チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2008年12月2日

デリー会議報告その一

Pocket

d179171b.JPG会議の報告遅れてすみません。

少しだけ会議で採択された「コミュニケ」を訳し始めてたのですが、どうせ今日中には終わりそうにないので、会議の内容に入る前に、先にその周辺の軽い話から報告させて頂きます。

二日目の夜はネットも働かないしで牧野先生、井本氏、本丸女史と私はリゾートホテルのバーに向かいました。
バーに入ると、いきなりライブの大音響!何だ、何だと見渡すと先客十数人のグループ、この会議参加者たちが自前のフリーチベットソングをギター片手に歌うのに合わせ全員で大声で歌っていました。

日本人は内輪会議のためなので、離れた席に座りました。

立って歌ってる中心は二人で、最近ダラムサラでも見かける者たちでした。
一人は太ったアメリカ人?で「ランツェン・独立」と名付けた歌をどこでも歌っています。
既に十数カ国語に訳され、秘密裏にチベット内部にも流布されつつあるそうです?

もう一人はイギリス人?女性で、この人の制作したビデオが会議の後、夜屋外で上映されていました。
超シュール・パンク・アバンギャルドなスタイルでチベット問題を表現しています?自身その中でかなり過激なブトウ・ブレイク・ダンスを披露していました。

もっともしばらくすると懐かしいビートルズの曲ばかりやっていました。やっぱりね、お二人とも私と同じぐらいのビートルズエイジのご老体でしたから。

バーと名付けられたところには入られましたが、牧野先生はビールではなくペプシコーラを飲まれていました。この辺は気をつけて報告しないとね。
日本人会議の結論は、牧野先生に次の選挙で必ず当選して頂くために日本のチベットサポーター全員が協力すべきだ、というものでした。
もしも再び先生が国会議員になられるならば、日本はおろかアジアのチベット支援政治力は格段に高められるのです。
と、そんなことを期待させるいつもの情熱的で力強いお話をされていました。

回りがうるさかったので自然に大きな声になる、日本人、きっと会議中はみんなあんまり発言しなかった分ここで思い切り好きなことを言い合いました。
井本さんと本丸さんは部会が違ったので間違ってたら失礼。

その日の午前中は部会ごとに「如何に中国人に手を伸ばすか?」についてアイデアを出し合った。
ターゲットとか、具体的アプローチの方法、目的等に分けて話し合われ、実例報告等もあった。
1,12,08 デリー会議
午後には。まず一人一人に紙が渡され、「もしもダライ・ラマ法王に今会い3分間に、三つの提言を行うとしたら、それは何か?」を書くように言われた。
それらを集め、まず部会ごとに最終的に三つにするようにというのだった。
しかし我々の部会は三つは少なすぎる、と言って最終的に25案を9案に絞った。
その間の討論は中々白熱するのです。

実は「コミュニケ」と一緒に最後に全体レポートとして詳しく部会ごとの結論も書面にされ渡されました。
しかしそれは16ページもある、きっと日本にレポートするために来られた井本氏と石丸女史が近いうちに詳しいことは報告されるでしょうから。ここはスキップ。

ちなみに私はつまんない意見ですが
1、 サポーター及びメディア対応官を大幅に増やし、情報戦略を立て直す。
2、 法王は世界でもっとも尊敬される人。フーチンタオは最悪の一人。この嫉妬構造回避戦略を考慮する。
3、 もしも独立路線に政策を転換せざるを得なくなった時には、世界中でデモの先頭を切って法王ご自身が歩かれるというのは如何なものか?

一番目はまだしも2,3番目は本人もほとんど冗談で書いたのですが、やっぱ部会でも採用されませんでした。笑いは取りましたが。
急に言われても中々思い浮かばないものです。真剣に考えてない証拠ですね。
皆さんもそれぞれの提案を考えて見られたら如何でしょう。

最終日は朝8時半から、前日各部会で話し合われたまとめを発表し合い、まとめるはずでした。
しかし、C部会は独立派的意見に偏っていた上に、提案を纏めることもなく、何十にも渡り羅列発表したために、これが全体に収集のつかない乱戦状態を引き起こしそのまま時間切れ。
ティー・ブレイクの後、今度は「コミュニケ草案」が発表された。
しかし、その内容、言葉使いに関し、質問、訂正提案が矢継ぎ早に起こり、マイクの取り合いもしばしば、これも最後は議長役の切れ者ケイト女史も流石にさばき切れず、「議論の内容は必ずすぐに反映され、修正案は早急に提出されよう」とこれも時間切れ閉会。

さらにもう一度短いお茶の時間が入り、11時過ぎに最後の閉会セレモニー。
このときからメディアが入れられた。
日本のメディアは残念ながら香港から来られた共同さん以外は全社ムンバイ出張だそうです。

