持するだろう。国際世論からも一定の支持を得られると思うが、もちろん1989年のように熱烈なものにはならない。(『08憲章』は)ただ一片の文書に過ぎないし、それが運動にも発展していないからね。世界的な経済危機にあって、多くの国が中国経済の支援に頼っているという側面もある」

■当局は強硬姿勢、対話より暴力か

 ――中国当局は「08憲章」についてどういう形で対処するか?

「中共当局は強硬な態度で臨んでくる、というのが私の見方だ。劉暁波氏を『刑事拘留』したのは不吉な前兆といえる。2009年は中国の『政治の年』だ。天安門事件20周年、チベット暴動50周年と、いずれも『多事多難の年』になることを感じさせる」

「治安系統を統括する周永康(党中央政治局常務委員)は江沢民系の保守的な人物で、独裁の威力の信奉者だ。劉暁波氏の逮捕を『2009年の鎮圧を控えたお掃除』だなんて言う者もいる」

「『蘇東波』(ソ連・東欧社会主義政権の相次ぐ崩壊)は中共にとっての悪夢。連中は『08憲章』が『憲章77』になることを決して許さないだろう。ネット上の規制を強化して『08憲章』が広まるのを封殺するだろうね」

「ただ翻って考えれば、強力な鎮圧はより大きな抵抗と社会の動乱を招くだけだから、賢明な対処法は暴力ではなく対話に他ならない。そのどちらを選ぶかについて中共上層部では意見が分かれるかも知れないが、賢明な意見が大勢を占めるのは難しいと私はみている」

 ――あなたが「08憲章」に署名した理由は?

「私が編集長を務める『開放』が創刊以来22年間、一貫して守ってきた政治的理想と原則が,『08憲章』と完全に一致したからだ。それに劉暁波博士は長年にわたる寄稿者であり、私たちの友人でもある。彼は『開放』に数多くの素晴らしい政治評論を書いてくれたし、言行一致で深い内省力を持った尊敬に値する人物だ。だから『08憲章』の推敲中の原稿が私のところに回ってきたとき、公に彼を支持しようと決意した」

■暁闇に包まれて結実の日を待つ

 ――現在、中国の経済・社会状況は坐視できない混乱した状況に陥りつつあるようにみえるが、今回の「08憲章」の発表は中共政権に対する致命的な一撃となるか?中国に平和的変革による民主化実現を促すものとなるか?

「それこそが『08憲章』の起草者,署名者と数多くの署名していない中国人の願いだ。差し当たってどういう運命をたどることになろうと、『08憲章』は長期的な影響力を有していると私は確信している。それは1989年の民主化運動のような勇壮なものではないかも知れないが、種として密やかに中国人の心に入り込んで根を張り、いずれ花を咲かせて実を結ぶことだろう」

「新時代の理性は必ずや暴力に守られた邪悪に取って代わる。アジアにおいて初めての共和国を成立させた民族は、必ずその栄光を取り戻すだろう」

「しかし、私たちはいま少し黎明を控えた暁闇に耐えなければならない。著名な余英時氏(米プリンストン大教授、『08憲章』署名者)からは、死に際の猛虎の凶暴さを見くびるな、と忠告されたよ」

「確かに中国共産党による統治は強大で多種多様であるだけでなく、その手段も極めて巧みで手が込んでいる上に,より緻密なものになりつつある。これが『08憲章』の前に立ちはだかる現実なのだ」(2008年12月10日 / 聞き手:河井森太郎)

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■金鐘氏プロフィール

 1980年に中国本土から香港へ転居。1981年に中国情報月刊誌『七十年代』編集者となり、1987年に中国情報月刊誌『開放』を創刊、編集長として現在に至る。

 1997年からは開放出版社の編集長職も兼任し、『毛澤東鮮為人知的故事』(2006年)、『趙紫陽軟禁中的談話』(2007年)などのヒット作を刊行。著書に『鄧小平的中國』『中國的演變』、編著に『共產中國五十年』『紅朝宰相周恩來』。『趙紫陽軟禁中的談話』と『紅朝宰相周恩來』は和訳版が日本で発売されている。

 1994年に台湾誌『中国通』の特集企画「華人の中国問題専門家はこの10人」の一人に選ばれる。「08憲章」発起人の中心人物・劉暁波氏は20年来の知己。1988年に行った劉氏へのインタビューが後に中国当局による劉氏批判の主要根拠となり、香港はもとより中国国内でも話題を呼んだ。香港の政論家としては中国政府によって入国を禁じられている唯一の人物(1996年~)。

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もう一つ、天安門事件の後日本に留学、今は日本に帰化している石平氏の寄稿です。

「08憲章」歴史的意味と中国の今後 MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/world/china/081223/chn0812231821006-n1.htm http://sankei.jp.msn.com/world/china/081223/chn0812231821006-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/china/081223/chn0812231821006-n3.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/china/081223/chn0812231821006-n4.htm

2008.12.23 18:18

 中国の学者や弁護士ら303人が公表した「08憲章」の原文に接したとき、昔の天安門民主化運動にかかわったことのある私は、久しぶりに血がわくような思いをした。民主化の夢は再び、かの国の大地で蘇ってくるのか。

