チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年11月15日
2006年9月末ナンパラ峠
2006年9月終わり、中国とネパールの国境、ヒマラヤのナンパラ峠5740Mを目前に亡命チベット人のグループが中国軍から発砲を受け、一人が射殺され、一人が足を撃たれた。
このシーンを偶然そこにテントを張っていた外国登山隊が目撃し、ビデオに収めた。
そして、世界中に配信された。
きっと、近くこの映像も日本のテレビに流れることでしょう。
この同じグループにいて、の事件を経験した子供たちに話を聞いたことは、
数か月前に私のブログでも紹介し、NHKも取材してくれて日本にも二度に渡り放映されました。
今度は今日、某テレビ局の人たちと一緒に、同じTCVスジャスクールに行って同じくその子供たちに話を聞きました。
もちろん全く同じ子にインタビューしたわけではありません。
その中の一人の話を少しだけ以下に。
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ドルマはカムのチャムドの近くの田舎で育ちました。
撃たれて死んだケルサンとは幼馴染でした。
10歳のころだったか、ケルサンが「インドに行きたくはないか?」という話を始めました。
そのころインドへ行って帰って来たという尼さんの噂を聞いたからでしょう。
11歳の時ケルサンは尼さんになりました。
15歳ころになったときもう一人の友達と一緒に三人で再びインドに行こうという話が始まりました。
両親に相談しましたが、その時は二人とも「そんな恐ろしいことを考えない方がいい」といって取り合ってくれませんでした。
それからしばらくして、ある日「今からインドに行く人たちがいるぞ」という話を聞きました。三人が集まり、今日一緒に行こうと決心しました。
夜両親を説得しました。
結局両親は「そんなに行きたいなら行くといい」と言ってくれ、お金を渡してくれました。夜中の3時に家を出ました。
ラサをトラックで出発したときには、70人以上集まっていました。
、、、、
最初は歩くのは数日だけだと聞いていました。
しかしディンリから歩き始め結局10日以上歩くことになったのです。
それもほとんど食糧がなく、峠を前にすでに3日間はほとんど何も食べていませんでした。
朝方、やっと峠を目の前にしたとき、バンバンバン、、、という何か爆発するような音がしました。
自分たちは最初それは近くにいた、外国の登山隊が、遊びに爆竹でも鳴らしているのだろうと思いました。
そのうち、誰かが、中国の兵隊だ!逃げろ早く進め!と叫びました。
見ると下から中国兵が銃をこちらに向けババババーンと撃ってきました。
弾が頭の上をヒューヒューと飛び、周りの雪に当ってバシバシと音を立てます。
本当にたくさん弾が飛んできました。
逃げようにも道は一つしかなく、とにかくできるだけ早く峠を越えることだけ考えていました。
峠にはタルチョが沢山ありました。
あそこを超えればもう中国兵は追って来ない、と思いみんな上を目指しました。
でもお腹は空いているし、高地で息も切れ思うように体は動きませんでした。
その上廻りにはまるで映画で見た戦争の場面のように銃弾が飛んで来るのです。
後ろにいたケルサンが撃たれたのが判りました。
すぐに助けようと思いましたが、みんなが先へ行け!止まるな!自分のことを考えろ!というのでそのまま歩き続けました。
やっと峠を越え、ケルサンがやはりいないので大人に聞きました「足を撃たれたが
大丈夫ちゃんと下まで降ろされ、病院に行けるよ」と言ってました。
ケルサンが死んだというのはカトマンドゥについて5日後に知りました。
それからインドに着いて、この学校で勉強するようになったけど、最初のころは全く楽しめなかった、死んだケルサンのことを思って悲しくて仕方なかった。
でも今はもう大丈夫。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)