チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2008年12月22日

ロシア・カルムイキア共和国より代表団来る

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現在のロシア連邦の中には三つのチベット仏教徒の共和国があります。

東からモンゴルの北、バイカル湖の東側にあるブリァート共和国、同じくモンゴルの北西にあるトゥーヴァ共和国、それにカスピ海の北西にあるカルムイキア共和国です。

すべてもちろんかつてはモンゴル帝国の配下に入っただけでなく、大勢のモンゴル人がそのころから移住していました。
モンゴル帝国の崩壊後も彼らの多くはそのままそれぞれの地に留まったのです。

モンゴル帝国は御存じのごとく、まずは13世紀にサキャ派から仏教の洗礼を受け、その後はもっぱらジェ・ツォンカパが創始したゲルク派の仏教を受容し続けました。
特にゲルク派のデブン僧院ゴマン学堂のもとに、昔より多くのこの地区からの僧侶が集まり熱心に仏教を学んでいます。

数年前に私の家に突然一人のカルミック(ここではこう呼ぶ)の若い僧侶が現れ、
デブン僧院から土地をもらったので、150人用の僧房を建てたい、と言ってきました。
私はその数に少し驚いたものです。
いまどきのロシアの若い者達が(その僧にはまだその感じが残っていた)、そんなに沢山こんな遠くにまできて仏教を勉強しているとは!
日本ではもちろん考えられない。

さっそく簡単な図面を描いて渡したが、その後連絡は来ない。
嘗て、ブリァートにもモスクワにも頼まれて図面を送ったがいずれも返事がない。
つい先日もロシアの女医さん(モンゴル系)が大きなチベット仏教のセンターを作りたい、手伝ってほしいと言ってきた。
話は大きい(これがロシア計画の特徴だ)土地も広大。
私は今までの経験からその場のスケッチ以外はつき合わないようにした。

話が横道にそれたが、そのカルムイキア共和国の首相Mr Singleev Vladmirが議会副議長と3人のロシア下院議員+記者団等25人を連れてダラムサラに来ていたのです。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=23475&article=China+pressure+apparently+disrupts+Russian+delegation%e2%80%99s+visit
一行は木曜日に到着したのですが、次の日金曜日には突然ロシア政府を通じての中国の圧力により、急遽帰国せざるを得なくなりました。

もっとも土曜日の朝、一行は予定通り法王に会った後帰国したそうです。

首相のSingleev 氏は金曜日の夕食会の席上「私は嘗て三度ここに来ようとして失敗している。今回ダラムサラに来れたことに大いなる祝福を感じる」

「我々は一旦仏教の遺産を失ってしまった。だから再びチベットに助けてほしい。
仏教は我々の発展への希望であるから」と語った。

長老議員のVladimir Matkhanov氏は「法王がチベットにお帰りになり、チベット亡命政府がチベットの政府となることが個人的希望だ。
我々の今回の代表団は公式のものではないが、しかし、ロシアからの代表団であることに変わりはない」と語った。

嘗て、2006年12月にはカルムキアの大統領 Kirsan Nikolayevich llyumzhinov 氏がダラムサラを訪問し「白蓮華賞」と呼ばれる最高市民栄誉賞を法王に手渡している。
写真はその時の大統領と法王。

ーーー

ロシアではこれらの共和国は「国」と名づけられているだけあって、中国よりはよほどましな自治が許されているようです。
大統領とかがいて仏教にとても熱心なのです。
顔つきはロシアが20%混じったモンゴル人とでもいったところです。

もっともロシアもプーチンがこのまま居座るとどんどん危ない国になりそうですね。
中国とロシアに負けず頑張ってほしいです。

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以下は<08憲章>関連です。

● 大紀元日本12月15日

「共産党独裁終結」署名規模拡大、中国知識界が集団抗争

世界人権ディー前日(12月9日)、中国大陸著名な知識人及び人権活動家303人が共同署名した、「中国共産党一党独裁体制の終結、民主政治の連邦共和国への変更」などを要求する「08憲章」がインターネット上に公開された後、国内外で大きな反響を得た。国内の署名者が多く逮捕され、拘束されたにも関わらず、更なる多くの中国知識人が署名に参加し、14日まで4回目の署名人数を入れて合計2493人に上り、現在もなお署名人数が増えているという。今回の「08憲章」は、近年中国民間で高まった当局に対抗する一般大衆の抗争運動に続き、共産党体制内の知識人を含める中国知識界おける初の集団抗争と見られ、あらゆる危機に直面する中共政権にさらなる打撃を与えると見られる。