 「08憲章」の示した民主化の理念と構想は、私たちの時代の単純な「理想論」と比べれば、実によく成熟して高次元なものとなった。

 それは、中国の現状に対する冷徹な分析と、民主化の障害となる諸問題に対する深い洞察の上、政治・経済・教育・司法・宗教などの多方面における変革の構想と問題解決の道筋を提示し、中国民主化のための総合的なガイドラインを打ち出したものである。

 その中で、たとえば「軍の国家化」の主張はまさに現体制の核心部分を突いた鋭い切り口であり、「連邦共和制」の構想はまた、「中国のような巨大国で民主化が実現可能なのか」という長年の難題の解消に方向性を示した歴史的な突破である。

 発起人の多くが天安門民主化運動の中心人物の生き残りであることからすれば、今の成熟は過去の運動の挫折に対する反省の結果であると思うが、完成度の高い「08憲章」の発表自体は、民主化運動の一歩前進を示した画期的な出来事である。

 そして何よりも注目すべきなのは、天安門事件から19年目の2008年に、この「08憲章」が発表されたタイミングの重大な意味である。

 天安門事件以来の19年間、中国の民主化運動が低潮期に入ったことは事実だが、その最大の原因はやはり、1990年代から始まった市場経済への本格的な移行と、その結果としての高度経済成長にある。

 つまり、時代のパラダイム(思考の枠組み)が「政治」から「経済」へと変えられていく中、この国のエリートと民衆が富と豊かさを求めて市場経済の波に呑(の)み込まれていくと、民主化の理想と欲求が徐々に忘れ去られる。そして高度成長のもたらす経済の繁栄はまた、共産党の一党独裁に新たな正当化の根拠を与えて政権安定の基盤を作った。

 その結果、党と政府の思惑通りに、十数年にわたる「繁栄と安定」の時代が「めでたく」出現したわけである。

 しかしその半面、政治的一党独裁と経済的市場化との矛盾が棚上げにされたままの経済成長は、やがて腐敗の蔓延(まんえん)や貧富の差の拡大や農村の疲弊などの問題を生み出し、経済が繁栄しながらも年間に数万件の暴動が起きるようないびつな社会を作り出すに至った。

 そして運命の2008年から、肝心の経済繁栄も陰りを見せ始めた。特に08年後半に入ってからは、「急落」、「減速」、「減産」、「リストラ」、「倒産」などの不吉な単語が毎日の新聞記事に登場してくる中、十数年間の高度経済成長はその終焉(しゅうえん)を告げようとしている。

 今まで経済の繁栄によって覆い隠されていた社会的諸矛盾が一気に噴出してきて、経済の後退がもたらす失業の拡大が社会的不安をさらに増大させる事態の発生が必至だ。つまり今度は、「繁栄と安定」の時代に取って代わって、衰退と混乱の時代が再びやってくるのである。

 そうすると、中国はどこへ向かうべきか、という忘れ去られていた根本問題が再び浮上してきて、変化と改革を求める声は再び時代のパラダイムとなってくる。

 したがって、このような歴史的な節目に堂々と登場してきた「08憲章」は、まさに中国の直面する難局を打開し、国づくりの新しい道を切り開こうとする民主化運動の「再出発宣言」となるのである。

 インターネットが発達し、市場経済の広がりが党の直接支配の及ばない自由空間を作り出したこの時代、彼ら民主派知識人や人権活動家を中軸に、いびつな経済繁栄から取り残された農民工や都市部労働者、経済衰退の中で生活破綻(はたん)をきたしていく中産階層、卒業しても職にありつけない大学生、そして「中華帝国」の支配に反発するウイグル人やチベット人などが、自由・人権・民主の普遍的価値を掲げた「08憲章」の旗印の元に結集してくるのであれば、それが間違いなく、中国の行方を決定する大きな流れを作り出していくのであろう。

 問題は、共産党政権がどう動くのかである。おそらく彼らは、「08憲章」の発表を「中国の発展を阻害しようとする外国勢力の陰謀」だと決めつけ、「08憲章」の「連邦共和構想」を「祖国を分裂させるたくらみ」だと断罪した上で、いわば「愛国主義」の大義名分において民主化運動をつぶしにかかってくるのであろう。

 それでも事態の収拾がつかなくなる場合、国民的なナショナリズム情念をもう一度たき付け、対外的な危機を人為的に作り出すことによって、内部統制を強化して生き延びていくというのは、政権にとっての魅力的な選択肢の一つとなってくるはずである。

 そうなった場合、日本がどう対応すべきかこそはわれわれにとっての大問題であるが、とにかく、08年12月から、巨大隣国・中国の変革と激動の時代がいよいよその幕を開けようとしていることを、まず認識しておくべきであろう。

 ■天安門事件 1989年6月、中国政府が軍隊を出動させ、民主化を求める学生らを弾圧した事件。4月15日に急死した中国共産党の改革派指導者、胡耀邦氏の追悼を契機に、学生らが北京の天安門広場でデモを繰り返し、党の腐敗を批判する大規模な民主化要求運動を展開。トウ(登におおざと)小平氏ら指導部は運動を「動乱」と断じ、6月3日夜から4日未明にかけて、軍を動員して広場を制圧し、少なくとも数百人の死者が出た。

 ■せき・へい 1984年北京大哲学科卒。88年に来日。89年の天安門事件で母国と「精神的に決別」。95年神戸大大学院で博士課程修了。2007年日本に帰化し08年拓殖大客員教授。「私は『毛主席の小戦士』だった」(飛鳥新社)など著書多数。四川省出身。46歳。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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