チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年11月22日
特別会議終了
会議最終日は午後1時半よ休憩を挟み4時半ごろまで行われました。
その後議会議長カルマ・チュペル氏と副議長ギャリ・ドルマ女史が質問なしの記者会見を開きました。
結論はさて置き、会議の前後、休憩時間中のメディアのインタビュー合戦はちょっとした観物でした。
とにかくメディアが多い100人以上います。
誰かが誰かにインタビューを始めるとすぐにそのそばに他のメディアがたかる、人の質問を借りてちゃっかりみんな答えを録音したり、撮影したり、ノート取ったりするのです。
中でも目立ってたかられていたのはジャミヤン・ノルブ氏とハーバード研修員のロプサン・センゲ氏、それにロディ・ギャリ・リンポチェです。
英語の巧さが基準ですかね??
そういえば英語のできる僧侶を日本のメディアも探していました。
私もそんな人のインタビューを聞き過ぎ、誰が誰の意見かもう判らなくなりました。
写真一枚目:
会議の始まる前、人だかりの中で特に一目を引いていた集団がありました。
二人の特使と一緒に元首相ソナム・トプギェル氏、元宮内庁長官テンジン・ゲチェ氏
、元外務大臣T.C.テトン氏といったそうそうたる長老集団が楽しげに歓談していました。
メディアも注目し写真を撮ったりしていました。
ギャリ・リンポチェと目が合った次の瞬間、手まねきで呼ばれてしまいました。
仲間に入れということのようです。
内心「俺はこんな爺集団とは訳が違うんだけど」と思ったが、何を話ているのかと興味もあったので加わった。
と、そこにちょうどジャミヤンが現れた。
彼はリンポチェの肩を押しながら「あんたたちは一度でいいから後ろに下がっていてもらいたい!俺の席は後ろ過ぎて良く解かんない。一度でいいから俺達を前に座らせてほしいもんだ!」と冗談にしてもかなりはっきりと真顔で言ってました。
二人とも意見は違えど実は古い友人同士なのです。
ギャリ・リンポチェへのインタビューの聞きかじりでは、
「チベット人が集まるといつも暗い自信のない話が多い。
チベット人は全く暗くなることはない、正しいことをしているのだから自信をもって明るく振る舞うべきだ。
中道路線がすべて失敗した訳ではない。
法王はどこへ行っても最高の尊敬心をもって迎え入れられる。
もちろんこれは法王の仏教を体現されたお人柄によるところが大きいが、法王の非暴力・中道路線が評価されているからでもあろう。
チベット人はあの中国を相手に良く戦っていると思う。知識人も増えた。
もっと自身を持つべきだ」
というのがあった。
写真二枚目は全員起立で閉会式のチベット国家斉唱中。
三枚目はロプサン・センゲ氏。
このときのインタビューで質問者の「法王の後継者の話は出たのか?」に対し、
以下のような話をされていました。
「マデ・トゥルク(生前活仏、先代が死ぬ前の転生者!、分身?)の話が私の部会でも出されたし、議論の結果、部会提案の一項目として盛り込まれた。多くの他の部会でも同様の議決がなされたというのを聞いて少し驚いている。
4,5年前ならこんな話をするのは全くのタブーだったはずだ。
もちろん今でもこんな議論をすること自体に反対する人も多いはずだ。
中国はとにかく今の法王さえ存在しなくなればチベット問題もなくなると考えている。その時は偽の15世を立てることもほぼ間違いない。
しかし、もしも法王が次の15世を生前に御指名されるならば、中国の期待するような事態を避けることができよう。
中国はさぞがっかりすることだろう。
カルマパを後継者にする案も出ていた。カルマパは若者に人気があることと、その中国脱出の経緯もあり、今もチベット内部のチベット人への影響力があるからであろう。
しかし、大きな声にはなってなかった。」
その他こんな気の利いた話も、
「第8回会談では、こちらの提出した<高度な自治についての覚書>に対し、中国は<これは独立を偽装した、分裂主義者の言い分だ>と非難し拒絶した。
<覚書>の内容はちゃんと中国の憲法に規定してある自治権の範囲内での提案だ。
それに対しそのような反応を為すならば、中国は自身の憲法の中に<独立>を認めていることになろう」
ーーー
雑談はこのぐらいにして、肝心の決議案の内容を紹介しないといけませんね。
英語版リリースが明日手渡されるそうですし、長いし、それはきっと日本事務所が正式に翻訳されるでしょうから、今日のところは要点のみとします。
肝心の「今後の政策について」の章では、
1、「、、、、大多数の参加者は中道路線を支持した。しかし、最近の中国政府の対応に鑑み、中国との話合いのために特使を派遣することは当分の間行わない。また、この先ある期間が経っても、この政策の確かな結果が見出されない時には、<独立>なり<自決権>の獲得への政策変更が考慮されるべきだ、との意見も強く(多く)出された」
2、中道、独立、自決権何れの道を進むにせよ、チベット人の戦いは完全なる非暴力・平和主義の闘争でなければならない。ーーー
<独立>について言及されているのはおそらく、この箇所だけです。
全体の票決のようなものは結局取られませんでした。
ですから独立支持派の割合も不明です。
ほぼ2対1かな?
<ある期間が経っても>の表現に付き質問があったが、
<ある期間>とは<ある期間>だそうです?
全体には、とにかくダライラマ法王を全会一致でチベット人民の代表として再信任するという内容です。
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共同通信が取材して下さった、リンジン・チュキの証言が明日の朝刊に掲載される予定です。東京は東京新聞かな?
地方紙が多いと思います。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)