チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2008年11月16日

ジャミヤン・ノルブ氏ダラムサラ講演会

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54611e73.JPG今日(16日)朝11時よりチベット青年会議主催の「独立トーク」にアメリカ在住のジャミヤン・ノルブ氏が招かれた。

チベット青年会議にはその創設期より関わり、議長も歴任している。多くの元青年会議派議長が後に亡命政府の大臣等になったが、彼は常にその「独立」の看板を下ろさず、在野を通し続けた。そんな彼の生き方と洒落た作家の文体で、ますます若者を中心にその信者は増え続けている。
世界に通じる唯一のチベット人作家でもある。
日本語にも数冊は訳されたのではないかと思うが?

最近は特にブロガーとしての活躍が目立つ。

最初は、先のギャリ・リンポチェと同じように、「自分から今更この場で言うことはないので、質問を中心に行きたい」と言いつつ、自分で最初に一時間半はしゃべった!そのあとの質疑応答にさらに一時間、寒い幼稚園のホール(このホールはヨガで去年毎日通ったところだが、この時期はヨガでもしてないと非情に冷える)で二時間半続いた。
熱い話に体は冷え切るのはチベットと同じかな、、、?

話は多岐に渡り長かった。
以下は少ししか取らなかったノートの端くれです。

ーーーーーーーー

法王は亡命されてすぐ1960年には「チベットの独立を取り戻すために亡命政府を樹立する」とはっきり言われた。
最近は状況に従い、独立から自治への要求に変更されていた。
今回「この中道路線は完全に失敗した」と認められたことにより、もう当然「独立を求める道しかない」ということなのだ。中国がこうさせたのだ。
何れ、チベット人であれば独立を欲しないものはいないのだ。
ただ今までは法王がおっしゃるから、チベットの状況がこうだからということで譲歩して来たに過ぎない。

最近ではチベットの問題を環境問題とか人権問題として提示することが多いが、常に中心は独立問題だということを忘れず言い続けることが大事だ。
最近亡くなられた法王の長兄タクツェル・リンポチェは中国が侵略を開始したはじめより中国政府の野蛮な不誠実さを見抜き、中国の下では決してチベット人は自由を得ることがないと一貫して死ぬまで「チベット独立」を求め続けられた。

チベットの苦悩、悲劇はすべて中国がチベットを侵略したことから始まっている。
主権を失ったからだ。
主権を持つ独立国家には沢山の国際的特権が与えられる。
各々が各々の主権を認め合い、お互いに侵略しなければ世界は上手くいくと単純に考えられていたころもあった。
しかし、故に他国を「侵略」することは最悪の行為と見なされている。
アメリカだって、イラクを摂ることはできないのだ。

しかし、ほっとくと国内で異民族や異教徒、反体制派等を弾圧する国家が増えた。
そこで、たとえばカーター大統領とかが「人権」を中心にした政治観を発展させた。
最近までは「人権問題」もある程度力を持っていたが、特にブッシュになってアメリカ自体に人権擁護者の名を汚すような行為が多すぎた。
その上この経済危機だ。「人権」の力は益々限られつつある。
例えば、スーダンのダーホールを見よ。人権問題をいくら欧米が叫んでも、人々はまるで虫のように自国の政府により虐殺される。
中国はそんな政府を助ける。国際社会は何にも出来ないではないか?

中国にとって、「チベットの独立を取り戻そう」と言われるのが一番いやなことなのだ。侵略したからだ。
独立が実現するかどうかが今問題ではない。
真理かどうかが問題なのだ。
かつて、ゲリラ戦を戦ったチュシガントゥックの者たちは中国軍がどれだけ沢山いるかをちゃんと知っていた。だからといって、どうせ負けると言って戦わないであろうか。
中国軍が僧院を破壊し、僧侶を殺し、チベット人を殺すのを見て、それをほっておくことができず、正義のために武器を取ったのだ。
ただのバカでは決してない。

世界は変化し続けている。チベットも変わった、今回もあれほどカム、アムドの人々が声を上げた。
中国ほど不安定な国家はない。今回の経済破綻では相当の変化が期待できる。
すでに失業者がどんどん田舎に帰されている。
経済危機の時、民主主義国家はそれなりの対応システムをもっているが、全体主義国家はソビエトや一時のインドネシアのように脆い。
だからと言って容易に民主化されると思わない方がいいが。
10年、15年のちには必ず大きな変化の時が来る。
諦めることは何もない。独立を掲げて死ぬまで精いっぱい努力する。
夢を見続けて苦労するのは楽しいことではないか?

最近のネット社会も大きな変化の一つと思う。
こんな年寄りでも最近はブログを通して新しい世界が広がっているように感じている。
多くの見知らぬ人々から連絡が来るようになった。
チベット内部からも直接コメントや寄稿を頂くことも多い。
チベットの中でも例えばウーセル氏のように勇気をもって素晴らしいブログを続けている人も出てきた。
方策はいくらでもある。

中国の弱点はプライドだ。
中国は国際社会に一級の国として認めて貰いたいのだ。
道徳観ゼロの国と思われたくないのだ。
本当のことを言われるのが一番嫌なのだ。

最近その存在が学者の間でも疑われていた1912年の「チベット・モンゴル協定」の原文が見つかった。
この中で、お互いを明確に独立国として認め合っている。
1914年にはチベットの国旗がナショナル・ジオグラフィック誌に世界の国旗と一つとして載せられている。
その頃、もちろんインドの国旗も中国の国旗もない。
アジアでは他には日本とタイぐらいしか載っていなかったであろう。
世界の国の数はまだ限られていた。
多くは1960年以降にできた国ばかりだ。

パスポートだって発行していた。
一番古いので今残っているのは1916年のものだが、1920年にはチョモランマ登山隊のためにビザを発給している。
そのころネパール側からチョモランマに登るものはいなかった。
みんな最初はチベット側からトライしていたのだ。

もちろんそのほかに切手や通貨、紙幣の発行もある。
古いところでは、各地の石碑が証明している。

アメリカ議会はすでに「チベットは占領された国である」と宣言している。
EU各国も多くの国が同様の認識を示している。

よく、人が聞く。「中道路線を捨てて独立を掲げれば、国際社会の支持を失うのではないか?」と。
別に今までもどこかの国がこの「中道路線」を支持してくれていた訳では決してない。
欧米はただ、ダライラマ法王の「平和路線」を支持して来ただけだ。
それと、もちろん対話を勧めるということをして来ただけだ。
これは紛争当事者に対し、いつでも、その国に対してもやる、国際社会の義務のようなものだ。
別に独立と言ったところで状況が変わるとは思わない。

私はいつの日か、各国で法王自身がデモを先導すような日が来ることを願う。
今度からデモをするときは法王を御招待すべきだ。

最近チベットから伝えられる状況を見ると、それはまるで戦争時のようだ。
ラサのパルコルを囲む屋上の上には照準鏡を備えたライフルを構えたスナイパー兵が下を祈りのために右遶し続けるチベット人を狙っているのだ。

自分たちにはもう他に道がないのだ。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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