チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年11月16日
第8回チベット中国会談チベット側記者会見
<第8回チベット・中国会談>のチベット側特使ギャリ・リンポチェが今日午後2時半からダラムサラの情報省のホールで記者会見を開いた。
これをカバーすべく集まった世界各国のメディア、その中でも日本メディアは多い方でした。NHKをはじめ、日本テレビ、共同、時事、日経さんが集まっておられました。
今日か明日のニュースに出ることでしょう。
会談の後すぐに会見を行わなかった理由、特別会議を前にして、を再び説明し、
しかし、中国側が異例にも外国メディアとの記者会見を開き、その中で会議の内容を「歪めて」伝えていることでもあり、あちらからの情報のみ伝わるなら誤解が生じると判断し、会見を開くこととなった、と経緯をはじめに説明。
相手の中国共産党中央統一戦線工作部の朱維群(ジュウ・ウェイチュン)副部長がイギリスなどに行き、BBCに出たりして珍しく派手に動いているのを意識し、遅れを取って慌てて会見を開いたと取れなくもない。
もっともジュウ氏はロンドンでケチャップを車にかけられるなど、相当なチベット人グループの抗議の罵声を浴びたようだ。
前回の第7回会談の時、宿題として与えられ、今回の会談で中国側に手渡したという「チベット人民のための真の自治(Genuine Autonomy)に関する覚書」がみんなに配られ、その要旨が読み上げられた。
これは、前回の会談で中国側が「真の自治とかよく言うが、はっきり解らない。中国の法律の枠内であれば、それを考慮もしよう。次回文章で提出するように」と言われたことに答える形で今回提出されたものだという。
「一般的にはこんな内部文章を公表するものではないが、しかし今回中国側がこの内容について、間違ったことを外国メディアに向かってコメントしているのを知って公表することになった。
どうか、良く内容をチェックし中国側の話と比べ各々がどちらが本当のことを言っているのかを判断してもらいたい。」
「自分から今さら話すことはないので、質問を中心に進めたい」と言いつつ相当長く最初に話をされた。
とにかく「今回の会談は最悪で全くの決裂だった」そうです。
「相手側に全く会談に対する意欲がな、誠実さは全く見られなかった」
提出した覚書ももったく考慮されず、すべては「隠れた(独立の)陰謀」の現れでしかない、と言われた。
「これらはすべて中国政府、共産党、中国人民への挑戦だ」とまで言われたとか。
「ダライラマのことしか話す気はないのに、またしても自治とかの話を持ち出す」と文句を言われ、果ては鄧小平が「独立以外の話なら何でもOK」と言ったという事実も否定された。
「これまで法王のご努力はすべて、少しでも弾圧されるチベット人の苦しみを和らげたいとの一心でここまで譲歩もし、対話を続けて来られた。しかし、結果は全く一歩も前に進むことができなかった。そして次回の会談の話はまるでなかった。
もちろん今日も法王にお会いしたが、法王の対話は続けるべきとの姿勢に変わりはなかったが」
「中国は<一国二制度>とか言っているが、本当は<一国三制度>だ。
会談の前に他の少数民族の地域を視察させられた。モスリムの人たちが自由にモスクで礼拝し。ハージ(メッカへの巡礼)にも中国政府から補助金が出ているそうだ。
チベットの現状はどうだ。僧院からは僧侶が追い出され。閉鎖されたところも多い。
チベット人は政府で働く者でさえ、外国に行くためにパスポートを取ることは非常に難しい。
私の知り合いで内地にいる人の話だが、外国にいる父親が危篤と知ってすぐにパスポートを申請した。しかし二か月経っても下りなかった。その間に父親は死んだという。
チベットが第三のシステムの下にあるというのはこういうことをいうのだ」
「中国の法律に則って、その自治区の定義や権限に忠実に、その枠内で提案を行った。中国の法律は実にすばらしいことばかりが書いてある。少数民族の権利についても立派なことが沢山書かれている。だからわれわれはその中国の法律に書かれているそのことを実際に行ってほしいと言ってるだけだ。しかし、それは分離主義者陰謀だ、中国共産党に対する挑戦だとかいわれるのだ」
ーーーーーーーーーーーーーーーー
結局、法治国家でない中国が「法律に準じた提案を出せ」と命令し、それに従って提出したら、「これは中国に対する挑戦だ!」と言われたということですかね?
そんな相手とそれでも話をしに行かないといけないのでしょうかね?
なお、内容はほんの抜粋、要約であります。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)