 知識人の造反

 第二回目からの署名者は、中国の知識人と人権活動家のほか、海外の中国人学者と民衆運動家なども参加している。14日の第四回目の署名は、前3回目の合計とほぼ同じ数になり、知識人のほか、学生や一般市民の参加も増えているようだ。また、署名のコメント欄には、憲章が提案する民主政治の中華連邦共和国の公民身分を申し入れる内容も多く見られた。

 海外在住の著名中国歴史研究者・余英時氏など海外中国人学者ら58人が11日発表した署名声明で、「08憲章」を「中国民間の公民権利意識の目さめ、勇気の高まり及び力の強大さ」と評価した。「署名者は体制内の自由者、体制外の異見者及び民間人権活動家などを含め、近年見られなかった民間発の政治観点の集団伝達である」とした。

 ニューヨーク在住の政治評論家・王華氏は、「08憲章」を大陸知識界から中共独裁政権に対する集団抗争運動として評価した。「長い間、中共政権は、脅迫や利益誘致の両面手法を使い、中国の知識人をコントロールしてきた。今回大陸知識人が公に中共に対立し、知識人の視点から共産党独裁政権を打撃している。現在、社会的弱者層の労働者、農民たちだけが当局に不満を示しただけでなく、共産党体制下で利益を受けている知識人さえも造反しようとしている」と語った。

 米欧政府、拘束中の署名者の釈放を呼びかけ

 中国各地の署名者に対して、当局は監視、逮捕、尋問及び拘束を行っている。憲章の起草者と見られる北京の著名反体制作家・劉暁波氏は8日夜、「国家政権を転覆扇動罪」の疑いで逮捕され拘束されている。各地でも人権活動家たちが相次いで拘束された情報が出ている。体制内の政治学者の張祖樺氏は拘束後されたがすぐに釈放された。貴州人権活動家・陳西氏、申有年氏と杜平和氏の3人、上海人権弁護士・鄭恩寵氏も「08憲章」に関与したことで地元の公安に拘束された。

 また、当局は、中国のインターネットに掲載された「憲章」の削除作業を続けている。

 米国務省は11日、劉氏の拘束について強い関心を寄せ、中国当局に「08憲章」署名者の解放を呼び掛けた声明を発表した。

 10日、ドイツ・ベルリンで行った「国際人権宣言」制定60周年を迎える記念活動で、シュタインマイヤー独外相は、中国の人権問題に関して、特に「08憲章」を作成した劉氏が拘束されたことについて、中国当局は沈黙を保つべきではないと主張した。

 そのほかに、「国際ペンクラブ」のドイツ支部会「ドイツ・ペンクラブ・センター」も中国当局に対し、「独立中文筆会(Independent Chinese PEN Center)」前会長の劉暁波氏の拘束を非難する声明を発表し、直ちに劉氏を解放するよう呼び掛けた。

 チベット精神リーダーのダライ・ラマも同件に声明を発表し、中国のリーダーに、文明的な手段で社会の統一と安定を築くようと促した。

 「憲章」の由来:中国社会の悪化と危機

 署名者の一人、香港開放雑誌編集長・金鐘氏が「08憲章」に関して日本のブログ作家への質門に対する回答を公表し、「08憲章」の由来について紹介した。

 「憲章は、事実上現在の中共一党独裁制度を否定し、同時に中国を民主国家へ変更すると宣言している。それは中国を改造する民主化綱領であり、百年以来中国の有識者の努力と夢が凝縮されている。憲章の出現は、現在の中国社会の悪化と危機に関連している」。

 金鐘氏によると、中国国内知識人が憲章を作り出した動機は三つある。?現実の緊迫感…中国の非正常発展がもたらしたマイナスの影響は広く且つ深く、良識のある知識人に重圧を与えている?20年来、中国の民間社会の形成と成長から、『皇帝への上書』といった伝統的な請願より国内輿論へアピールする精神的基盤が形成された?東欧から学んだ経験…1977年チェコの作家バーツラフ・ハーヴェル氏が同国当局宛へ、人権を守るようと要求する「77憲章」を発表し、80年代東ヨーロッパの共産体制の崩壊へ歴史的な貢献を果たした。ハーヴェル氏もその後チェコ初の民選大統領となった。「77憲章」から中国知識人はインスピレーションを受けたのである。

 「08憲章」の主な内容は、憲法の改正、権力の分散、司法の独立、人権の保障、言論と信教の自由及び使用財産の保証などを含み、民主政治を基礎とする中華連邦共和国の青写真を提起している。
(完)

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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