チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年11月20日
続ギャロ・ドゥンドゥップ氏の証言
昨日の続きです。
いったん出来上り、アップする途中に消えてしまいました。
二度目は少なめになったかも?
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インドに帰って法王にご報告した。
法王は喜ばれ、関係を確実なものにするために努力しよう、といわれた。
それから三回に渡り、チベットに調査団を送ることができた。
20年間途絶えていた、内と外の交流が少しではあるが可能になったのだ。
私はそれから何度も中国に行き会談も行った。
しかし、私は一度も「独立」の話は出さなかった。
私は常に正当性、合法性(legitimacy)について話した。
チベット人が当然持つ正当な権利、合法的権利(legitimate rights)を要求した。
チベット人はその独自の文化、伝統、言語、宗教を守る権利がある。
言論の自由、宗教の自由、移動の自由、様々な独自のコミニティーをもつ自由が保障されるべきだ。
中国は近代では清の時代から始まり、49年後も続く軍人中心の悪い政策を変えるべきだ。
チベット人を同等の人間として扱うべきだ。
最近のラサなどの状況を知るにつけ、52年のラサを思い出す。
町は中国兵で溢れ、兵隊は銃を構えていた。
日本が戦争でアメリカに負けたあと、銃を構えたアメリカ兵が大勢日本に上陸したというが、同じような状況だ。
52年のころは我々は中国からあたかも王様のように扱われていた。
政府はあまりにも外国との関係をそれまでに作っておかなかった。
助けを呼ぶ手段が判らなかった。
インドに誰か行くべきだということになり、私が秘密裏にインドに行くこととなった。
私は避難民第一号になったというわけだ。
インドではネルー首相に会った。
本当にいろんなことがあった。
私に起こった出来事を話すときりがない。
中国と鄧小平に関する話は今日はこれぐらいにしておこう。
(メディアに対し)
チベットは大国インドと中国に挟まれた地域だ。
これからもその地政学的重要性は益々大きくなっていくことであろう。
この辺のことに詳しくなっておくことは将来の仕事にきっと役立つよ。
そのあと質疑応答に入った。
まずRFAラジオ自由アジアの外人女性記者が質問。
「鄧小平はそれほどオープンで好意的だったのに、その後関係は悪くなる一方だ。今回は最悪だった。
なぜ中国はこのような態度を取るようになったと思うか?」
G氏「私も今度の中国側の態度には正直驚いている。
二年前から、悪くなった。法王を個人攻撃し、約束も守らない。
今回は鄧小平の言った言葉すら否定した。
私は長年チベット人の正当な権利獲得のために戦ってきた。
しかし、つまり、
中国の政府高官、将軍の中にはチベットをポケットの中にある自分の所有物と見做している者たちがいるのだ。
特に人民解放軍の北西部隊と南西部隊の将校たちがチベットを自分たちのものだと思っている。
49年から79年までの間にどれほどの富がチベットから持ち出されたことだろう。
チベットは略奪し尽くされ、破壊し尽くされたのだ。
その間に彼らは巨万の富を得た。
注意深くそのころの出来事を調査すれば、きっと彼らの事は表にでる。
その事を恐れているのだ。
よく66年から76年にかけての文化大革命によってチベットの僧院は破壊されたとかいうが、そうではない。
すでに、66年までに僧院、尼僧院は空っぽの廃墟と化していたのだ。
文革の時、そのまま廃墟で建っていると目立し、文革では破壊がテーマだから、それを演出するにも丁度いいというので廃墟の壁を倒しただけだ。
金目のものはすべて没収された。女性が腰飾りやイヤリングをしていればすぐに取り上げられた。
もう酔っぱらいと話をしているようなものだけど、それでも話合いは続けるべきだ。
他に道はない。
世界は変わる。黒人がアメリカの大統領になることを、かつて夢にでも見た者がいるだろうか?
私は楽天主義者なのだ。
対話は続けられるべきだ。
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独立派ジャミヤン・ノルブしの話は何度も紹介したが、
最近の彼のブログからの要約をY女史が自身のブログに載せられている。
独立派は時に過激派などと呼ばれることもあるのだが、実際には石一つ投げたこともない、いたって平和的活動家たちばかりだ。
彼らの実体、主張を知って誤解をなくすことも大事でしょう。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)