チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2008年11月19日

新華社がダラムサラに現れる / 京都新聞11月15日付・ラサレポート

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4dd58b53.jpg一昨日の夕食をルンタで食べてた時のこと。

部会開けの日本代表タシ、小川くん、S記者、私が真ん中の大きな瓢箪形テーブルを囲んで話を弾ませていました。
同じテーブルの反対側に3人の東洋人が同席していました。

話の途中、時々タシが「このやろう何てこと言ってんだ」とか「バカじゃないか」とか訳のわかんないことを呟いていました。
でもその時は何事もなく終わりました。

次の日、S記者か「昨日、新華社が来ていましたね。同じ席に座ってましたよね」
「えええ!!!」
「タシさん中国語が解るから、かなりカッカしてましたよね」
「アッソー!」
何と知らなかったのは私と小川さんのみ。そんな事とは知らず(二人は知りながら日本語は解るはずないと知って)いろいろとあちらが聞いたら怒りそうなことを、大笑いしながら延々続けてた。

昨日夕方タシにそのことを正したら、「隣から中国語が聞こえてきて、その内容が頭に来ることばかりだったから。カッカしたよ」
「彼ら新華社の者たちって知ってた?」
「へー、知らなかったよ!」
「ぼこぼこにするべきだったね。少なくともこのレストランからは追い出すべきだった。ここをどこだか判ってて、元政治犯の作った飯を食いに来てたのかな?」

ーーー

彼ら3人(男二人、女一人)はデリー支局からの回し者だそうです。
私の知る限り、新華社がダラムサラに来たことはないような?
あるにしても非常にまれなことです。
法王は3月以降何度も新華社を招かれたが、来なかった。
地元のチベット人プレスグループが自分たちの会議に招待したが来なかった。

早くも、噂は「情報省でプレスのパスを作るとき、彼らは最初<個人>と言って申請しようとした。でも係官が、個人は認められない所属が要る、と拒否したので、そこで初めて<自分たちは新華社のものだ>と明かした」とか言ってます?

大丈夫ダラムサラは北京やラサじゃない、誰もスパイと判っててもぼこぼこにはしませんよ。

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以下、11月15日京都新聞に載せられた、最新ラサレポートです。

写真はすべて紹介できませんが、写真も内容も日本人による貴重な証言です。
勇気ある行動に感謝いたします。

ーーー

11月15日京都新聞
2008年11月15日 京都新聞 夕刊

■チベット・ラサ探訪 ~騒乱の影 色濃く~

中国のチベット自治区で今年三月に起きた騒乱から半年あまりがすぎた。
国慶節(十月一日)の時期に区都ラサを訪ねた。
人々は、平穏な日常を取り戻したかに見えるが、町中に武装した治安部隊が闊歩。
監視カメラも張り巡らされて、平穏とはかけ離れた「監視社会」があった。
厳しい現実にあらがうようにチベット人たちはただ、祈っていた。

■厳戒の町 ささぐ祈り

七年ぶりのラサは変わり果てていた。
北京五輪に伴う経済発展や青蔵鉄道開通で、町には観光客が大挙押し寄せるようになった。
ビルが増え、最新型の外車が走り回る。

「寺で僧侶に話しかけないで」「街のレストランでの会話は、盗聴されている」。
到着後、ガイドからの最初の注意だった。

中国人観光客が増える一方で外国人観光客は激減している。
入域許可証発行が厳格化され、自由な旅行ができないためだ。

騒乱の痕跡は、街の中心部からは消えていた。
巡礼者が集まるジョカン寺周辺は、焼けた建物が改修され広場は花で彩られていた。
国内の団体旅行者が新型カメラで撮影に興じる。

平和な光景も、少し歩けば、いたるところで銃を持った迷彩服の武装警察と出遭う。
見上げると、辻々に監視カメラがあり、屋上からは歩哨が見下ろす。
部隊を撮った旅行者が画像を削除させられているのを見た。

騒乱のさなか、僧侶たちが外国人記者団に直訴したジョカン寺には私服警官がいた。
記者に付きまとい耳をそばだてる。
周囲に誰もいない時、一人の僧侶に話しかけた。
「日本が好き」と笑顔。
だが騒乱後の状況を尋ねると、「何もしらない」と口を閉ざした。

デモの中心寺院の一つデプン寺のは騒乱前に二千八百人の僧侶がいたというが、境内を歩いて見かけたのは二十人足らず。
がらんとした本堂で僧侶がさい銭を数えていた。

騒乱後、中国政府は寺院への締め付けを徹底しているようだ。
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所(東京)によると、寺院でもスパイによる監視が常態化した。
誰もが疑心暗鬼に陥り、外国の調査機関が入れないこともあって、僧侶の安否確認も難しいという。

別の小さな寺で話した女性は「デモで大勢の僧侶が捕まったが戻ってこない。漢民族が憎い」と打ち明けた。

十月一日、中国の建国記念日を祝う式典がポタラ宮前広場で行われた。
政府や軍関係者らが数千人規模で集う中、チベット人たちは広場に背を向け、黙々と祈っていた。
その光景は、苦難を強いられた人々が、祈りで「無言の抵抗」をしているかのようだった。

滞在最終日、現地に住む知人のチベット人女性に会った。
言葉が通じないので、二人で辞書を見ながら騒乱について聞いた。
彼女が何度も何度も、指で指した言葉は「悲しい」だった。

「チベットに平和が訪れますように」。
別れ際、同行者がチベット語で言うと女性は声を詰まらせて泣いた。
祈るようにつぶやく言葉は理解できない。
だが流れる涙はどんな言葉よりも胸を突いた。
五輪の影に埋もれてしまったチベットの現実がそこにあった。

(解説)

【メモ】
もとは独自の文化と宗教を持った自治国家だったが、国際的な承認はなかった。
建国後の一九五一年に、中国が民族解放を名目にしてラサに進駐。
五六―五九年のチベット動乱でダライ・ラマ十四世がインドに逃れ、ダラムサラに亡命政府を樹立した。
以後、信仰の自由を求めて十三万人以上のチベット人がインドやネパールなどに亡命している。
ことし三月の騒乱ではデモの民衆に多数の死者が出たとされる。
正確な数について中国当局は二十人、亡命政府は二百三人としており、大きな隔たりがある。
騒乱を機に、世界各地で北京五輪の聖火リレーに対する抗議行動が相次ぎ、国際社会の注目が集まった。

(写真)

【写真七点のキャプション】

●全身を地面に投げ出すようにして祈る「五体投地」を、ジョカン寺前で繰り返す僧侶

●僧侶がほとんどいなかったデプン寺の本堂

●中国の59回目の国慶節の日。
祝賀ムードの広場(奥)に背を向け、ポタラ宮に祈り続けるチベット人たち。
警備の部隊がその前を横切った

●ポタラ宮が見える建物の屋上には中国の五星紅旗が翻っていた

●ジョカン寺を取り巻くバルコルに設置された監視カメラ。屋上には歩哨がいた

●裏通りで銃を手に巡回する治安部隊に出くわした。至る所に監視の目が張り巡らされている

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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