インドの大物チベットサポーターらしき人が3人現れ、演説。
中の一人は「チベットの独立はインドのため」ということで「独立」を盛んにアジテートしてました。
それに対し、フランスチームを筆頭にかなりの参加者が立ち上がって拍手する場面が繰り返されました。

最後にサンドン・リンポチェが閉めの演説。
その中で今、覚えている言葉は「中道であろう、自治権であろう、完全独立であろう、道は何れであろうとも、目的は仏教を核としたチベット文化が<十全に世界に貢献できること>なのだ」と言われたことです。
独立だ!中道だ!と叫び合ってた者たちもこれで「恐れ入りました」と思ったか?。

後は記念集合写真と最後の昼食、その後ほとんどの参加者は飛行場に向かいました。

日本人グループは中村僧侶が「自分の創始したデリーの寺に是非おいで下さい」というお誘いを受け、全員一旦そのゲストハウスにもなっているお寺にお伺いすることとなりました。
本物のベネチアグラスで作られたという、縦5メートル、横3メートルぐらいのステンドグラスが正面を飾っていました。
中心はキリストやマリアさまではなく、この場合シャカムニ・ブッダでありました。
一千万円!近くかかったそうです。ベネチアから本人自ら部分ごとに運ばれてきたそうです。

そこから、牧野先生続いて井本僧侶、本丸女史が空港に向かわれ、私は夜行列車に乗るためオールド・デリー駅に向かいました。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

ちべろぐ

Archives

  • 2018年3月 (3)
  • 2017年12月 (2)
  • 2017年11月 (1)
  • 2017年7月 (2)
  • 2017年5月 (4)
  • 2017年4月 (1)
  • 2017年3月 (1)
  • 2016年12月 (2)
  • 2016年7月 (1)
  • 2016年6月 (1)
  • 2016年5月 (9)
  • 2016年3月 (1)
  • 2015年11月 (1)
  • 2015年10月 (2)
  • 2015年9月 (4)
  • 2015年8月 (2)
  • 2015年7月 (14)
  • 2015年6月 (2)
  • 2015年5月 (4)
  • 2015年4月 (5)
  • 2015年3月 (5)
  • 2015年2月 (2)
  • 2015年1月 (2)
  • 2014年12月 (12)
  • 2014年11月 (5)
  • 2014年10月 (10)
  • 2014年9月 (10)
  • 2014年8月 (3)
  • 2014年7月 (9)
  • 2014年6月 (11)
  • 2014年5月 (7)
  • 2014年4月 (21)
  • 2014年3月 (21)
  • 2014年2月 (18)
  • 2014年1月 (18)
  • 2013年12月 (20)
  • 2013年11月 (18)
  • 2013年10月 (26)
  • 2013年9月 (20)
  • 2013年8月 (17)
  • 2013年7月 (29)
  • 2013年6月 (29)
  • 2013年5月 (29)
  • 2013年4月 (29)
  • 2013年3月 (33)
  • 2013年2月 (30)
  • 2013年1月 (28)
  • 2012年12月 (37)
  • 2012年11月 (48)
  • 2012年10月 (32)
  • 2012年9月 (30)
  • 2012年8月 (38)
  • 2012年7月 (26)
  • 2012年6月 (27)
  • 2012年5月 (18)
  • 2012年4月 (28)
  • 2012年3月 (40)
  • 2012年2月 (35)
  • 2012年1月 (34)
  • 2011年12月 (24)
  • 2011年11月 (34)
  • 2011年10月 (32)
  • 2011年9月 (30)
  • 2011年8月 (31)
  • 2011年7月 (22)
  • 2011年6月 (28)
  • 2011年5月 (30)
  • 2011年4月 (27)
  • 2011年3月 (31)
  • 2011年2月 (29)
  • 2011年1月 (27)
  • 2010年12月 (26)
  • 2010年11月 (22)
  • 2010年10月 (37)
  • 2010年9月 (21)
  • 2010年8月 (23)
  • 2010年7月 (27)
  • 2010年6月 (24)
  • 2010年5月 (44)
  • 2010年4月 (34)
  • 2010年3月 (25)
  • 2010年2月 (5)
  • 2010年1月 (20)
  • 2009年12月 (25)
  • 2009年11月 (23)
  • 2009年10月 (35)
  • 2009年9月 (32)
  • 2009年8月 (26)
  • 2009年7月 (26)
  • 2009年6月 (19)
  • 2009年5月 (54)
  • 2009年4月 (52)
  • 2009年3月 (42)
  • 2009年2月 (14)
  • 2009年1月 (26)
  • 2008年12月 (33)
  • 2008年11月 (31)
  • 2008年10月 (25)
  • 2008年9月 (24)
  • 2008年8月 (24)
  • 2008年7月 (36)
  • 2008年6月 (59)
  • 2008年5月 (77)
  • 2008年4月 (59)
  • 2008年3月 (12)